旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

露天茶座の風景

2024-07-31 | 旅行記

山上の茶樓から東シナ海が見おろせる。
夏至過ぎの夏の太陽も、さすがに没する時刻になって、空は藍に海は灰に、少しずつ色を変えていく。

テラスの隣の席に美しい女(ひと)が座っていた。すこし憂いを帯びた横顔がキレイだと思った。
スマホに触れるでもなく、ページを繰るでもなく、ただ空と海を眺めているようだ。

海の向こうから訪ねてきた旅行者か、台湾の方か知る由もない。
私が席を立つ頃になっても、彼女は時折山肌を上ってくる海からの風に、肩までの黒髪を靡かせていた。

秋を装う季節になって、彼女はどこかを、こんどは微笑みを湛えて旅しているだろうか。なんだか気になる。

ずいぶん長くかかってしまった夏の台湾紀行も、これで筆を置くことにしたい。

<40年前に街で流れたJ-POP>
恋の予感 / 安全地帯 1984


甲虫兄弟と排骨酥面と葡萄啤酒と 内湾線・六家線を完乗!

2024-07-27 | 呑み鉄放浪記 番外編

長い直線区間、ずいぶん前に前照灯の煌めきを見た気がしたけれど、
待つこと数分、ようやく2両編成のDRC1000型気動車が竹東車站に入ってきた。
新竹から山間部へ28キロ、この日は内湾線のディーゼルカーに揺られている。

台北09:00発の自強号に乗って70分、台湾のシリコンバレー新竹にやってきた。
内湾線はここ新竹車站を起点に、頭前渓を遡って竹東そして内湾を結んでいる。
元々は石炭輸送を目的に敷設されたらしい。戦後、台湾鉄路管理局が開業させた路線だ。

跨線橋を渡って内湾線の第三月台、気動車が待っていると思いきや、深青の4両編成の電車が止まっている。
どうやら台湾新幹線の新竹駅に繋ぐために、途中の竹中車站まで電化・高架・複線に生まれ変わったらしい。

ところで台鉄の新竹車站は、バロックとゴシックがコラボした1913年の生まれ。東京駅とは姉妹駅だ。
ハイテクの町だけど、車站を中心とした旧市街は清代、日本統治時代の旧い建築物が残っている。
それでは内湾線に揺られる前に、この旧い街並みをぶらり。

新竹車站を背にして正面に見えるのが(東門城)竹塹城迎曦門だ。
このロータリーから道路は放射状に延びているから、名実ともに新竹の中心であると言っていい。

東門城のロータリーを左手(西)へ進むと、この地方の守護神である城隍爺を祀る城隍廟。
おそらくこの町で最も賑やかな場所だと思う。
きらびやかな廟は、ビーフンや竹塹餅などの名物を売る屋台に囲まれて、全体を見渡すことはできない。

新竹州庁(新竹市政府)は煉瓦造りの2階建て、主要部は洋風で瓦葺き屋根の和洋折衷だ。

新竹市美術館(新竹街役場)は、こちらも赤煉瓦造りに日本式の屋根瓦を載せて美しい。

深青のMU500型は北新竹で本線(西部幹線)と離れて大きく左(東)へカーブを切る。
IT企業のビルディング群を抜け、高速道路を潜り、旧市街とは打って変わって先進都市の風景だ。

この深青の4両編成とは4つ目の竹中でお別れ、時間にして15分、席が温まる間もない。
電車は緩やかにカーブを切って視界から消える。一区間の支線を走って台湾新幹線に接続する。

第一月台に移って待つこと10分、2両編成のDRC1000型気動車がディーゼルエンジンを唸らせてやってくる。

竹中を発った2両編成はすぐさま高架を降りると、ガクンとスピードが落ちるのが分かる。
車両は左右に揺れ、広葉樹の枝が右から左からムチのように窓を叩く。これぞローカル線的風景ではある。

狂ったように冷気を吹き出す空調、わずかな乗客、窓はあっという間に白く曇っていく。
それでも新竹車站のキオスクで買った350mlをプシュッと開ける。トンと窓際に置いたら呑み鉄の始まりだ。
久しぶりのキリンに期待したけれど、この “Bar BEER” は現地生産もの、慣れ始めた台湾の味だ。

3つ目の竹東は沿線で最も賑やかな駅、内湾線の交換駅でもある。少し遅れて上り列車もやってきた。

月台で迎えてくれるキャラクラーは「甲虫兄弟」というらしい。
可愛らしくも、少し憎たらしげな表情をする奴も混じっていて、なんだか楽しい。

夏の陽がほぼ真上から容赦なく照りつけて、紅の瓦がギラギラと輝いている。
待合室には大きな扇風機が回っていて、どこかで見たことがあるような無いような、懐かしさを感じる駅だ。

客家人とは福建省や、広東省から移民してきた人たちのことで、竹東は客家人口が多いらしい。
竹東客家市場をぶらり、この辺りの生活様式を覗いてみようと思ったけれど、店はまだ準備中。

少し足を伸ばした蕭如松芸術パークは、水彩画家 蕭如松の住宅とその一角を一般公開している。
日本家屋が、ギャラリーやイベントスペース、カフェになっていて雰囲気がある。

ローカルな客家料理の店数軒にフラれて(時間が悪かった)、結局駅前の「竹東排骨酥面」へ。
コンクリート打ちっぱなしの店は、ちょっと辺りの建物から浮いている。

メニューにビールが無いのを知ってちょっとがっかり、でも暑い中熱い料理を食すのに慣れてきた3日目。
黄色い複写式の注文票の “牛肉麺” にチェックを入れる。

セルフになっている滷味(煮込料理)を、一つ二つと突っついていると “牛肉麺” が着丼。
ちょっと酸っぱい?スープ、刀削麺的な太麺、じっくり煮込んだ牛肉、これは美味しい。

ふたたび竹東車站、1時間に1本の気動車がやってくるまでは、憎たらしげな甲虫兄弟と戯れる。
旧いレールを柱や梁にした昔ながらのプラットホームに、列車案内だけがデジタルなのが妙味だ。

13:10発の下り列車で内湾線の旅を仕上げる。
お約束通り2分遅れで到着する上り列車を待って、2両編成の気動車がガクンっと動き出す。

デーゼルエンジンを唸らせて頭前渓の長い鉄橋を渡ると、気動車はいよいよ狭い谷間を上り始める。

キーンキーンと甲高い摩擦音を響かせて、右へ左へ半径の小さなカーブは続く。
ここらでプシュッっと、台湾ビールが出しているご当地もの “葡萄啤酒” を開ける。
六角精児バンドの「デーゼル」を聴きながら、時々トンネル、時々グビリとビール。甘すぎるなぁコレ。 

広大なセメント工場のヤードが残る九讃頭車站、恋人たちの聖地となった愛情(合興)車站に停車して、
いよいよ終点の内湾車站に到着する。新竹から乗り通せば、ちょうど1時間の旅になる。
って宇宙人の少女?ここでも奇妙なキャラクターが迎えてくれた。

かつての内湾車站は、林業や炭鉱業で賑わっていたと言う。
なるほど単式ホームは、2両編成の気動車が停まるためだけには、あまりにも長いのだ。

水色のタイルを貼った駅舎の木枠の窓は全開で、天井から大きな扇風機が淀んだ空気をかき混ぜている。
木製の椅子には、ランニングシャツの小父さんがが茶を飲んでいる。列車に乗るアテもないのだろうに。

近年のレトロブームに乗っかって、週末には観光客が溢れ、人気を集める内湾老街。
客家ちまきや、擂茶、麻糬などを頬張りながら歩いたら、きっと楽しい。

町はずれの内湾吊橋を渡ってみた。夕立後の対岸には亜熱帯の森が緑を濃くしている。
子どもが走って、揺れる吊橋から上流を眺めると、油羅渓の風景が雄大だ。

1時間後、呑み人はふたたび竹中車站に立っている。
最初に乗った深青の4両編成で、台湾新幹線と連絡する六家までのひと区間を乗車する。

深青の4両編成は左90°の大きなカーブを切って、新幹線と並走して頭前渓鉄橋を渡るとほどなく六家、
目の前に現れる無数のオフィスビルとタワーマンションに吸い込まれていくかのようだ。

のどかな田園風景と、レトロな老街での食べ歩きを楽しむ内湾線の旅。ゲートウェイの新竹までは、
台北から臺鐡の特急で70分、高鐡の新幹線で35分。なるほど小さな旅やデートコースにちょうど良い。
かく言う呑み人も、新幹線で台北に戻ってから呑み直すつもりなのだ。

内湾線 新竹〜内湾 27.9km 完乗
六家線 竹中〜六家   3.1km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
夏の日 / オフコース 1984


夕立とマンゴーかき氷とブルーベリー・アイスティーと

2024-07-24 | 旅行記

雨季に入った台湾の降雨量は東京の2倍、滞在中は毎日のように激しい雨に見舞われた。
ギラつく真夏の太陽がにわかに湧いた黒雲に覆われると、案の定バケツがひっくり返った帰国前の午前中。
ボクらは「陳記百果園」飛び込んだ。日本でいうと昭和なフルーツパーラーだ。

フルーツが豊富な台湾、やはり代表格はマンゴーか。っで、たぶん一番人気の “マンゴーかき氷” を択ぶ。
甘さ控えめの練乳をかけて、ゴロゴロと大きめのマンゴーが、とにかく甘い、美味い。
頂上のマンゴーアイスがいい感じにかき氷に溶けだして、口の中でフワフワと堪らない。

そういえば初日も、とてつもない豪雨に見舞われた。
フライトが遅い同行者を待つ間に、やはり信義淡水線に乗って中正紀念堂を訪ねた。
巨大な蒋介石の座像にまみえた直後、やはり大きなバケツがひっくり返った。

飛び込んだ國家戲劇院の1階、ちょっと格調高い「風景書店」に併設されたカフェがご機嫌だ。
微かに流れるジャズを聴きながら、ソファーに身を委ねて “ブルーベリー・アイスティー” を愉しんだ。

忙しく乗って呑んだ台湾紀行だけど、時にはこんなステキな足止めを過ごした5日間なのだ。

マージービートで唄わせて / 竹内まりや 1984  


Taipei メトロに乗って 熊讃と翡翠の地獄谷と鴛鴦火鍋と 北投支線を完乗!

2024-07-20 | 呑み鉄放浪記 番外編

北投車站の第四月台(4番ホーム)に、トロピカルに化粧されたC371型電車がゆっくりと入ってきた。
この色調で短い編成がモソモソと動くのは、まるで芋虫を見るようである。
観光や通勤の需要が旺盛だけど、北投支線は騒音対策のため、運転速度25km/h、3両編成の制限がかかる。

中正紀念堂站から乗車した信義淡水線が、たまたま途中駅の北投止まりだった。
到着前の車内放送がどうやら乗換案内をしている。調べてみると短い支線があるようだ。
これは潰しておかないと。ってことで北投支線に乗り換えて、温泉リゾートに寄り道する。

トロピカルな3両編成は、窓にスモークを貼り付け、ガンガン冷房が効いて快適この上ない。
最後尾車両には “くまモン” みたいなのが居る。ほっぺは赤くない。これはセーフなのか?
とにかくこの台湾ツキノワグマのキャラクターは、子どもたちに大人気だった。

立派な高架複線の路線を4分かけて、芋虫は新北投站までの1.2キロを這っていく。
電車のドアが開くと満員の乗客をホームに溢れさせる。本当は6両を軽快に走らせたいところだろう。

新北投温泉は清代の末期に発見され、日本統治時代に開発された台湾を代表する温泉地。
温泉博物館に寄って、混浴の温泉浴池(水着着用)かホテルの立ち寄り湯に浸かっらた楽しいだろう。

かく言う呑み人は予定外の訪問で時間がなく、とりあえず涼しげなオブジェから親水公園を歩く。
途中、日本流のおもてなしを提供する日勝生加賀屋では、和服姿のお姐さんがお客様をお見送りしている。

親水公園の小径を登り切ると90℃の温泉が沸々と、硫黄の匂いを充満させ地獄谷が口を開けている。
翡翠に似た緑色の酸性泉は「青湯」と呼ばれ、新北投3つの源泉のうちの一つだ。

新北投站まで戻ると、駅舎に隣接する公園に日本式木造建築を見つけた。
屋根から突き出したドーマー窓、軒下の腕木の彫刻、なかなかお洒落な建造物は旧新北投駅。
どうやら台湾鉄道にも淡水線とそこから分岐する新北投支線があって、1988まで営業していたそうだ。

裏手に回ると客車2両分ほどのプラットホームが再現してあって、青い客車が留置されている。
オハ形式に似た鋼製客車は、スーベニアショップになっていて、自由に乗降しては往時を思い起こさせる。

今宵もホテルのある中山站まで戻ってから、食べておくべき “鴛鴦(おしどり)火鍋” で一杯。
唐辛子たっぷりの “辣香鍋” と 漢方香辛料で甘く仕立てた “白湯鍋” をハーフ&ハーフでいただく。

もはやお馴染みになった “台湾啤酒” で乾杯。これって鍋には合いそうだ。
先ずは “麺包豆腐” を双方の鍋に潜らせて味を見る。おっかなびっくりの辣香鍋もほどよい辛さで美味。

続いて “帆立” と “鮑魚” を放り込む。これは白湯鍋の方がいいね。
ビールを “台湾啤酒 生18” に変える。
豚ロースと魚のすり身は睡蓮菜を添えて、辣香に白湯にと交互に浸して美味しい。

猛暑の夏に冷房の効いた店で、ほどよく辛い火鍋を突いて啤酒を楽しむ。これまた一興なのだ。
駆け足で訪ねた短い短い新北投支線の旅。次に訪れる機会には投宿してゆっくり湯に浸かりたいものだ。

台北捷運 新北投支線 北投〜新北投 1.2km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
サヨナラは八月のララバイ / 吉川晃司 1984


Biz-Lunch 豐盛食堂@永康街・台北「菜圃蛋」

2024-07-17 | 旅行記

信義淡水線の東門站を降りると、ちょっとオシャレな街「永康街」が広がっている。
人気のレストラン、カフェ、ショップが集まっていて、鼎泰豊(ディンタイフォン)の本店もこのエリアにある。

呑み人が訪ねる「豐盛食堂」は台湾家庭料理を楽しめる人気店、
アパートメントの1階に、外壁を煉瓦で飾った古民家風で、レトロな内装の店だ。

もうボクには馴染になった台灣啤酒の “生ビール18Days” をシュポンと。この栓抜きがいいね。
楽しんだのは “菜圃蛋”、切り干し大根の食感が楽しい。ようやくこの定番にたどり着いた。

お通し的に抓んだ “涼拌鮮筍”、これは美味しい。
茹でタケノコを冷やして、甘みのあるマヨネーズをかかる。爪楊枝で突っつきながらビールが美味い。
“菜乾肉” は豚角煮、じっくり煮込んだ豚肉とカリフラワーに青菜を添えて、これはいける。

帰国前のお昼にして出会えた美味くて雰囲気の良い店、次回もきっと伺います。ご馳走さまでした。

<40年前に街で流れたJ-POP>
ニュアンスしましょ / 香坂みゆき 1984


Taipei メトロに乗って 淡水名物阿給と蒜香醃蜆仔と紹興酒と 淡水信義線を完乗!

2024-07-13 | 呑み鉄放浪記 番外編

精悍な青いラインを流して、6両編成のC301型が北投站に駆け込んできた。
北回帰線上、真上から照りつける夏の陽がシルバーのボディーをギラつかせている。
終わりの見えないミッションに手をつけるようだけど、台北メトロは先ず淡水信義線で呑む。

淡水信義線の当面の起点は象山站、駅への入り口は深緑の美しい象山公園の中にポッカリと口を開けている。
この日の気温も朝から35℃を超えてこの頃の日本と変わらない。でも台北っ子は平然と街を闊歩している。

地下ホームに降りると、丁度ガラスの壁の向こうにブルーのラインの6両編成が終着した。
電車はほどなく折り返し淡水ゆきとなる。
ところで淡水信義線の路線カラーは赤、駅に振られたナンバーも「R」で始まる。
んっと、でも車体にはブルーライン。この辺りが決まりが悪いというか、納得できないボクなのだ。

淡水信義線は幅の広い信義路を西進し、やがて景福門のロータリーに至る。正面には總統府が見える筈だ。
一つ目の駅は 台北101/世貿站、地上では台湾最も高い「台北101」(508m)の竹が天を衝いている。

ブルーのラインの6両編成が反時計回りに中正紀念堂を半周して進路を北に変えると台大醫院站。
緑溢れる西洋風の二二八和平公園を巡って總統府の正面に出る。
總統府は1919年、日本の台湾総督府として建てられた。赤煉瓦のバロック式が青空に映えて美しい。

ひとっ子一人いない休日の官庁街を歩いて、見えてきた青い八角形の瓦屋根が中正紀念堂だ。
戦後、台湾を支配した中国国民党の初代総統蒋介石を記念して建てられた。

89段の石段を上った紀念堂の内部には、巨大な蒋介石の座像が置かれている。
この建物が前世紀に建てられたことを思うと、何だか社会主義国の個人崇拝にも似て好感は持てない。
でも毎時0分の衛兵の交代式は一見の価値がある。ここに向かい合う微動だにしない衛兵が凛々しい。

ひと駅戻ったかたちで中正紀念堂站から淡水信義線の旅は続く。
アイスクリーム売りのおばちゃんの誘いを躱してホームに降りると、今度の電車は途中駅の北投止まり。

中正紀念堂、台大醫院と停まったら次が台北車站、メトロは信義淡水線と板南線がクロスする。
橙の瓦をのせた巨大な台北車站、中央ロビーは6階まで吹き抜けて開放感がある。
台湾鉄路も台湾高鉄も線路は地下を走っているから、地上で列車をみることはない。

っと思ったのだが、駅舎を回り込むと東門広場に短く線路が敷かれ、蒸気機関車が静態展示されていた。
日本車輌製のLDK58号機は、まるで遊園地の乗り物のようなナローゲージ、1982年まで台東線を走ったという。

台北車站で多くの乗客を入れ替えて、ブルーのラインの6両編成はさらに北へと向かう。
確か民權西路站を出たあたりで、電車は地上に這い出て高架線路へと上がった。
中山高速公路を潜って、右手に宮殿風の圓山大飯店が見えると、車窓は郊外の景色へと変わっていく。

淡水河に基隆河が合流する關渡站あたりで、信義淡水線もまた大河の右岸に臨みラストスパートをかける。
やがて電車は6連の編成をくねらせて、終点の淡水站に到着する。台北車站から約40分、案外と長旅なのだ。

橙の瓦屋根の庇をプラットホームまで延ばして、淡水の駅舎もまた中国宮殿風に仕上がっている。
駅と河岸の間の広い芝生の公園では、あるグループは太極拳を舞い、またあるグループは卡拉OKに興じて、
中華圏らしい風景が見られる。お年寄りの生活はそう変わるものではないのだろう。

駅から続く淡水老街には、この暑さの中どこから集まったのかと訝るほどの人波、
ソフトクリームを舐めたり、イカ焼きを頬張ったり、縁日のような賑わいを楽しんでいる。

この人並みをすり抜け大学へ続く真理街という坂道を登る。汗を滴らせて。B級グルメ “阿給” を試したい。
春雨を詰め込んだ豆腐の厚揚げ、トマトソースだと思うがこれがなかなか癖になる美味さだ。
絶対にビールに合う筈だがアルコールの提供はない。額から滴る汗で、さらに塩辛く味変するのが楽しい?

ロータリーに西洋人の石像があった。
碑文にはジョージ・L・マッケイとある。宣教師であり、医師であり、教育者であったカナダ人とのこと。
その名をとっ馬偕街には、彼に縁のある滬尾偕医館、淡水礼拝堂などが並ぶ。

環河街は賑やかな屋台街からカフェが並ぶ西洋風の小径に変化し、そして淡水海関碼頭までやって来た。
石造りの埠頭で、淡水河口とその先に広がる東シナ海を眺めながら、汗が引くまで風に吹かれるのもいい。

淡水海関碼頭から中正路を挟んで高台に登ると、赤れんが造りの「紅毛城」に辿り着く。
1628年、スペインによって建設された要塞は、オランダ、鄭成功政権、イギリスと変遷した。
隣にはビクトリア様式の旧イギリス領事館が建ち、異国情緒が漂っている。

足早に見どころを巡った信義淡水線の旅は、昼呑みの機会を持てずに乗り潰してしまった。
阿給の店にもビールなかったしね。とりあえず沿線の中山站まで戻って一杯ってことで。

中山站から徒歩5分、中山北路一段の「青葉」は台湾料理の老舗レストラン。
この界隈は日本人が利用する飲食店やクラブが多い。うろ覚えだけどビジネスでも利用した記憶がある。

今宵は “紹興酒” をロックで、ゆるりと呑もうと思う。
前菜に “しじみの醤油漬け”、ニンニクが効いたのを手を汚して抓むのが楽しい。

それから “クラゲのにんにく和え”、酒が進むなぁ。今晩どうするつもりだろう。
海鮮で “かぶら菜と海老の炒め物”、ってこれもニンニク、負けじと杯を重ねる。

肉料理は “牛肉とシシトウの醤油炒め” を択ぶ。これ絶品、純米酒を合わせたら美味いだろうか。
〆は “焼きビーフン”、何というか油を感じさせない優しい一皿なのだ。

最先端の台北101から、近現代の歴史的建造物を巡って、17世紀に拓いた港町まで、
歴史を遡った信義淡水線の旅は、中山で台湾料理をアテに紹興酒に酔って終える。
さて、開けてしまった Taipeiメトロの旅、いつか完乗することが叶うだろうか。

台北捷運 信義淡水線 象山〜淡水 29.6km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
ふたりの愛ランド / 石川優子&チャゲ  1984


津々浦々酒場探訪 山男(Yamasan)@台北

2024-07-10 | 津々浦々酒場探訪

すっかり乗り慣れたレッドラインで信義安和にやって来た。台北101が紫紺に輝いている。
賑やかな信義路から南へ下ると、ぽつりぽつり洒落た店を見つけることができる。
コンクリート打ちっ放しに丸窓を穿って、山男(Yamasan)もそんな店のひとつだ。

毛だらけの足にハイソックス(たぶんブリーフ姿)男の股の間から夏の太陽が覗いている。
このシュールなエチケットは “恋夏365”、グアバのテイストのみずみずしいクラフトビールで始める。
カルパッチョは、サワラ?とトマトにミントを散らして、なかなかいいね。

鮑の蒸し物、オクラとクリームチーズの小鉢を並べて突っいてみる。
スパイシーでジューシーな鶏肉、パリッと焼けた皮、わさびのソースをつけて美味しい。

少ないリストから “ラ・ヴァレンティーナ” ってイタリアの白を択ぶ。タコのマリネサラダといい感じだ。
なす、つくね、トマトのベーコン巻き、適当に串物を焼いてもらって、ゆるりとワインを楽しむ夜なのだ。

お洒落だけどちょっと明るすぎ、お客さんもスタッフも、どこか意識高い系の若者が多い。
旧き善き酒場を愛する呑み人は択ばないタイプの店かな。お酒も押しが強いせいかラインナップは少なめだ。

でもね、料理はどれも(かなりのレベルで)美味しい。それこそオープンキッチンにでもしたら良いかも。
さほどお酒にこだわらない方、2〜3度目のデートの店を探している方、には良い選択かも。
台北を訪れて、そろそろ台湾料理にも飽きてきたら、そんな山男(Yamasan)を訪ねたらいかがだろう。

<40年前に街で流れたJ-POP>
バージンブルー / Sally 1984


紅いランタンが連なる非情城市

2024-07-06 | 旅行記

紅いランタンが連なる狭い豎崎路の階段が、東シナ海へと落ちて行く。
日が暮れた頃にこの階段を見上げたら、きっと異世界に迷い込んだ様な気持ちになるのかも知れない。

平渓線で呑んで瑞芳(ルイファン)車站まで戻ってきた。
幹線である宜蘭線の駅だが、平渓線の列車はたいていこの駅の発着だからだ。
そしてここは「非情城市」九份のゲートウェイでもある。

臭豆腐が匂う町並みを1ブロック進んで、區民廣場というバス停から金爪石ゆきの路線バスに乗ると
(酔うほどに曲がりくねった山道を飛ばして)概ね15〜20分で九份のメインストリートまで運んでくれる。

バス停からメインストリートの基山街に迷い込む。
びっしりと並んだスイーツの店、食堂、みやげもの屋が左右から庇を投げかけてアーケードを作る。
そして人、人、人。さながら夏祭りの縁日か、台北のあちらこちらに立つ夜市の様だ。

九份は19世紀末に金鉱が発見され一時期賑わいを見せた。狭い路地や石段は日本統治時代のものだ。
金鉱が枯れて急激に寂れた町は、今度は20世紀末に映画「非情城市」のロケ地になり、
このノスタルジックな街並みは再び脚光を浴びる。

豎崎路の「阿妹茶樓」は、宮崎アニメ『千と千尋の神隠し』の油屋のモデルになったという説がある。
まぁ噂の類だろうけど、その雰囲気を味わいたいのなら、やはり暮れてから訪ねるのがいい。
九份は3度目、たぶんこれが最後だと思うと、ミーハーにもこの茶藝館に入ってみる気になった。

夏の日が狂った様に照りつけた午後だけれど、海からの風が微かに簾を揺らしている。
花柄の小さなポットが結露するほどに冷えたお茶が心地よい。
空と海の色が変わって、灯が点る時間までこうしていたい気分になるね。

茶藝館のテラス席で風に吹かれて、汗がひいた頃に瑞芳の町に降りてきた。
台北に戻る列車は、これまたノスタルジックな「莒光号」に当たった。
静かに心地よく揺れる客車のシートに身を委ねて、台北までの1時間をうつらうつらするするのも愉しい。
ずいぶん遠くまで、いや遠い昔まで旅した一日が暮れて行くのだ。

<40年前に街で流れたJ-POP>
桃色吐息 / 高橋真梨子 1984


津々浦々酒場探訪 臨洋港生猛活海鮮@台北

2024-07-03 | 旅行記

旅先では旅行雑誌を飾るグルメでお洒落な店より、地元っ子が通うローカルな店で呑みたい。
台北最初の夜は、中山のホテルから長安東路一段を歩いて「臨洋港生猛活海鮮」を覗いてみる。

先ずは “台湾啤酒” で乾杯。というよりメニューに他の選択肢は見当たらない。
酔うまでひたすらにこの薄いビールを呑むのか? アテは “炒空芯菜” これは定番だね。

刺身、何だったか忘れた。厚切りが印象的で、炙ったやつが美味い。山葵のミドリが怪しい。
そんなことを考えつつもビールはすすむ。否、ほかに呑むものはない。
これは “腰果鶏丁” か。日本で食べる鶏肉のカシューナッツ炒めより少しパサついた感じだ。

「ちょっと一杯やってく?」のサラリーマンとOLのグループ、賑やかに皿を並べてやはりひたすらのビール。
大学生の男の子たちは、無料のご飯を丼に盛って、定食屋にでもやって来たよう。とにかく盛況だ。
店のおばちゃん達には、日本語はもちろん英語も通じないから、身振り手振りで伝えるのが案外楽しい。

おばちゃん、“タイガービール” が台湾のだと言い張るから択んだけど、どう考えてもシンガポールだよね。
訳も分からず択んだ最後の一皿は、イカの揚げ物らしい。美味しいんだけど少々持て余している。

人気店の前には席待ちのグループと、二軒目の相談をする男女で溢れる。
それでは我々ももう一軒、面白い店を探して街を彷徨いますか。夜は始まったばかりだから。

<40年前に街で流れたJ-POP>
迷宮のアンドローラ / 小泉今日子 1984