羽田から始発便に搭乗して岡山へ飛ぶ、期限の迫ったマイレージを消費するにはちょうど良い距離だ。
JR西日本は利用者が極めて少ないローカル線について、線区ごとの収支を公表する方針を明らかにした。
今後廃止の是非も議論もされる事だろうから、中国山地を縦横するローカル線は早めに呑み潰したい。
岡山駅前では遥か彼方を見据える桃太郎の凛々しい姿に出会える。もちろん三獣のお供を傍に侍らせて。
9番線10番線は非電化の津山線と吉備線が乗り入れて、タラコ色の国鉄型気動車がローカル線の旅を演出する。
大袈裟にエンジンを唸らせてタラコが動き出す。車重の割に非力なエンジンに、走り出しはあくまでも鈍重だ。
岡山のベットタウンらしい車窓も三つ目の玉柏駅あたりまで。その先は旭川の谷に分け入っていく。
宇甘川に架かるガーター橋を鳴らして、対抗の「快速ことぶき」が金川駅に到着する。
岡山〜津山を速達する列車名は、福渡・神目・亀甲・金川・誕生寺など縁起の良い駅名が並ぶことに由来する。
車窓のお供はJR西日本プロデュースの “岡山白桃 CHU-HI”、みずみずしい香りとほのかな甘みが美味しい。
縁起の良い “亀甲駅” で上り列車と交換、やはりキハ47系、タラコ色の2両編成だ。
かつては日本中を駆けまわったキハ40系列もJR東日本・JR東海では見ることがなくなった。
ボックスシートをに幅広の窓枠、呑みながらの鉄道の旅にはうってつけの、旅情いっぱいの車両なのだ。
津山駅は中国山地の交通の要所、津山線、因美線、姫新線がクロスしている。
蒸気機関車の時代には多くの国鉄職員を抱え、鉄道の町として栄えていただろう事は想像に難くない。
駅前のC11-80号機は、軍靴の音が近づきつつある昭和10年、瀬戸内海に面した笠戸で生まれた。
松山配属から、備後十日市(三次)、津山、会津若松と転配した後、車齢40年で廃車となった。
今では第二の故郷とも云える中国山地・津山の顔になっている。
駅を背に北へ10分も歩くと津山城址に至る。表門から高さ45mの石垣と備中櫓を見上げる。壮観だ。
津山城は森忠政(森蘭丸の弟)が鶴山に築いた平山城、明治の廃城令で天守をはじめ建造物は取り壊された。
明治初頭の写真を見ると津山城がいかに壮麗であったか知ることができる。今では石垣に感じるのみだ。
聳える石垣を右に左に巡って天守台に立つと城下を一望に見下ろし、覗き込むと脚がすくむほどだ。
天然の断崖に吉井川と宮川を回らせて、関ヶ原後の城でありながら、その堅牢な造りを想像すると圧倒される。
もう半月もすると城山は、1,000本もの咲き誇る桜に包み込まれる事だろう。いずれ桜の季節に訪ねてみたい。
旅の終わりは “そづり鍋” で一杯。
このB級グルメを食べたくて、ランチ営業をしている居酒屋に電話をしたところ、Dai黒さんが応じてくれた。
“加茂五葉” は津山の蔵・多胡本家酒造場が日本晴で醸す純米酒、硬派なやや辛が鍋や肉料理にも合いそうだ。
牛の骨からそずり(削り)おとした作州牛を、醤油ベースの甘辛な割り下で野菜やキノコそして豆腐と煮込む。
澄んだ汁、とろとろに煮込まれたそずり肉、アクセントに散らした唐辛子、あっさりとして美味しい。
鶴山城下で美作の美味い酒肴を堪能して津山線の旅は終わる。まだ日も高いから午後は鳥取をめざそうと思う。
津山線 岡山〜津山 58.7km 完乗
唇をかみしめて / 吉田拓郎 1982