旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

Go!Go!West! 9 駅そば日記 いろり庵きらく@平塚「冷やしとろろ玉子そば」

2024-08-28 | 旅のアクセント

酷暑は続くし、いつ激しい雨が降り出すか分からない空模様。
案外と、ガンガンに冷房の効いた電車にただ乗っていることが、実に快適だと気付いたこの頃。
読みかけの新書を一冊携えて、昼過ぎの東京上野ラインに乗る。
グリーンとオレンジの湘南電車に揺られること90分、頁がそう進まないうちに平塚に着く。

平塚にも改札内に「いろり庵きらく」がある。
そしてややゆったりしたこの店では、メニューに “ヱビス” の小瓶がならぶ。
よく冷えたタンブラーに黄金色を注いで、真昼のビールが楽しい。

そして “冷やしとろろ玉子そば”、黄身がかった “とろろ” を絡めて、冷たいそばが美味しい。
海岸沿いの町の駅そばは、ふんだんに振りかけた “あおさ” が気の利いたアクセントだ。

さて、次は小田原あたりまで、避暑の駅そば電車旅に出かけようか。

<40年前に街で流れたJ-POP>
SUMMER EYES / 菊池桃子 1984


Taipei メトロに乗って 淡水名物阿給と蒜香醃蜆仔と紹興酒と 淡水信義線を完乗!

2024-08-25 | 呑み鉄放浪記 番外編

精悍な青いラインを流して、6両編成のC301型が北投站に駆け込んできた。
北回帰線上、真上から照りつける夏の陽がシルバーのボディーをギラつかせている。
終わりの見えないミッションに手をつけるようだけど、台北メトロは先ず淡水信義線で呑む。

淡水信義線の当面の起点は象山站、駅への入り口は深緑の美しい象山公園の中にポッカリと口を開けている。
この日の気温も朝から35℃を超えてこの頃の日本と変わらない。でも台北っ子は平然と街を闊歩している。

地下ホームに降りると、丁度ガラスの壁の向こうにブルーのラインの6両編成が終着した。
電車はほどなく折り返し淡水ゆきとなる。
ところで淡水信義線の路線カラーは赤、駅に振られたナンバーも「R」で始まる。
んっと、でも車体にはブルーライン。この辺りが決まりが悪いというか、納得できないボクなのだ。

淡水信義線は幅の広い信義路を西進し、やがて景福門のロータリーに至る。正面には總統府が見える筈だ。
一つ目の駅は 台北101/世貿站、地上では台湾最も高い「台北101」(508m)の竹が天を衝いている。

ブルーのラインの6両編成が反時計回りに中正紀念堂を半周して進路を北に変えると台大醫院站。
緑溢れる西洋風の二二八和平公園を巡って總統府の正面に出る。
總統府は1919年、日本の台湾総督府として建てられた。赤煉瓦のバロック式が青空に映えて美しい。

ひとっ子一人いない休日の官庁街を歩いて、見えてきた青い八角形の瓦屋根が中正紀念堂だ。
戦後、台湾を支配した中国国民党の初代総統蒋介石を記念して建てられた。

89段の石段を上った紀念堂の内部には、巨大な蒋介石の座像が置かれている。
この建物が前世紀に建てられたことを思うと、何だか社会主義国の個人崇拝にも似て好感は持てない。
でも毎時0分の衛兵の交代式は一見の価値がある。ここに向かい合う微動だにしない衛兵が凛々しい。

ひと駅戻ったかたちで中正紀念堂站から淡水信義線の旅は続く。
アイスクリーム売りのおばちゃんの誘いを躱してホームに降りると、今度の電車は途中駅の北投止まり。

中正紀念堂、台大醫院と停まったら次が台北車站、メトロは信義淡水線と板南線がクロスする。
橙の瓦をのせた巨大な台北車站、中央ロビーは6階まで吹き抜けて開放感がある。
台湾鉄路も台湾高鉄も線路は地下を走っているから、地上で列車をみることはない。

っと思ったのだが、駅舎を回り込むと東門広場に短く線路が敷かれ、蒸気機関車が静態展示されていた。
日本車輌製のLDK58号機は、まるで遊園地の乗り物のようなナローゲージ、1982年まで台東線を走ったという。

台北車站で多くの乗客を入れ替えて、ブルーのラインの6両編成はさらに北へと向かう。
確か民權西路站を出たあたりで、電車は地上に這い出て高架線路へと上がった。
中山高速公路を潜って、右手に宮殿風の圓山大飯店が見えると、車窓は郊外の景色へと変わっていく。

淡水河に基隆河が合流する關渡站あたりで、信義淡水線もまた大河の右岸に臨みラストスパートをかける。
やがて電車は6連の編成をくねらせて、終点の淡水站に到着する。台北車站から約40分、案外と長旅なのだ。

橙の瓦屋根の庇をプラットホームまで延ばして、淡水の駅舎もまた中国宮殿風に仕上がっている。
駅と河岸の間の広い芝生の公園では、あるグループは太極拳を舞い、またあるグループは卡拉OKに興じて、
中華圏らしい風景が見られる。お年寄りの生活はそう変わるものではないのだろう。

駅から続く淡水老街には、この暑さの中どこから集まったのかと訝るほどの人波、
ソフトクリームを舐めたり、イカ焼きを頬張ったり、縁日のような賑わいを楽しんでいる。

この人並みをすり抜け大学へ続く真理街という坂道を登る。汗を滴らせて。B級グルメ “阿給” を試したい。
春雨を詰め込んだ豆腐の厚揚げ、トマトソースだと思うがこれがなかなか癖になる美味さだ。
絶対にビールに合う筈だがアルコールの提供はない。額から滴る汗で、さらに塩辛く味変するのが楽しい?

ロータリーに西洋人の石像があった。
碑文にはジョージ・L・マッケイとある。宣教師であり、医師であり、教育者であったカナダ人とのこと。
その名をとっ馬偕街には、彼に縁のある滬尾偕医館、淡水礼拝堂などが並ぶ。

環河街は賑やかな屋台街からカフェが並ぶ西洋風の小径に変化し、そして淡水海関碼頭までやって来た。
石造りの埠頭で、淡水河口とその先に広がる東シナ海を眺めながら、汗が引くまで風に吹かれるのもいい。

淡水海関碼頭から中正路を挟んで高台に登ると、赤れんが造りの「紅毛城」に辿り着く。
1628年、スペインによって建設された要塞は、オランダ、鄭成功政権、イギリスと変遷した。
隣にはビクトリア様式の旧イギリス領事館が建ち、異国情緒が漂っている。

足早に見どころを巡った信義淡水線の旅は、昼呑みの機会を持てずに乗り潰してしまった。
阿給の店にもビールなかったしね。とりあえず沿線の中山站まで戻って一杯ってことで。

中山站から徒歩5分、中山北路一段の「青葉」は台湾料理の老舗レストラン。
この界隈は日本人が利用する飲食店やクラブが多い。うろ覚えだけどビジネスでも利用した記憶がある。

今宵は “紹興酒” をロックで、ゆるりと呑もうと思う。
前菜に “しじみの醤油漬け”、ニンニクが効いたのを手を汚して抓むのが楽しい。

それから “クラゲのにんにく和え”、酒が進むなぁ。今晩どうするつもりだろう。
海鮮で “かぶら菜と海老の炒め物”、ってこれもニンニク、負けじと杯を重ねる。

肉料理は “牛肉とシシトウの醤油炒め” を択ぶ。これ絶品、純米酒を合わせたら美味いだろうか。
〆は “焼きビーフン”、何というか油を感じさせない優しい一皿なのだ。

最先端の台北101から、近現代の歴史的建造物を巡って、17世紀に拓いた港町まで、
歴史を遡った信義淡水線の旅は、中山で台湾料理をアテに紹興酒に酔って終える。
さて、開けてしまった Taipeiメトロの旅、いつか完乗することが叶うだろうか。

台北捷運 信義淡水線 象山〜淡水 29.6km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
ふたりの愛ランド / 石川優子&チャゲ  1984


津々浦々酒場探訪 臨洋港生猛活海鮮@台北

2024-08-22 | 津々浦々酒場探訪

旅先では旅行雑誌を飾るグルメでお洒落な店より、地元っ子が通うローカルな店で呑みたい。
台北最初の夜は、中山のホテルから長安東路一段を歩いて「臨洋港生猛活海鮮」を覗いてみる。

先ずは “台湾啤酒” で乾杯。というよりメニューに他の選択肢は見当たらない。
酔うまでひたすらにこの薄いビールを呑むのか? アテは “炒空芯菜” これは定番だね。

刺身、何だったか忘れた。厚切りが印象的で、炙ったやつが美味い。山葵のミドリが怪しい。
そんなことを考えつつもビールはすすむ。否、ほかに呑むものはない。
これは “腰果鶏丁” か。日本で食べる鶏肉のカシューナッツ炒めより少しパサついた感じだ。

「ちょっと一杯やってく?」のサラリーマンとOLのグループ、賑やかに皿を並べてやはりひたすらのビール。
大学生の男の子たちは、無料のご飯を丼に盛って、定食屋にでもやって来たよう。とにかく盛況だ。
店のおばちゃん達には、日本語はもちろん英語も通じないから、身振り手振りで伝えるのが案外楽しい。

おばちゃん、“タイガービール” が台湾のだと言い張るから択んだけど、どう考えてもシンガポールだよね。
訳も分からず択んだ最後の一皿は、イカの揚げ物らしい。美味しいんだけど少々持て余している。

人気店の前には席待ちのグループと、二軒目の相談をする男女で溢れる。
それでは我々ももう一軒、面白い店を探して街を彷徨いますか。夜は始まったばかりだから。

<40年前に街で流れたJ-POP>
迷宮のアンドローラ / 小泉今日子 1984  


津々浦々酒場探訪 夜行列車@上野

2024-08-17 | 津々浦々酒場探訪

上野駅ほど夜行列車が似合う駅は無いと思う。
ボクがそう思うのは、物心ついた時分すでに新幹線が博多開業し、
東京駅を発つ夜行列車といえば、華やかなブルートレインが主役で、出張とか旅行をイメージさせた。

一方の上野駅は、燻んだ青に塗られた急行列車が、頭端式の地上ホームから次々と北へと出発し、
A寝台B寝台にグリーン車、普通車、荷物車、郵便車などで混成した不揃いの客車列車は、
帰省とか旅とか、言い換えると「郷愁」とか「哀愁」を漂わせていたからかも知れない。

手元に色褪せた時刻表がある。1967年10月、大きなダイヤ改正があった時のものだ。
この古い時刻表をなぞってみる。23:30発の「第4十和田」は仙台で朝を迎える。
車窓には今頃は色づき始めた稲が、遥か遠くの山裾まで大崎平野の田園風景が広がっているはずだ。
ここで醸された “一ノ蔵” をグラスに注いでもらう。ほどよい酸味、キレ味の辛口純米だ。

広小路口から横断歩道を渡ってガード沿を2ブロック、日本酒BAR「夜行列車」がある。
間口の狭いの店には12席のカウンター、日本酒メニューの木札には東北・北陸信越の地酒がラインナップ。
お盆を迎えるご同輩は、夜行列車のきっぷを懐に、この店で一足早く故郷の酒を呑んだだろうか。

時代は降って、この手のお店で女子3人が昼から呑んでたりして、ガード下の風景も変わったんだろうなぁ。

上野を21:00に発つ「羽黒」は羽越線経由の秋田ゆき、朝日に輝く出羽三山を遠望して06:40酒田に着く。
酒田の酒 “上喜元” の純米吟醸は清涼感とキレがある酒だ。アテは本マグロ、赤貝、甘エビで盛り合わせ。
北前船で栄えた湊町酒田に旅したら、酒田舞娘の艶やかな踊りを観ながら、日本海の幸でこの酒を呑みたい。

帰宅ラッシュの19:30に13番線を出発した「越前」は、未明の長野、早朝の富山・金沢を経て、福井は07:11着。
今では北陸新幹線で3時間を切る東京〜福井も、当時の夜行列車は12時間もかけて走ったんだね。

越前大野の “花垣” はボクの好きな酒、純米吟醸 “米しずく” は濃厚なうまみがある。
アテはへしこの代わりになるかと “鯖の燻製”、わさびをチョイとつけて、これは旨い。

お盆の帰省ラッシュを眺めながら、夜行列車と古い時刻表と日本酒で、居ながらに旅する呑み人なのだ。

<40年前に街で流れたJ-POP>
前略、道の上より / 一世風靡セピア 1984


Go!Go!West! 8 駅そば日記 濱そば@辻堂「冷やしかき揚げ天玉そば」

2024-08-13 | 旅のアクセント

昨年11月、藤沢駅の3・4番ホームで営業していた大船軒が閉店してしまったから、次は辻堂になる。
辻堂のホームは思いがけず幅が広いのだけど、めざす「駅そば」は見つからない。
っで、東改札へと向かう階段を登っていくと。辛うじて改札内に「濱そば」を見つけた。
そして辻堂での選択は、オーソドックスにしかしちょっと贅沢に “冷やしかき揚げ天玉そば” なのだ。

先ずはワサビを満遍なくつゆに溶いて、ピリッとした冷たいそばを啜る。美味しいね。
次にかき揚げをつゆに浸して、解れるほどにそばに絡めて、その甘さを楽しむ。
そばが三分の一くらいになったところで、玉子を箸で割る。ほら麺に絡みはじめた。
玉子の絡み方で味が七変化してこれまた楽しい。最後につゆまで飲み干して満足なのだ。

再びホームに降りる。青いラインの特急が案外心地よい風を起こして通り過ぎていった。
さて、次回は小田原あたりで旅情の一杯を啜るとしましょうか。

<40年前に街で流れたJ-POP>
夏のフォトグラフ / 石川秀美 1984


紅いランタンが連なる非情城市

2024-08-10 | 旅行記

紅いランタンが連なる狭い豎崎路の階段が、東シナ海へと落ちて行く。
日が暮れた頃にこの階段を見上げたら、きっと異世界に迷い込んだ様な気持ちになるのかも知れない。

平渓線で呑んで瑞芳(ルイファン)車站まで戻ってきた。
幹線である宜蘭線の駅だが、平渓線の列車はたいていこの駅の発着だからだ。
そしてここは「非情城市」九份のゲートウェイでもある。

臭豆腐が匂う町並みを1ブロック進んで、區民廣場というバス停から金爪石ゆきの路線バスに乗ると
(酔うほどに曲がりくねった山道を飛ばして)概ね15〜20分で九份のメインストリートまで運んでくれる。

バス停からメインストリートの基山街に迷い込む。
びっしりと並んだスイーツの店、食堂、みやげもの屋が左右から庇を投げかけてアーケードを作る。
そして人、人、人。さながら夏祭りの縁日か、台北のあちらこちらに立つ夜市の様だ。

九份は19世紀末に金鉱が発見され一時期賑わいを見せた。狭い路地や石段は日本統治時代のものだ。
金鉱が枯れて急激に寂れた町は、今度は20世紀末に映画「非情城市」のロケ地になり、
このノスタルジックな街並みは再び脚光を浴びる。

豎崎路の「阿妹茶樓」は、宮崎アニメ『千と千尋の神隠し』の油屋のモデルになったという説がある。
まぁ噂の類だろうけど、その雰囲気を味わいたいのなら、やはり暮れてから訪ねるのがいい。
九份は3度目、たぶんこれが最後だと思うと、ミーハーにもこの茶藝館に入ってみる気になった。

夏の日が狂った様に照りつけた午後だけれど、海からの風が微かに簾を揺らしている。
花柄の小さなポットが結露するほどに冷えたお茶が心地よい。
空と海の色が変わって、灯が点る時間までこうしていたい気分になるね。

茶藝館のテラス席で風に吹かれて、汗がひいた頃に瑞芳の町に降りてきた。
台北に戻る列車は、これまたノスタルジックな「莒光号」に当たった。
静かに心地よく揺れる客車のシートに身を委ねて、台北までの1時間をうつらうつらするするのも愉しい。
ずいぶん遠くまで、いや遠い昔まで旅した一日が暮れて行くのだ。

<40年前に街で流れたJ-POP>
桃色吐息 / 高橋真梨子 1984


Biz-Lunch 恩田@大塚「ぶっかけげそ天うどん」

2024-08-07 | Biz-Lunch60分1本勝負

こんな暑い日には、ついつい冷たい麺類に手が出る。
空蝉通り北交差点近くの「恩田」も、そんな時に訪ねたいカードの一枚だ。
この日注文したのは “冷ぶっかけげそ天うどん”、ランチにはミニ丼が付く。ボクは “とろろめし” を択ぶ。
十分にコシを楽しめる手打ちの讃岐、サッパリとしたつゆにレモンと刻みネギでさわやかに美味しい。
目の前で揚げている天ぷらはなかなかのクオリティー。
先ずはカラッと揚がった “げそ” を食し、〆につゆが沁みてしっとりしたのを味わう。旨いぞ。
ちょっと親父さんが気難しいのが玉に瑕だけど、この味わいに再訪したくなる店なのだ。

<40年前に街で流れたJ-POP>
晴れ、ときどき殺人 / 渡辺典子 1984


天燈と旧い炭鉱の町と台湾啤酒と 平渓線を完乗!

2024-08-03 | 呑み鉄放浪記 番外編

基隆河に沿った谷間の十分車站で、瑞芳ゆきDRC1000型気動車が下り列車とのタブレット交換を待っている。
どことなく、日本国中のローカル線を走っていた旧国鉄の気動車に面持ちが似ている。
ステンレスのボディーに橙と黄で少し派手目に化粧した気動車で、今回は平渓線を呑んで乗る。

平渓線の起点は三貂嶺(さんちょうれい)車站、基隆河の崖上の駅は、旧保津峡駅に似ているだろか。
台北からここまでは、区間車(普通列車)に乗ってちょうど1時間ほどの距離になる。
平渓線で遊ぶのなら、台北からの「平渓線/深澳雙支線一日週遊券」72元を求めるといい。

花蓮方面に向かう特急列車が爆走する本線から分岐して、平渓線はガタゴトと基隆河を遡る。
谷間をうねうねと延びていく鉄路は、日本でよく見るローカル線の風景と変わらないけど、
覆い被さってくる樹木が、ここが北回帰線が通る南国であることを感じさせる。
ちょっとした日帰り旅に人気のローカル線だから、3両編成の気動車はラッシュ並みの乗客で溢れている。

沿線で最も乗降客が多い十分(シーフェン)車站、どうやら乗客のほとんどはこの駅で降りてしまうらしい。
ここは平渓線で唯一交換ができる駅だから、上り列車を待って、ゆったり10分ほど停車する。

平渓線はもともと、日本統治時代に炭田開発を目的として民間企業が敷設した。
その後、台湾総督府鉄道が買収し、台湾鉄路となって今に至っている。

十分老街は線路沿いに屋台や土産屋を連ね、列車がやってくる直前まで線路上に観光客が溢れている。
商店街の軒をかすめるようして、ディゼルカーが警笛を響かせながら走り抜けるのがこの町の風景だ。

列車が行き過ぎると、線路上からは次々に天燈(ランタン)が夏空に舞い上がる。
健康は赤、恋愛は橙、金運は黄といった感じに、ランタンの色によって叶う願い事が違うそうだ。
大きく両手を広げて、目の前のご夫婦は、願い事いっぱいに4色のランタンを放っていた。

十分老街を漫ろ歩く。町はずれにこの国のどこにでもありそうな道教寺院がある。
独特な線香の匂いが漂ってくるし、なにより赤を基調とした建物は見逃しようがない。

場末の食堂を覗いた。たしか「十分牛肉麺」といった。
あとでWebで検索したけれど、必ずしも評判の良い店ではなさそうだ。まぁボクは気にならない。
とにかくクーラーが効いた店で、冷たいビールにありつきたい。

“水餃子” に薄口の醤油をかけて、“台湾啤酒” の相手をさせる。
看板のはずの牛肉麺は品切れで、択んだのは “海鮮麺”。汗をかいた身体に塩味は案外いいかも知れない。

再びの十分車站、満員の観光客を吐き出して、ガラんとした気動車で旅の後半をゆく。


<新北市政府観光旅遊局のページより>

十分〜大華の間で車窓に見える「十分瀑布」は、吊り橋を渡るハイキングコースで訪ねることができる。
「台湾のナイアガラ」と呼ばれるのは甚だ大袈裟だけど、幅40m落差20mはそれなりに迫力がある。
20年ほど前に一度歩いているのだけれど、今回はもくもくと湧き上がる黒雲に怖気付いて予定変更。

案の定、終点まで20分の旅の半分、窓の外はバケツをひっくり返したような雨のスクリーン。
デビュー当時は優等列車に使用されたDRC1000型、ロングシートに変更されているけどなぜか革張り。
広い窓枠は車中酒派には嬉しい仕様、っというわけでプシュッと “台湾啤酒CLASSIC” を開ける。
この苦味のあるCLASSICは、日本統治時代製造された「高砂ビール」の味を引き継いでいる。

嘘のように土砂降りの雨が上がった頃、3両編成の気動車は終点の菁桐(ジントン)車站に到着。
かつて石炭輸送で賑わった構内には、何本かの引き込み線と洗炭場が残っていて、往時を偲ばせる。

白く塗った木造の壁に瓦をのせて、駅舎は1929年に建てられた日本式木造家屋。
周囲はノスタルジックな商店街になっている。本当はもう少し旧い炭鉱の町を歩きたいところだけれど、
そんな商店街の雑貨屋で3本目の “台湾啤酒” を求めて、折り返しの瑞芳ゆきに乗車するのだ。

平渓線 三貂嶺〜菁桐 12.9km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
STARSHIP / アルフィー 1984