旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

08:06発の最終電車 住吉公園行きで 阪堺電気軌道線を完乗!

2015-12-30 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

地下鉄御堂筋線の天王寺駅、11番出口の薄暗い階段を上ると上町線の天王寺駅前電停。
廃線になるのは住吉から住吉公園間の0.2km、この住吉公園行が1月末で見納めとなる。
この区間は朝の数往復しか運行しない。乗車する天王寺駅前08:06発が最終電車なのだ。

阪堺電気軌道は大阪みなみから堺へ至る路面電車、1月末で一部路線が廃線になる。
で大阪までやってきた。起点恵美須町は新世界の玄関口、通天閣を眺め串かつで一杯。

路面電車の阪堺電気軌道ではあるけれど専用軌道区間も多い。
帝塚山を過ぎたあたりでは南海高野線をひと跨ぎしている。

住吉で阪堺線(本線)とクロスする、この先の盲腸のような200mが廃線となるのだ。
多くのファンがカメラを構える交差点を抜け、日本一早い終電が住吉公園に終着する。

住吉大社に詣でる。反橋は太鼓橋とも呼ばれ住吉の象徴として有名。
石の橋脚は淀君が奉納したと云われる。昔はこのあたりまで波が打ち寄せていたそうだ。

反橋を渡ると正面に角鳥居。古い様式で珍しい四角柱の鳥居であるためにこう呼ばれる。

「初詣はすみよっさん」と大阪では言われるメジャーなスポット。
境内は準備で大わらわ、露店、テントのお食事処、居酒屋、お化け屋敷も準備中。
どれだけ賑わうのだろうか。

 

浜寺公園は明治6年に完成した日本最古の公園のひとつ。
白砂青松の美しい浜辺だったそうで5,500本の松林が名残りとなっている。

 

いまでは埋め立ての人工島ができて、かつての浜辺は運河のように見える。
春と秋に見頃を迎えるばら庭園も有名な浜寺公園の正面から阪堺線は出発する。

阪堺線(本線)は浜寺駅前と恵美須町を結んでいるが直通する電車は1本もない。
すべては本来支線の上町線に乗り入れて天王寺駅前へ向かう。

 

恵美須町へは電車庫のある我孫子道で乗り換え、浜寺駅前からの電車を見送ると、
まもなくトリコロールにコテコテな広告を塗りたくったレトロな車両が車庫から登場。

 

阪堺線は南海本線に並行している。そのせいか長い区間を乗車する人は殆どいない。
シルバー層を中心に自転車代わりに数区間を乗っていく。まさに庶民の足なのだ。
例外は住吉鳥居前から乗り込んできたスペイン語を話すグループ、通訳ガイドも一緒だ。
なるほど大阪を体感できる楽しいオプションだと思う。

コテコテの電車が終着する恵美須町は新世界へのゲートウェイのひとつ。
早速足を踏み入れた街並みは電車以上にコテコテなのだ。

賑わう通りを冷やかしてから「やまとや1号店」を訪ねる。やっぱり "串かつ" でしょう。

盛り合わせ(ししとう、牛肉、エビ、ナス、イカ)をいただく。
揚げ方?油?ソースもそうかな、説明はできないけれどとにかく美味い。
サイドメニューの「タコのうま煮」これがまた絶品。大阪の食は深く侮りがたし。
これから先、大阪の乗り(呑み)潰しが楽しみなのだ。

阪堺電気軌道 上町線 天王寺駅前~住吉公園 4.6km 完乗
阪堺電気軌道 阪堺線 浜寺駅前~恵美須町     14.1km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
時代 / 中島みゆき 1975


"私鉄沿線" 懐かしの浜田山と井の頭公園 京王・井の頭線を完乗!

2015-12-26 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 京王井の頭線に乗るのはほんと久しぶり。
渋谷駅も車両もすっかり新しくなって、学生時代とはずいぶん様子が違うなぁ。
吉祥寺行の急行に乗ると下北沢、明大前と乗換駅に停まっていく。

急行は路線のほぼ中央、永福町で先行する各駅停車に追いつく。
各駅停車に乗り換えるのは、20代前半を過ごした浜田山の町を訪ねるためだ。

あの頃の浜田山駅は平屋のコンクリート造り。小さな売店があったかな。
ホームに出るには上り線を踏切で渡った。そう『私鉄沿線』の情景のような駅だった。

駅裏の縄のれんを潜って昼飲みなど、その名も「ふみきり」。
串揚げで一杯と思ったけど "ぜいたく海鮮丼+鯛だし茶漬け" ってのに惹かれてしまった。

いくら、まぐろ、鯛、トロ、数の子、つぶ貝、ぶり、出汁入り溶き玉子をかけて美味。
丼が空くとお替りのご飯で鯛だし茶漬けを作ってくれる。これまた美味なのだ。

 終点のひとつ手前は、冬晴れの井の頭公園駅。
デートのカップル、子ども連れのご夫婦、愛犬と散歩、ジョギングと賑やかだ。

仕上げにもうひと区間乗車すると住みたい街ランキング第1位の吉祥寺に終着する。
井の頭線の6両編成は満員の乗客を吐き出すと、慌ただしく渋谷へと折り返していく。

京王井の頭線 渋谷~吉祥寺 12.7km 完乗

私鉄沿線 / 野口五郎 1975


十一丁目茶屋のテラスで "煮込おでん" を 京王・高尾線を完乗!

2015-12-19 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

京王線の終点手前の北野から高尾線は分岐する。
特急に乗車すれば、めじろ台、高尾に停まって高尾山口までは僅かに10分だ。

終点高尾山口の駅名表示は木目調で洒落ている。
英語に簡体字とハングルが併記され、高尾山が人気のスポットであることを実感する。

 

今春、リニューアルした高尾山口駅は、高尾山薬王院をイメージしたデザイン。
内外装にスギが使われたモダンで温もりのある駅舎は高尾山温泉極楽湯も併設する。

 

お約束の名物 "串だんご" をかじりながら、ぶらぶら5分ほど上ると高尾登山電鉄清滝駅。
折角なのでこのケーブルカーにも乗車してみる。

12月も半ばだけれど、まだ紅葉も残っていて車窓が楽しい。
ケーブルカーは最大斜度31度、6分ほどの乗車で標高472mまで連れて行ってくれる。

高尾山に登ってきたからといって山頂は目指さない。だって革靴だし。
さあ飲もう!この眺望を楽しみながら。
十一丁目茶屋のテラス席に陣取って "煮込おでん" でビールを一杯。眺めが良くて爽快だ。

京王高尾線 北野~高尾山口 8.6km 完乗
高尾登山電鉄 清滝~高尾山 1.0km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
白い約束 / 山口百恵 1975


Biz-Lunch そば処いってつ@旧東海道・品川宿「品川宿そば」

2015-12-16 | Biz-Lunch60分1本勝負

 旧東海道の時代、品川宿では街道のすぐわきから遠浅の海が広がっていたそうです。
浅草海苔は品川で採れたもの、そしてアサリも。
この海苔とアサリを天玉の上にちらした名物メニューは、その名も "品川宿そば"。
まずは熱々ピリ辛のつけ汁で味わって、後半は溶き玉子でまろやかな味を楽しみます。
ちょっと高めですが、試す価値ありです。


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<40年前に街で流れたJ-POP>
ハートのエースが出てこない / キャンディーズ 1975


甲州道中紀行6 猿橋宿~駒橋宿~大月宿~花咲宿~初狩宿~白野宿・阿弥陀海道宿・黒野田宿

2015-12-12 | 甲州道中紀行

 

09:00「猿橋宿」
 田畑や車のフロントグラスに霜が降りた寒い朝、三嶋神社前から第6日目をスタート。
結局、猿橋宿では本陣や脇本陣などの遺構は認められなかった。
宿場の京方出口と覚しきほぼ直角のカーブに、青面金剛王庚申塔が在る。
江戸日本橋から二十三里目の「殿上一里塚」もこのあたりで、塚木は桃だったそうだ。

桂川の対岸に見えるのは「岩殿城址」、武田家の武将小山田信茂の居城であった。

09:20「駒橋宿」
 厄王大権現が見えてくると駒橋宿。猿橋宿からはわずかに1.5kmだが独立した宿場だ。
本陣も脇本陣もなく、問屋1、旅籠4軒からなっていた。

 

旅籠橿屋跡が立派な井桁造りの家屋を残す。門柱に旧い屋号である「橿屋」を刻んでいる。

09:40「大月宿」
 大月宿はJR大月駅構内の南側に並行して延びる。
本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠2軒となんともバランスを欠いている。
前後の宿場と相互補完するのか、本陣・脇本陣を持たない駒橋宿からは1.1kmと近い距離。
駅前広場を横切る街道には、中沢屋・浜野屋・市川屋と現代の旅籠、ビジネスホテルが並ぶ。

 

明治天皇御召換所跡碑が立つ溝口本陣跡を過ぎると桂川の谷にぶつかる。
橋の袂に「富士山道追分道標」が並ぶ。
R20は桂川を渡って直進、左に分かれて桂川沿いを往くのが富士山道だ。

 

10:10「下花咲一里塚」
 “しばらくは 花の上なる 月夜かな” の芭蕉句碑は天保13年(1842年)建立されたもの。
ここは江戸日本橋から二十四里目、下花咲一里塚は小ぶりな南塚が復元されている。

 

10:20「下花咲宿」
 下花咲宿は、本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠22軒からなっている。
次の上花咲宿と合宿で、問屋業務は月の後半15日を担った。
星野本陣は天保6年(1835年)の火災後に再建されたものだそうだ。

 

10:30「上花咲宿」
 0.6km先の上花咲宿は、本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠13軒からなる。
問屋業務は月の前半15日を担って下花咲宿と合宿だ。本陣・脇本陣などの遺構はない。
旧道左手に馬頭観音、庚申塔、地蔵尊の石仏石塔群、右手に廿三夜塔を見て宿場を抜ける。

大月市真木のR20沿いに古びた食事処が2店軒を連ねている。
昭和30~40年代のドライブインってところか。なんだか懐かしい風景ではある。

 

R20の99km地点あたりから笹子川の南岸、中央本線に沿った旧道を歩くことができる。
11:00を過ぎたというのに路面の日陰部分には霜が降りたままだ。

 

11:25「下初狩宿」
 左手に初狩駅のかつてのスイッチバック構造が見えると、下初狩宿の宿並みに入っていく。
本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠12軒からなり、次の中初狩宿と合宿だ。
問屋業務は月の後半を担っていた。
奥脇本陣跡には門構えが残り、小説家「山本周五郎生誕之地」碑が立っていた。

 

11:40「中初狩宿」
 0.9kmでほどなく中初狩宿に入る。本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠25軒からなる。
問屋業務は月の前半を担っていた。やはり小林本陣跡が門構えを残している。

中初狩宿を出て暫く進むと、石垣の段上に石仏石塔群が行き交う車を見下ろしている。
このうち地蔵尊は正徳元年(1711年)、秋葉山常夜燈は安永7年(1778年)のものだ。

 

12:15「白野宿」
 R20から右手に旧道を入っていくと白野宿となる。
滝子川沿いの白野一里塚は江戸日本橋から二十六里目、西塚は榎、東塚は松が塚木だった。
白野宿の規模は、本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠4軒だ。
笹子峠を控え阿弥陀街道・黒野田と3宿が合宿で、問屋業務は毎月23日から月末までを担った。

 

立派な山門を有する白野山宝林寺下あたりが今泉本陣、天野脇本陣が在った場所のようだ。

宿場の京方出口の子神社は旧白野村の鎮守だ。ここから大鹿峠を越える裏街道が分岐する。

12:55~13:25「阿弥陀海道宿」
 奈良時代の僧行基が、笹子峠の悪霊を鎮める為、この地に阿弥陀如来像を安置した。
この阿弥陀堂が地名に由来した宿場は、本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠4軒の規模であった。
問屋業務は毎月16日から22日までを担った。本陣、脇本陣などの遺構は残っていない。
代わりに存在感を示しているのは笹一酒造。
常々酒蔵は宿場の華だと主張しているのがだ、この蔵に限って創業は大正8年。
すでに輸送の主流が甲州街道から鉄道(中央本線)に移ってからなのだ。

 

笹一酒造の直営ショップ「酒遊館」で昼食休憩。
“笹一純米吟醸” で喉を潤して、地野菜たっぷりの “田舎うどん” を楽しむ。
さすがに味付けは濃い目だ。

 

難所笹子峠の矢立の杉で、峠の力持ちとして売られていた名物 “笹子餅” のお店がある。
かつては駅売りや車内販売が主であったが、いまではサービスエリアでの販売が中心だ。

 

13:40「黒野田宿」
 難所笹子峠を控えて賑わった黒野田宿は、本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠14軒。
問屋業務は月初から15日までを担い、過ぎてきた白野宿、阿弥陀海道宿と合宿だ。
宿並みには愛らしい笠懸地蔵が鎮座する。天野本陣跡には本陣門が残っている。
甲州街道を歩く第6日目は、猿橋宿~駒橋宿~大月宿と刻み、富士山道を追分て、
下花咲宿・上花咲宿、笹子川沿いに下初狩宿・中初狩宿を通り、笹子峠を控える
白野宿・阿弥陀海道宿・黒野田宿まで15.7km、所要4時間40分の行程となった。


Biz-Lunch 居酒屋裏馬場@旧東海道・品川宿「サバみりん漬け焼き」

2015-12-09 | Biz-Lunch60分1本勝負

 天王洲から西へ10分ほど歩くと古くからの商店街がある。ここは旧東海道品川宿。
ここ北品川商店街まで来ると、新しい街天王洲にはない美味いランチに巡り会ったりする。
きょうは居酒屋裏馬場の「サバみりん漬け焼き」、これは旨い。


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<40年前に街で流れたJ-POP>
ゆれてる私 / 桜田淳子 1975


甲州道中紀行5 上野原宿~鶴川宿~野田尻宿~犬目宿~鳥沢宿~猿橋宿

2015-12-05 | 甲州道中紀行

 

10:00「上野原宿」
 甲州街道を歩く第5日目行程は、“酒まんじゅう” の上野原宿、本陣跡からスタートする。
R20で測ると東京日本橋から74.0kmになる。
甲州道中は宿場の外れ本町交差点でR20別れ、中央自動車道と絡みながら段丘の上を往く。

上野原の町は桂川の支流鶴川の谷で途切れ、中央自動車道は谷をひと跨ぎして西進する。 

旧甲州街道は谷底まで下りて鶴川を渡る。橋の反対側に直線状に延びる集落が鶴川宿だ。

 

10:25「鶴川宿」
 鶴川橋を渡ってから山道に入るまでの300mほどの直線が鶴川宿の中心。
上野原宿からわずか1.8kmの距離で宿場が開かれている。
おそらくは鶴川が川留となった際に旅人を逗留させるためだろう。

 

鶴川宿は本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠8軒からなっていた。
宿並みの中に鎮座する鶴川神社は寛文元年(1661年)の創建だ。
富田本陣も脇本陣も残っていないが、双方とも門構えなく玄関付だったそうだ。
本陣跡あたりには日に何本かしかやって来ないバス停が立っている。

 

桂川の河岸段丘を上っていく道は、新しい住宅とこんな古い土蔵などが混在している。
段丘を上りきると中央自動車道が緩やかな勾配で西へ向かっていた。
これから先、旧甲州街道の道筋は自動車道に上書きされたり潰されたりしている。

     

11:00「大椚一里塚」
 江戸日本橋から十九里目の大椚一里塚は新しい碑と解説板があるのみ。
塚木は無かったという。

 

大椚集落あたりは石塔石仏をたくさん見ることができる。
左)廿三夜塔 : 寛政12年(1800年)建立
右)秋葉山常夜燈 : 安永6年(1777年)建立、念仏供養塔 : 文政2年(1819年)建立

 

左)男女双体道祖神、馬頭観音、庚申塔など
右)大日如来坐像と千手観音坐像が安置された「大椚観音堂」と裏手の石仏群

大椚集落をぬけると暫し中央自動車道と並行する。いや旧道は自動車道に潰されている。
渋滞情報で頻繁に耳にする談合坂サービスエリア付近だ。

 

11:35「野田尻宿」
 下り線の談合坂SAの北側に並行して野田尻宿が在る。
本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠9軒で、ここも鶴川が川留になると賑わったという。
宮田本陣跡は更地になって、向かい側の旅籠大黒屋跡の旧家前に野田尻宿碑がある。
宿並は明治19年の大火で消失している。

宿場の西の外れに臨済宗西光寺、天長元年(824年)の創建は街道よりずっと歴史が旧い。 

野田尻宿を抜けて山道の入口に天満宮の祠がある。
傍らには馬頭観音。ずっと昔から西へ往く旅人を見送り、江戸へ往く旅人を迎えていた。

 

11:50「萩野一里塚」
 江戸日本橋から二十里目の萩野一里塚も残っていない。
県道の擁壁上に跡を示す杭が打たれているだけだ。塚木は松であったという。

 

12:30「犬目宿」
 犬目宿に着く。ずいぶんと上ってきた。
街道時代には房総の海、富士の眺望が良いところと評判だったそうだ。
犬目宿碑の立つ無料休憩所には “冷えたビール有ります” と手書きPOPがある。
けれど土曜日曜は13時からともある、残酷だ。

犬目宿は本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠15軒の規模。
左)笹屋脇本陣跡は白壁が雰囲気を出している。岡村本陣跡は一般的な住宅が建っている。

曹洞宗宝勝寺の小高い境内に上ると、犬目宿評判の富士山の眺望が楽しめる。
北斎の描いた「富嶽三十六景甲州犬目峠」もこの境内から描いたという。

 

県道30号となっている旧甲州街道は山肌に沿ってカーブを繰り返す。
所々幾つかのカーブをショートカットするように古道を歩くことができる。
その一つが君恋坂、日本武尊が東国征伐の帰途、弟橘姫を恋しく思い偲んだことに由来する。
この坂を上りきると一軒宿の君恋温泉、鉱泉の沸湯だそうだ。

12:55「恋塚一里塚」
 江戸日本橋から二十一番目の恋塚一里塚、片塚(南塚)が残っている。
甲州道中初めて一里塚に出会う。塚木は南塚は杉、今は無き北塚は松だったそうだ。

 

一里塚からわずかで山住神社、鳥居の傍らに古い石仏が並んでいる。
ここから先の古道は急な下り坂の古道は滑り止めの石畳を敷いた道になっている。

古道から県道に戻ると間もなく市境となり大月市山谷集落に入る。
集落の入口には馬頭観音の祠があり、石仏石塔が並んでいる。

 

旧甲州街道は山谷集落から沢沿いに桂川に向かってその河岸段丘を下っていく。
その距離2kmほど、苦労して上ったのに勿体ない。坂を下りきって桂川まで達する。
谷底の桂川にR20と中央本線が絡みあって西へ向かう。街道もここでR20に合流するのだ。

13:35「下鳥沢宿」
 R20と合流したあたりから下鳥沢宿なのだが何の遺構もない。
下鳥沢宿は本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠11軒の規模、1km先の上鳥沢との合宿であった。

 

13:40~14:20「上鳥沢一里塚」
 江戸日本橋から二十二番目の上鳥沢一里塚は小さな標柱が商店の前にあるだけだ。
茶屋ならぬ大衆食堂で遅めのランチ、上高井戸宿、府中宿に続けて3食目のカツ丼。
味噌汁には春菊が入っていた。

 

14:25「上鳥沢宿」
 上鳥沢宿は、合宿の下鳥沢宿から一里塚を挟んで1km。
これが中山道の大きめの宿場ならひとつの宿並みの内、輸送量の違いが分かる。
本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠13軒、問屋業務は月の後半15日間を担っていた。
井上本陣跡は更地で、明治天皇駐蹕地の碑がある。

深い横吹沢を渡って上鳥沢宿を出て西へ向かう。
橋のたもとの竹林に大小の馬頭観音が祀られ旅人を見送っている。

15:00「猿橋」
 幅広の河原をつくって流れていた桂川は、この辺りでは狭くて深い渓谷を刻んでいる。
名勝猿橋は、橋脚を使わずに両岸から張り出した四層のはね木で橋を支えている。
岩国の錦帯橋、中山道の木曽の桟と並んで日本三大奇橋と呼ばれる。
現在の橋は昭和59年に、嘉永4年(1851年)の図面により、復元されたものだ。

15:20「猿橋宿」
 R20に上書きされた甲州街道を大月方面に向かう。冬至を目前の陽はすでに低く弱い。
左手に大小の馬頭観音に迎えられ猿橋宿に入って行く。
猿橋宿は本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠10軒からなり、芝居小屋も立つ大きな宿場だった。
電車の時間が迫るので、旧殿上村の鎮守三嶋神社で今回の行程を終える。
上野原宿から鶴川宿、野田尻宿を経て、“富士の絶景奇絶たる” 犬目宿へ。
恋塚一里塚を見ながら下鳥沢・上鳥沢宿、名勝猿橋を渡って猿橋宿までは19.2km。
所要5時間20分の行程となった。