旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

甲虫兄弟と排骨酥面と葡萄啤酒と 内湾線・六家線を完乗!

2024-07-27 | 呑み鉄放浪記 番外編

長い直線区間、ずいぶん前に前照灯の煌めきを見た気がしたけれど、
待つこと数分、ようやく2両編成のDRC1000型気動車が竹東車站に入ってきた。
新竹から山間部へ28キロ、この日は内湾線のディーゼルカーに揺られている。

台北09:00発の自強号に乗って70分、台湾のシリコンバレー新竹にやってきた。
内湾線はここ新竹車站を起点に、頭前渓を遡って竹東そして内湾を結んでいる。
元々は石炭輸送を目的に敷設されたらしい。戦後、台湾鉄路管理局が開業させた路線だ。

跨線橋を渡って内湾線の第三月台、気動車が待っていると思いきや、深青の4両編成の電車が止まっている。
どうやら台湾新幹線の新竹駅に繋ぐために、途中の竹中車站まで電化・高架・複線に生まれ変わったらしい。

ところで台鉄の新竹車站は、バロックとゴシックがコラボした1913年の生まれ。東京駅とは姉妹駅だ。
ハイテクの町だけど、車站を中心とした旧市街は清代、日本統治時代の旧い建築物が残っている。
それでは内湾線に揺られる前に、この旧い街並みをぶらり。

新竹車站を背にして正面に見えるのが(東門城)竹塹城迎曦門だ。
このロータリーから道路は放射状に延びているから、名実ともに新竹の中心であると言っていい。

東門城のロータリーを左手(西)へ進むと、この地方の守護神である城隍爺を祀る城隍廟。
おそらくこの町で最も賑やかな場所だと思う。
きらびやかな廟は、ビーフンや竹塹餅などの名物を売る屋台に囲まれて、全体を見渡すことはできない。

新竹州庁(新竹市政府)は煉瓦造りの2階建て、主要部は洋風で瓦葺き屋根の和洋折衷だ。

新竹市美術館(新竹街役場)は、こちらも赤煉瓦造りに日本式の屋根瓦を載せて美しい。

深青のMU500型は北新竹で本線(西部幹線)と離れて大きく左(東)へカーブを切る。
IT企業のビルディング群を抜け、高速道路を潜り、旧市街とは打って変わって先進都市の風景だ。

この深青の4両編成とは4つ目の竹中でお別れ、時間にして15分、席が温まる間もない。
電車は緩やかにカーブを切って視界から消える。一区間の支線を走って台湾新幹線に接続する。

第一月台に移って待つこと10分、2両編成のDRC1000型気動車がディーゼルエンジンを唸らせてやってくる。

竹中を発った2両編成はすぐさま高架を降りると、ガクンとスピードが落ちるのが分かる。
車両は左右に揺れ、広葉樹の枝が右から左からムチのように窓を叩く。これぞローカル線的風景ではある。

狂ったように冷気を吹き出す空調、わずかな乗客、窓はあっという間に白く曇っていく。
それでも新竹車站のキオスクで買った350mlをプシュッと開ける。トンと窓際に置いたら呑み鉄の始まりだ。
久しぶりのキリンに期待したけれど、この “Bar BEER” は現地生産もの、慣れ始めた台湾の味だ。

3つ目の竹東は沿線で最も賑やかな駅、内湾線の交換駅でもある。少し遅れて上り列車もやってきた。

月台で迎えてくれるキャラクラーは「甲虫兄弟」というらしい。
可愛らしくも、少し憎たらしげな表情をする奴も混じっていて、なんだか楽しい。

夏の陽がほぼ真上から容赦なく照りつけて、紅の瓦がギラギラと輝いている。
待合室には大きな扇風機が回っていて、どこかで見たことがあるような無いような、懐かしさを感じる駅だ。

客家人とは福建省や、広東省から移民してきた人たちのことで、竹東は客家人口が多いらしい。
竹東客家市場をぶらり、この辺りの生活様式を覗いてみようと思ったけれど、店はまだ準備中。

少し足を伸ばした蕭如松芸術パークは、水彩画家 蕭如松の住宅とその一角を一般公開している。
日本家屋が、ギャラリーやイベントスペース、カフェになっていて雰囲気がある。

ローカルな客家料理の店数軒にフラれて(時間が悪かった)、結局駅前の「竹東排骨酥面」へ。
コンクリート打ちっぱなしの店は、ちょっと辺りの建物から浮いている。

メニューにビールが無いのを知ってちょっとがっかり、でも暑い中熱い料理を食すのに慣れてきた3日目。
黄色い複写式の注文票の “牛肉麺” にチェックを入れる。

セルフになっている滷味(煮込料理)を、一つ二つと突っついていると “牛肉麺” が着丼。
ちょっと酸っぱい?スープ、刀削麺的な太麺、じっくり煮込んだ牛肉、これは美味しい。

ふたたび竹東車站、1時間に1本の気動車がやってくるまでは、憎たらしげな甲虫兄弟と戯れる。
旧いレールを柱や梁にした昔ながらのプラットホームに、列車案内だけがデジタルなのが妙味だ。

13:10発の下り列車で内湾線の旅を仕上げる。
お約束通り2分遅れで到着する上り列車を待って、2両編成の気動車がガクンっと動き出す。

デーゼルエンジンを唸らせて頭前渓の長い鉄橋を渡ると、気動車はいよいよ狭い谷間を上り始める。

キーンキーンと甲高い摩擦音を響かせて、右へ左へ半径の小さなカーブは続く。
ここらでプシュッっと、台湾ビールが出しているご当地もの “葡萄啤酒” を開ける。
六角精児バンドの「デーゼル」を聴きながら、時々トンネル、時々グビリとビール。甘すぎるなぁコレ。 

広大なセメント工場のヤードが残る九讃頭車站、恋人たちの聖地となった愛情(合興)車站に停車して、
いよいよ終点の内湾車站に到着する。新竹から乗り通せば、ちょうど1時間の旅になる。
って宇宙人の少女?ここでも奇妙なキャラクターが迎えてくれた。

かつての内湾車站は、林業や炭鉱業で賑わっていたと言う。
なるほど単式ホームは、2両編成の気動車が停まるためだけには、あまりにも長いのだ。

水色のタイルを貼った駅舎の木枠の窓は全開で、天井から大きな扇風機が淀んだ空気をかき混ぜている。
木製の椅子には、ランニングシャツの小父さんがが茶を飲んでいる。列車に乗るアテもないのだろうに。

近年のレトロブームに乗っかって、週末には観光客が溢れ、人気を集める内湾老街。
客家ちまきや、擂茶、麻糬などを頬張りながら歩いたら、きっと楽しい。

町はずれの内湾吊橋を渡ってみた。夕立後の対岸には亜熱帯の森が緑を濃くしている。
子どもが走って、揺れる吊橋から上流を眺めると、油羅渓の風景が雄大だ。

1時間後、呑み人はふたたび竹中車站に立っている。
最初に乗った深青の4両編成で、台湾新幹線と連絡する六家までのひと区間を乗車する。

深青の4両編成は左90°の大きなカーブを切って、新幹線と並走して頭前渓鉄橋を渡るとほどなく六家、
目の前に現れる無数のオフィスビルとタワーマンションに吸い込まれていくかのようだ。

のどかな田園風景と、レトロな老街での食べ歩きを楽しむ内湾線の旅。ゲートウェイの新竹までは、
台北から臺鐡の特急で70分、高鐡の新幹線で35分。なるほど小さな旅やデートコースにちょうど良い。
かく言う呑み人も、新幹線で台北に戻ってから呑み直すつもりなのだ。

内湾線 新竹〜内湾 27.9km 完乗
六家線 竹中〜六家   3.1km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
夏の日 / オフコース 1984


Taipei メトロに乗って 熊讃と翡翠の地獄谷と鴛鴦火鍋と 北投支線を完乗!

2024-07-20 | 呑み鉄放浪記 番外編

北投車站の第四月台(4番ホーム)に、トロピカルに化粧されたC371型電車がゆっくりと入ってきた。
この色調で短い編成がモソモソと動くのは、まるで芋虫を見るようである。
観光や通勤の需要が旺盛だけど、北投支線は騒音対策のため、運転速度25km/h、3両編成の制限がかかる。

中正紀念堂站から乗車した信義淡水線が、たまたま途中駅の北投止まりだった。
到着前の車内放送がどうやら乗換案内をしている。調べてみると短い支線があるようだ。
これは潰しておかないと。ってことで北投支線に乗り換えて、温泉リゾートに寄り道する。

トロピカルな3両編成は、窓にスモークを貼り付け、ガンガン冷房が効いて快適この上ない。
最後尾車両には “くまモン” みたいなのが居る。ほっぺは赤くない。これはセーフなのか?
とにかくこの台湾ツキノワグマのキャラクターは、子どもたちに大人気だった。

立派な高架複線の路線を4分かけて、芋虫は新北投站までの1.2キロを這っていく。
電車のドアが開くと満員の乗客をホームに溢れさせる。本当は6両を軽快に走らせたいところだろう。

新北投温泉は清代の末期に発見され、日本統治時代に開発された台湾を代表する温泉地。
温泉博物館に寄って、混浴の温泉浴池(水着着用)かホテルの立ち寄り湯に浸かっらた楽しいだろう。

かく言う呑み人は予定外の訪問で時間がなく、とりあえず涼しげなオブジェから親水公園を歩く。
途中、日本流のおもてなしを提供する日勝生加賀屋では、和服姿のお姐さんがお客様をお見送りしている。

親水公園の小径を登り切ると90℃の温泉が沸々と、硫黄の匂いを充満させ地獄谷が口を開けている。
翡翠に似た緑色の酸性泉は「青湯」と呼ばれ、新北投3つの源泉のうちの一つだ。

新北投站まで戻ると、駅舎に隣接する公園に日本式木造建築を見つけた。
屋根から突き出したドーマー窓、軒下の腕木の彫刻、なかなかお洒落な建造物は旧新北投駅。
どうやら台湾鉄道にも淡水線とそこから分岐する新北投支線があって、1988まで営業していたそうだ。

裏手に回ると客車2両分ほどのプラットホームが再現してあって、青い客車が留置されている。
オハ形式に似た鋼製客車は、スーベニアショップになっていて、自由に乗降しては往時を思い起こさせる。

今宵もホテルのある中山站まで戻ってから、食べておくべき “鴛鴦(おしどり)火鍋” で一杯。
唐辛子たっぷりの “辣香鍋” と 漢方香辛料で甘く仕立てた “白湯鍋” をハーフ&ハーフでいただく。

もはやお馴染みになった “台湾啤酒” で乾杯。これって鍋には合いそうだ。
先ずは “麺包豆腐” を双方の鍋に潜らせて味を見る。おっかなびっくりの辣香鍋もほどよい辛さで美味。

続いて “帆立” と “鮑魚” を放り込む。これは白湯鍋の方がいいね。
ビールを “台湾啤酒 生18” に変える。
豚ロースと魚のすり身は睡蓮菜を添えて、辣香に白湯にと交互に浸して美味しい。

猛暑の夏に冷房の効いた店で、ほどよく辛い火鍋を突いて啤酒を楽しむ。これまた一興なのだ。
駆け足で訪ねた短い短い新北投支線の旅。次に訪れる機会には投宿してゆっくり湯に浸かりたいものだ。

台北捷運 新北投支線 北投〜新北投 1.2km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
サヨナラは八月のララバイ / 吉川晃司 1984


Taipei メトロに乗って 淡水名物阿給と蒜香醃蜆仔と紹興酒と 淡水信義線を完乗!

2024-07-13 | 呑み鉄放浪記 番外編

精悍な青いラインを流して、6両編成のC301型が北投站に駆け込んできた。
北回帰線上、真上から照りつける夏の陽がシルバーのボディーをギラつかせている。
終わりの見えないミッションに手をつけるようだけど、台北メトロは先ず淡水信義線で呑む。

淡水信義線の当面の起点は象山站、駅への入り口は深緑の美しい象山公園の中にポッカリと口を開けている。
この日の気温も朝から35℃を超えてこの頃の日本と変わらない。でも台北っ子は平然と街を闊歩している。

地下ホームに降りると、丁度ガラスの壁の向こうにブルーのラインの6両編成が終着した。
電車はほどなく折り返し淡水ゆきとなる。
ところで淡水信義線の路線カラーは赤、駅に振られたナンバーも「R」で始まる。
んっと、でも車体にはブルーライン。この辺りが決まりが悪いというか、納得できないボクなのだ。

淡水信義線は幅の広い信義路を西進し、やがて景福門のロータリーに至る。正面には總統府が見える筈だ。
一つ目の駅は 台北101/世貿站、地上では台湾最も高い「台北101」(508m)の竹が天を衝いている。

ブルーのラインの6両編成が反時計回りに中正紀念堂を半周して進路を北に変えると台大醫院站。
緑溢れる西洋風の二二八和平公園を巡って總統府の正面に出る。
總統府は1919年、日本の台湾総督府として建てられた。赤煉瓦のバロック式が青空に映えて美しい。

ひとっ子一人いない休日の官庁街を歩いて、見えてきた青い八角形の瓦屋根が中正紀念堂だ。
戦後、台湾を支配した中国国民党の初代総統蒋介石を記念して建てられた。

89段の石段を上った紀念堂の内部には、巨大な蒋介石の座像が置かれている。
この建物が前世紀に建てられたことを思うと、何だか社会主義国の個人崇拝にも似て好感は持てない。
でも毎時0分の衛兵の交代式は一見の価値がある。ここに向かい合う微動だにしない衛兵が凛々しい。

ひと駅戻ったかたちで中正紀念堂站から淡水信義線の旅は続く。
アイスクリーム売りのおばちゃんの誘いを躱してホームに降りると、今度の電車は途中駅の北投止まり。

中正紀念堂、台大醫院と停まったら次が台北車站、メトロは信義淡水線と板南線がクロスする。
橙の瓦をのせた巨大な台北車站、中央ロビーは6階まで吹き抜けて開放感がある。
台湾鉄路も台湾高鉄も線路は地下を走っているから、地上で列車をみることはない。

っと思ったのだが、駅舎を回り込むと東門広場に短く線路が敷かれ、蒸気機関車が静態展示されていた。
日本車輌製のLDK58号機は、まるで遊園地の乗り物のようなナローゲージ、1982年まで台東線を走ったという。

台北車站で多くの乗客を入れ替えて、ブルーのラインの6両編成はさらに北へと向かう。
確か民權西路站を出たあたりで、電車は地上に這い出て高架線路へと上がった。
中山高速公路を潜って、右手に宮殿風の圓山大飯店が見えると、車窓は郊外の景色へと変わっていく。

淡水河に基隆河が合流する關渡站あたりで、信義淡水線もまた大河の右岸に臨みラストスパートをかける。
やがて電車は6連の編成をくねらせて、終点の淡水站に到着する。台北車站から約40分、案外と長旅なのだ。

橙の瓦屋根の庇をプラットホームまで延ばして、淡水の駅舎もまた中国宮殿風に仕上がっている。
駅と河岸の間の広い芝生の公園では、あるグループは太極拳を舞い、またあるグループは卡拉OKに興じて、
中華圏らしい風景が見られる。お年寄りの生活はそう変わるものではないのだろう。

駅から続く淡水老街には、この暑さの中どこから集まったのかと訝るほどの人波、
ソフトクリームを舐めたり、イカ焼きを頬張ったり、縁日のような賑わいを楽しんでいる。

この人並みをすり抜け大学へ続く真理街という坂道を登る。汗を滴らせて。B級グルメ “阿給” を試したい。
春雨を詰め込んだ豆腐の厚揚げ、トマトソースだと思うがこれがなかなか癖になる美味さだ。
絶対にビールに合う筈だがアルコールの提供はない。額から滴る汗で、さらに塩辛く味変するのが楽しい?

ロータリーに西洋人の石像があった。
碑文にはジョージ・L・マッケイとある。宣教師であり、医師であり、教育者であったカナダ人とのこと。
その名をとっ馬偕街には、彼に縁のある滬尾偕医館、淡水礼拝堂などが並ぶ。

環河街は賑やかな屋台街からカフェが並ぶ西洋風の小径に変化し、そして淡水海関碼頭までやって来た。
石造りの埠頭で、淡水河口とその先に広がる東シナ海を眺めながら、汗が引くまで風に吹かれるのもいい。

淡水海関碼頭から中正路を挟んで高台に登ると、赤れんが造りの「紅毛城」に辿り着く。
1628年、スペインによって建設された要塞は、オランダ、鄭成功政権、イギリスと変遷した。
隣にはビクトリア様式の旧イギリス領事館が建ち、異国情緒が漂っている。

足早に見どころを巡った信義淡水線の旅は、昼呑みの機会を持てずに乗り潰してしまった。
阿給の店にもビールなかったしね。とりあえず沿線の中山站まで戻って一杯ってことで。

中山站から徒歩5分、中山北路一段の「青葉」は台湾料理の老舗レストラン。
この界隈は日本人が利用する飲食店やクラブが多い。うろ覚えだけどビジネスでも利用した記憶がある。

今宵は “紹興酒” をロックで、ゆるりと呑もうと思う。
前菜に “しじみの醤油漬け”、ニンニクが効いたのを手を汚して抓むのが楽しい。

それから “クラゲのにんにく和え”、酒が進むなぁ。今晩どうするつもりだろう。
海鮮で “かぶら菜と海老の炒め物”、ってこれもニンニク、負けじと杯を重ねる。

肉料理は “牛肉とシシトウの醤油炒め” を択ぶ。これ絶品、純米酒を合わせたら美味いだろうか。
〆は “焼きビーフン”、何というか油を感じさせない優しい一皿なのだ。

最先端の台北101から、近現代の歴史的建造物を巡って、17世紀に拓いた港町まで、
歴史を遡った信義淡水線の旅は、中山で台湾料理をアテに紹興酒に酔って終える。
さて、開けてしまった Taipeiメトロの旅、いつか完乗することが叶うだろうか。

台北捷運 信義淡水線 象山〜淡水 29.6km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
ふたりの愛ランド / 石川優子&チャゲ  1984


天燈と旧い炭鉱の町と台湾啤酒と 平渓線を完乗!

2024-06-29 | 呑み鉄放浪記 番外編

基隆河に沿った谷間の十分車站で、瑞芳ゆきDRC1000型気動車が下り列車とのタブレット交換を待っている。
どことなく、日本国中のローカル線を走っていた旧国鉄の気動車に面持ちが似ている。
ステンレスのボディーに橙と黄で少し派手目に化粧した気動車で、今回は平渓線を呑んで乗る。

平渓線の起点は三貂嶺(さんちょうれい)車站、基隆河の崖上の駅は、旧保津峡駅に似ているだろか。
台北からここまでは、区間車(普通列車)に乗ってちょうど1時間ほどの距離になる。
平渓線で遊ぶのなら、台北からの「平渓線/深澳雙支線一日週遊券」72元を求めるといい。

花蓮方面に向かう特急列車が爆走する本線から分岐して、平渓線はガタゴトと基隆河を遡る。
谷間をうねうねと延びていく鉄路は、日本でよく見るローカル線の風景と変わらないけど、
覆い被さってくる樹木が、ここが北回帰線が通る南国であることを感じさせる。
ちょっとした日帰り旅に人気のローカル線だから、3両編成の気動車はラッシュ並みの乗客で溢れている。

沿線で最も乗降客が多い十分(シーフェン)車站、どうやら乗客のほとんどはこの駅で降りてしまうらしい。
ここは平渓線で唯一交換ができる駅だから、上り列車を待って、ゆったり10分ほど停車する。

平渓線はもともと、日本統治時代に炭田開発を目的として民間企業が敷設した。
その後、台湾総督府鉄道が買収し、台湾鉄路となって今に至っている。

十分老街は線路沿いに屋台や土産屋を連ね、列車がやってくる直前まで線路上に観光客が溢れている。
商店街の軒をかすめるようして、ディゼルカーが警笛を響かせながら走り抜けるのがこの町の風景だ。

列車が行き過ぎると、線路上からは次々に天燈(ランタン)が夏空に舞い上がる。
健康は赤、恋愛は橙、金運は黄といった感じに、ランタンの色によって叶う願い事が違うそうだ。
大きく両手を広げて、目の前のご夫婦は、願い事いっぱいに4色のランタンを放っていた。

十分老街を漫ろ歩く。町はずれにこの国のどこにでもありそうな道教寺院がある。
独特な線香の匂いが漂ってくるし、なにより赤を基調とした建物は見逃しようがない。

場末の食堂を覗いた。たしか「十分牛肉麺」といった。
あとでWebで検索したけれど、必ずしも評判の良い店ではなさそうだ。まぁボクは気にならない。
とにかくクーラーが効いた店で、冷たいビールにありつきたい。

“水餃子” に薄口の醤油をかけて、“台湾啤酒” の相手をさせる。
看板のはずの牛肉麺は品切れで、択んだのは “海鮮麺”。汗をかいた身体に塩味は案外いいかも知れない。

再びの十分車站、満員の観光客を吐き出して、ガラんとした気動車で旅の後半をゆく。


<新北市政府観光旅遊局のページより>

十分〜大華の間で車窓に見える「十分瀑布」は、吊り橋を渡るハイキングコースで訪ねることができる。
「台湾のナイアガラ」と呼ばれるのは甚だ大袈裟だけど、幅40m落差20mはそれなりに迫力がある。
20年ほど前に一度歩いているのだけれど、今回はもくもくと湧き上がる黒雲に怖気付いて予定変更。

案の定、終点まで20分の旅の半分、窓の外はバケツをひっくり返したような雨のスクリーン。
デビュー当時は優等列車に使用されたDRC1000型、ロングシートに変更されているけどなぜか革張り。
広い窓枠は車中酒派には嬉しい仕様、っというわけでプシュッと “台湾啤酒CLASSIC” を開ける。
この苦味のあるCLASSICは、日本統治時代製造された「高砂ビール」の味を引き継いでいる。

嘘のように土砂降りの雨が上がった頃、3両編成の気動車は終点の菁桐(ジントン)車站に到着。
かつて石炭輸送で賑わった構内には、何本かの引き込み線と洗炭場が残っていて、往時を偲ばせる。

白く塗った木造の壁に瓦をのせて、駅舎は1929年に建てられた日本式木造家屋。
周囲はノスタルジックな商店街になっている。本当はもう少し旧い炭鉱の町を歩きたいところだけれど、
そんな商店街の雑貨屋で3本目の “台湾啤酒” を求めて、折り返しの瑞芳ゆきに乗車するのだ。

平渓線 三貂嶺〜菁桐 12.9km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
STARSHIP / アルフィー 1984


Alta Velocidad Española

2024-02-24 | 呑み鉄放浪記 番外編

バルセロナ・サンツ駅、07:00発、AVE3270に乗車してマドリードへ向かう。
"Alta Velocidad Española" は、バルセロナ〜マドリードを2時間30分で結ぶ、スペイン国鉄が誇る新幹線だ。

サグラダ・ファミリア聖堂、グエル公園、カサ・ミラ、と世界遺産となったガウディ建築を訪ねる。

午後はサン・ジョセップ市場を冷やかす。世界遺産よりむしろこちらが興味深い。
果物や野菜、ハムにソーセージ、魚介類、あるいはチーズやナッツの店を覗いたら
市場内のバルでタパスをアテにCavaを愉しむ。っと漸くスペインにやってきた実感を味わう。

ホテルはバルセロ・サンツ、宇宙船をイメージしたモノトーンな客室がクールだ。
ターミナル・サンツ駅真上のホテルは、明日の便が早いから絶好のチョイスだった。

改札と荷物のX線検査を通ったら、ラウンジでプシュッとセルベッサ。
横に2+1席と並んだ1等車の革張りシートに身体を沈めたらオムレツのサービス。白ワインの小瓶を開ける。

市街地を抜けたAVE3270は徐々に速度を増して、やがて300km/hに達する。揺れもなく、すこぶる快適だ。
荒涼とした丘、オリーブの林、牧草地と羊たち、ときおりひまわり畑を眺めながら2時間30分、
やかて列車は音もなくアトーチャ・セルカニアス駅に滑り込む。文化と芸術の都マドリードに到着。
午後はプラド美術館へ、着衣のマハ、裸のマハに会いにいくつもりだ。

Barcelona-Sants 〜 Estación de Cercanías de Atocha 完乗

Just a Joke / 国分友里恵 1983