手さぐりブログはじめました!

足の向くまま、気の向くままに!

長崎出島を海側から撮ると・・

2014-09-24 12:35:21 | 日記


 当時の長崎出島を描いた絵図・・ホテルの側だったので足を運んでみました。


            

 当時の海側から撮ると左の写真の様で、中央の写真の矢印辺りに本土に繋がる橋が架かっていたみたい・・当時の海には今はビルが建っていたり、路面電車が走っていたりで、ここに出島が有ったのだと言う感じで残されています。

            

 オランダ坂と唐人屋敷は有名だったが、私には右のお風呂の方が面白く思えたのです・・ただの坂にもこの様にりっぱな名前を付けると有名になれるのでしょうか?


           

 近くに女子大が有って、その関係者の建物だったみたいですが、山を削って建てられて眺めは良さそうです。
 右は高速から写した一枚ですが、長崎って海に面して周りが山に囲まれていて斜面を削ったり、山を平らにして発展して行ったのがはっきり分ります。
 鎖国していたので外部から隔離する為だったのでしょうか?
 近くで例えると間瀬の海岸に出島を造り、裏の山を削って街並みを形成して行く・・それを大掛かりにしたのが長崎かな~。(電車が走っているので相当大掛かりにしなければなりません)

           

 長崎の夜は疲れていたので、目の前に有った中華街で済ませました・・そんなに遅い時間では無いのに人通りは少なかった。

          

          
 中華街手前の橋の上では長崎くんちの練習が行われていました・・ホテルの部屋から見ると丁度右斜め下です。
 ホテルの前の道を数分で出島に到着です。

 *レンタカーのナビがホテルまで上手に案内しないので困りました・・ホテルが左側に見えるのに左折出来ない道路で、ぐるっと遠回りしてようやく到着でした。

          
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島原城に途中下車です

2014-09-24 08:52:54 | 日記


 熊本よりフェリーで対岸の島原へ渡る・・今日の宿泊は長崎の予定。


           

 近づくと幽かに城らしき建物が見えて来た。
 右の写真の真ん中の山はどうも普賢岳の様だ・・あの山が無ければ長崎まで真っ直ぐ行けるのにと思ったが、トンネルを掘ったりしたら溶岩が噴き出るとは竹さんの弁。


          

 寄る予定では無かったのだが、ナビで案内された通り道でついでに(失礼だが)寄る事にしたのです。
 本当は原城跡に行きたかったのだが、時間と距離の関係で断念・・入り口で駐車料金を払い、中でトイレを借用したのです。

 石高(4万石)の少ない藩が見栄を張り、こんな城を造ったりして領民を苦しめたのが島原の乱の発端とか・・その仕打ちがあまりにも残虐でここに書けないのです。
 対岸の清正公が400年後の今でも慕われているのとは天と地の差があるのです。

 *乱の後に領主は罪人扱いで処分され変わっているのだが、この建物を見たら今でも分不相応な箱物行政に思えてしまったのです。
 申し訳ないのですが、ただの観光施設に見えてしまいました・・しかし見方を変えればこの地にはこれしか人を呼ぶ観光資源が無かったのかも知れません。
 よそ者の勝手な思いで、今の島原城関係者には全く迷惑な話であるかも知れません。

 *パソコンで検索したのだが、島原の乱で半島の住民はほぼ全滅し、後から来た領主は各地から移住を奨励して、結果この地域には色んな方言が混ざっているとか・・あ~、なんと言えばいいのでしょう?コメント出来ませんね、凄過ぎます!
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