当時の長崎出島を描いた絵図・・ホテルの側だったので足を運んでみました。
当時の海側から撮ると左の写真の様で、中央の写真の矢印辺りに本土に繋がる橋が架かっていたみたい・・当時の海には今はビルが建っていたり、路面電車が走っていたりで、ここに出島が有ったのだと言う感じで残されています。
オランダ坂と唐人屋敷は有名だったが、私には右のお風呂の方が面白く思えたのです・・ただの坂にもこの様にりっぱな名前を付けると有名になれるのでしょうか?
近くに女子大が有って、その関係者の建物だったみたいですが、山を削って建てられて眺めは良さそうです。
右は高速から写した一枚ですが、長崎って海に面して周りが山に囲まれていて斜面を削ったり、山を平らにして発展して行ったのがはっきり分ります。
鎖国していたので外部から隔離する為だったのでしょうか?
近くで例えると間瀬の海岸に出島を造り、裏の山を削って街並みを形成して行く・・それを大掛かりにしたのが長崎かな~。(電車が走っているので相当大掛かりにしなければなりません)
長崎の夜は疲れていたので、目の前に有った中華街で済ませました・・そんなに遅い時間では無いのに人通りは少なかった。
中華街手前の橋の上では長崎くんちの練習が行われていました・・ホテルの部屋から見ると丁度右斜め下です。
ホテルの前の道を数分で出島に到着です。
*レンタカーのナビがホテルまで上手に案内しないので困りました・・ホテルが左側に見えるのに左折出来ない道路で、ぐるっと遠回りしてようやく到着でした。