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今から400年前の武将が今でも(清正公、せいしょこさん)と好意を持って語り継がれているのです。
今回訪ねてみたかった熊本城を築城した加藤清正公のことです。
大河ドラマでは佐々成政が一揆の責めをを負い切腹させられたのだが、その後に領主になったのです。
ガイドの人は長く統治した細川氏(末裔が元首相)の事にはほとんど触れませんでした・・ただ宮本武蔵を賓客として処遇したそうだ・・今度は巌流島に行ってみたいものです。
細川さん、平和の時代には何も無いのがいいのかも知れませんね。
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西南の役で西郷軍に攻められても持ちこたえたと言われているが、流石に広い、いやはや本当に広いのです。
ガイドさんの説明では城の手前の田原坂で食い止めたのそうだ。
石垣の色の違いは、水害で水没した跡では無くて雨に当たった所とそうで無い所の違いだそうだ・・非常に簡単な違いなのです。
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ただ小高い山のお城でりっぱな塀垣と掘は有るのだが、なんと空堀なのです・・外堀、内堀には満々と水を湛えと・・と思っていたのに、これには驚かされました。
堀の水はただの水溜りなんだそうです・・ハイ。
*きれいに刈り込まれているお堀の芝や草一本生えていない石垣などきちんと手入れされていました・・駐車場には多くのバスや車が停まっていました。
ガイドさん(無料)もいて本当にウェルカムの気持ちが伝わりました。
今、大河ドラマで主役の黒田官兵衛の居城はどんなかとわくわくして来たのです。
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写真の建物だけが当時のもので、後は鉄筋コンクリートの造りです・・中に入るとすぐ分ります。
昔の建物の階段は木造で急な為、手すりに掴まらなければ登れません。
*わずか二代で改易になり、三男忠広が出羽庄内藩に預けられてその家系は酒田市に続いていると言われているのです。
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なんと清正公の遺骨はその際に移されていて(曹洞宗天澤寺本堂)、この墓は昭和24年(1949年)に発掘され、九州肥前弓野焼きの壷に納めた遺骨と鎧が発見されたとか。
上杉謙信の遺骸も上越の春日山から米沢に移されていると言うから、そうで有れば驚きです。
熊本から隣の山形県酒田にドラマが移ったみたい・・虎退治の清正公の末裔が藤沢周平の小説海坂藩に仕えて活躍なんてドラマになりませんかね?
昨日「柘榴坂の仇討」を見て来たのですが、こんな映画が有ったら面白そうです。