

昨年は加藤清正公の熊本城を訪ねたのだが、今年はそのお墓が有ると言う山形は鶴岡のお寺を訪ねたのです。

いやー、暑い一日だったと汗を拭く・・モデルは○さんです。
熊本54万石の壮大なお城の城主で、今でも「清正公さん」と慕われている清正公の墓が山形の片田舎に在るなんて驚きです。
なんで熊本の殿様のお墓が鶴岡にと思うのだが、そこには多くの物語があるのです。


田んぼの中に有るお寺にそのお墓は有りました・・昔の城跡の中に有って綺麗に整備されていました。
熊本だけではなく、この地でも大事にされているのが伝わってきます。


戦後発掘された兜。
堀に咲いていた花・・清正公が亡くなってから改易になって、この様な雪国の寂しい地に移り住んだのだが、(54万石から1万石)その無念は如何程で有っただろうか?
でも今ここへ来て感じるのは暖かい領民の「おもてなし」なのです。
*私等の今住んで居る地域は昔1万1千石の三根山藩領で、当初6千石の旗本だったのが幕末のどさくさ?に大名になったのだった。
それからすると食べるのにはそんなに不自由しなかったのではと思われるのです。
(54万石から世捨て人として生きたのでしょうか?・・末裔は現在に続いている様です)