いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

曲との出会い

2010年09月06日 | ピアノ・音楽
 昨日のモーツァルトのレクイエムもそうだが、いい、と思える曲や演奏に出会えると幸せな気分になる。演奏会、テレビ、ラジオ、パソコン、CD、紹介など。昔は耳をかするだけのように印象の薄い曲だったり、難解すぎてついていけない曲だと思っていたものが、大変すばらしく感動的で何度も聴きたくなるようなものだったと再認識したり、聴いたことがあって心の奥底にあったのにもかかわらず無意識の世界に追いやられていたところ久しぶりに耳に入ったおかげでノスタルジーな思いに浸れたり、今まで全く聴いたこともなかったのだが耳に入った瞬間心をぐいと掴まれたり。。。などいろいろなことがある。そういう曲との新たな出会いの瞬間がうれしい。とくにいいと思った曲との出会いは記憶しておかなくてはと思う。出会い後は、鑑賞専門カテゴリーに行くもの(他楽器だったり、自分の手には負えないぐらい難曲だったりと多様な理由がある)と演奏カテゴリーに行くものとがあるのだが。
 子供の時もできるだけ「好きだ」と思える曲との出会いが多く、しかも自分もその「好きだ」と思える曲を弾く機会があればあるほど、ピアノを長く続けられるのではないか、と子供の頃の自分のさぼりを棚にあげて思うことがある。私が子供の時にあこがれていたピアノ曲はエリーゼのために、子犬のワルツ、モーツァルトのトルコ行進曲、ラ・カンパネラだったが、最後のラ・カンパネラは除くとしても、他の3曲をレッスンで習えることはなかった。先生からの紹介を通じてこの曲は好きだと素直に思え、実際に習うことができた曲は、バッハのインヴェンション(2声)の13番(イ短調)と2番(ハ短調)、ハイドンのソナタHob.XVI35、ダカンのかっこうぐらいだったような気がする。ちなみにシューマンで知っていた曲はユーゲントアルバムの楽しき農夫だけで、当時はシューマンも全然好きでなかった。レッスン以外の曲のピアノピースを買うこと、テレビで聴いた曲や記憶に残っているような聞きかじりの曲を弾くほうが楽しかったが罪悪感を感じていた。子供の頃のピアノのレッスンでもっとも印象に残っているのはいつまでたっても弾けるようにならないツェルニー(爆)相当さみしい。音楽の時間の歌や合奏での曲との出会いの方がよい思い出があったような気が。幻想即興曲に出会えたのは辞めた後だったし(涙)
 短く弾きやすくて、「好きだ」と思う人が多そうなぐらい魅力的で、ごくごくふつうの生徒でもうまくなりたいと思いながら弾きたくなるような曲に多く出会うことが、ピアノとの出会いでは大切なことなのでは、と思うこのごろ。このごろはそういう意味でもいい曲集が出ているような気もしているのだが。

 曲との出会いにおいては、幾つになっても、そのときに「いい」と自分が思った感覚に素直でいたいと思うのだ。