いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

集中せねば

2011年05月23日 | ピアノ・音楽
2台ピアノが終わり一段落、練習会が終わりふた段落、次の本番もあるけど弾いてきた曲だしぼちぼちいこう~と思っていたら、その次の本番が2週間切っていたことに気づいた。私の今までの本番のなかではもっとも間の詰まった本番かもしれない。本番というものに慣れるにはできるだけたくさん本番にでるといいという考えになってきていたものの、下手な鉄砲でも数撃てば当たる、みたいにただ出ているというような路線になったらまずい。折角出るのだから成果が得られるように取り組みたい。無意識にごまかしていたところが練習で目立つようになりこんなに出来ていなかったのかと分かりなんとかしようと頑張りなんとかなるという過程と実感をちゃんと味わえるような練習にしたい。
明日は久しぶりに昨年夏までお世話になってきたスタジオに出掛けようと思う。

ピアノで感情

2011年05月23日 | ピアノ・音楽
今日職場でピアノの話をしていたら
「ピアノで感情を出せるのってすごいと思う。強弱というのは分かるけど。」
という話になった。(そういうことを言ってくれる人がいるのっていい職場だと思う)その感情というのがなかなか出せないんですよ、といいながらもはたと思った。ピアノで出す感情ってなに?出すといえば演奏者の気持ちに結び付きやすいけど、決してそれだけではない。

1作曲家自身の曲とは直接関係ないものもふくめた感情
2作曲家自身の感情とは別に作曲家が曲であらわしたいと思った感情
3作曲家が曲を作っているときに感じている感情
4演奏者の曲とは直接関係ないものもふくめた感情
5演奏者が演奏そのものとは関係なしに曲から感じ取っている感情
6演奏者が曲の演奏を通してあらわしたいと思った感情
7演奏者が自分の演奏にたいして感じている感情

厳密に分けたらもっと分けられるかもしれない。分類の境目もはっきりしていないところもあるだろう。作曲家よりも演奏者の項目が多いのも偏りがあるといえそうだ(ちなみに聴衆の項目を入れるのもありかな、と思えてきた。大変なので今は入れないけど。)その一方で、このように分類することにどんな意味があるのだろう、という見方もあるだろう。
ただ、演奏するうえでもっとも出す必要があるとされる感情はクラシックの場合はおそらく一番目に2番、そして5番と6番になるであろう。しかしその2番というのは演奏者というフィルターがどうしてもかかってしまうわけで、厳密な2番というのは存在しない。5番でより曲で伝えたいこと曲を通して感じていることを作曲家のものに近づけることが2番の実現につながるだろう。しかし6番の存在は無視できない。それが作曲家があらわしたいと思っているかもしれない感情に近いか近くないかは別として、ときには矛盾があるかもしれない可能性も含め(クラシック音楽の場合、作曲家は生きていない場合が多いので、近づく努力はできても本当に確かめることは不可能だ)。そして6番の存在が演奏を魅力的にするかどうかの肝になることが多いと思う。ちなみに6番はさらに範囲を広げ、選曲までも含まれるかもしれない。

考えがまとまりきらず禅問答みたいになったが(パソコンがきて頭が整理できたら直すかもしれない。今日の日記は覚書)、演奏で「出す」感情について見直すきっかけになった。