ブログやホームページで何かを公開すると、世界中にその内容が公開されます。もちろん見知らぬ人も見ています。そうだとは知っていながらも、今まで私はそういうことについてあまり深く考えずにブログを書いてきましたが、本当はそれはすごくて大変なことなのかもしれない、と感じることがありました。しかしです。例えばアプリケーションやソフトも無数にあり、似たようなものがたくさんあります。もちろんブログも然り。全世界向けだとは言え、それをやっている人はたくさんいます。何かを表現したいという思いがかなえやすい時代になったのだと思います。マーケットの世界ではその中で生き残るもの、淘汰されるものがあるかもしれませんが、このブログはまったくの趣味で気まぐれにやっているものなのでそのようなシビアさもないです。しかしそんなブログでも見に来てくれる人たちがいていやな目にもあっていないのでありがたいです。パソコンもやってきました。パソでの復活も遅くて来週末には。(ゆるくてすみません。)
先日レッスンがありました。本番の二曲です。数週間前の悲鳴を上げるだけの状態からは脱出できてほっとしました。少しは分かってきたかな。最も奥深く感じたのが指を鍵盤から離す瞬間である離鍵の大切さでした。速度や指の角度や方向に注意を払うだけでいろいろな表現ができるのですね。ゆっくり弾くと実感が沸いてきます。今まで、鍵盤に指を触れるほう中心に注意が向いていて離すほうには向いていませんでしたが、離すほうも、いや「こそ」かもしれません、非常に面白くて大切なことだと思います。雑に鍵盤を離してきたところを直していきたいです。
先日レッスンがありました。本番の二曲です。数週間前の悲鳴を上げるだけの状態からは脱出できてほっとしました。少しは分かってきたかな。最も奥深く感じたのが指を鍵盤から離す瞬間である離鍵の大切さでした。速度や指の角度や方向に注意を払うだけでいろいろな表現ができるのですね。ゆっくり弾くと実感が沸いてきます。今まで、鍵盤に指を触れるほう中心に注意が向いていて離すほうには向いていませんでしたが、離すほうも、いや「こそ」かもしれません、非常に面白くて大切なことだと思います。雑に鍵盤を離してきたところを直していきたいです。