書店で「○○内定」というようなタイトルの就職活動本を立ち読みしました。私よりかなり若い学生さん対象の本です。就職が厳しくなっているこのご時世、このような本を読まれている学生さんも多いのではないかと思います。仕事というものは、確かに厳しいものなのかもしれませんが、書いている内容も本当に厳しいですよね。勉強は当然のこと、サークル、アルバイト、遊び、恋愛、すべての面においてアクティブかつテンション高く取り組み、しかもそのときの内容が具体的に言葉で表現できるぐらい活性化させておかなければならないようです。(ちなみに恋愛でも、ある雑誌によると、20歳までに○○をなくしておかないと遅れていると焦っている学生さんもいるとあってびっくりしました。確かに恋愛が大切だと思う気持ちはわかります。しかしそのようにとらわれることは決してないのに。焦ることはないのに。)自己分析というもんですね。そして、そこまで自分はできていない、と思える人たちは、卒業までに慌てていろいろな活動をするようになるか、またはそのままなりになんとか乗り切ろうと思うか、あまりの恐ろしさに回れ右をするか、ということになりそうです。または果敢にぶつかっても、企業から冷たいあしらいをうけることもあります。その上、自己分析というものだけではだめで、企業の業界研究も必要ときています。しかも受ける会社が多ければ多いほど多くの研究が必要になります。自分の将来にかかっているのだから当然なのかもしれませんが。それだけでも大変なのに、この不況ときています。本当に大変だと思います。
ちなみにこの就職活動本を読んで回れ右をしたくなる人の気持ちが私にはよく分かります。なぜなら自分がそういう人に近かったからです。勉強はがんばっていたのですが他の面で相当抜けていた学生時代の私、某書籍を読んで大変恐ろしくなり落ち込みました。全然だめではないですか(汗)それなら尊敬できる先生がいて楽しくて自分もがんばってきた(?)勉強を続ける方があっていると思いました。しかしそちらもかなりのテンションが必要だったし、相当リスクが高かったのですけどね。そう、アクティブでテンション高い人が輝いているように見えました。(じつは私も思いは熱かったのですが、テンションの表現が下手くそでした。別に輝いてなくてもテンションの表現がうまくなくても、地道にがんばっていけば道は開ける可能性もあったのかもしれないと今は思います。しかし当時の私にはそれはきつすぎました。犠牲も多かったと思うし。)
結局その後そちらは断念し、紆余曲折しながらも某企業で働くことができました。そのときは涙が出るほどうれしかったです。だって学生時代あんなに恐ろしいと思っていた会社というものに入れたのですから。そのとき感じたことは、あの恐ろしい就職活動本を真に受ける必要はほとんどなかった、そして、できるものなら企業は新卒で入ったほうがいい、ということでした。そして大学はあてになる面もあるけれど、まったくあてにならない面もあるので、自分で考え自分の足で動くことが最も大切だということ、活用できると思えるところがあったら思いっきり活用するとよいということでした(ちなみにこれは、ある地方大学の当時新設学科の昔の例です)。就職活動本を読んで、ますます気が進まなくなっている人たち、ひょっとしたらその本は、ものすごく優秀な方を対象に書いているものかもしれません。しかし現実はそこまで立派ではなくても、働いている人たちはたくさんいます。「そういう本なんか読んでなかったよ」という人もたくさん働いています。希望している会社に入れなかったり、数社続けて落ちたりして凹みそうになっている人もいるかもしれません。しかしあなたと縁のあるところはかならずあります。とにかく凹みそうになったら、自分で抱え込んだり、結論を出したりする前に、友達でも先輩でも家族でも先生でもいい、信頼できる人にその気持ちを正直に話したらいいと思います。そうしながらも前へ進んでいけばいいと思います。ベストを尽くすのは大切ですが、辛くならないようにやり方を考えるのも大切です。
それから自己分析に縛られるよりも、業界や企業の研究のほうが大切だと今の私は思います。もちろん資本金や福利厚生を見ておくのもありですよ。自己実現という考えも、自分の心から生まれたもので現実に即していればいいのですが、企業においてはそれにとらわれてしまうときついこともあると思います。
それからもう一つ、組織内で希望の部署にいけたらいいけれど、そうではなくても自分はだめだと思うことはないと思います。希望の職種に後に行ける可能性もあるかもしれません。また好きなことは必ずしも会社の仕事を通してではなくても始めることはできるのです。私もピアノを再開できたしね。
う~ん、えらっそうに書いてしまいました。○年前の自分に向けての発言かも。このブログに立ちよる学生さんはほとんどいないと思いますが、偶然でも立ちよった方がいらっしゃったら、すこしでも参考になることがあったらしていただけたらと思います。
今も規模は縮小していますがささやかに動いてます。前書いたところは土曜日必ず出勤ということで縁がありませんでしたが(それでも承諾すればよかったのかもしれませんが、後々のことを考えたらこれでよかったと思います)
ちなみにこの就職活動本を読んで回れ右をしたくなる人の気持ちが私にはよく分かります。なぜなら自分がそういう人に近かったからです。勉強はがんばっていたのですが他の面で相当抜けていた学生時代の私、某書籍を読んで大変恐ろしくなり落ち込みました。全然だめではないですか(汗)それなら尊敬できる先生がいて楽しくて自分もがんばってきた(?)勉強を続ける方があっていると思いました。しかしそちらもかなりのテンションが必要だったし、相当リスクが高かったのですけどね。そう、アクティブでテンション高い人が輝いているように見えました。(じつは私も思いは熱かったのですが、テンションの表現が下手くそでした。別に輝いてなくてもテンションの表現がうまくなくても、地道にがんばっていけば道は開ける可能性もあったのかもしれないと今は思います。しかし当時の私にはそれはきつすぎました。犠牲も多かったと思うし。)
結局その後そちらは断念し、紆余曲折しながらも某企業で働くことができました。そのときは涙が出るほどうれしかったです。だって学生時代あんなに恐ろしいと思っていた会社というものに入れたのですから。そのとき感じたことは、あの恐ろしい就職活動本を真に受ける必要はほとんどなかった、そして、できるものなら企業は新卒で入ったほうがいい、ということでした。そして大学はあてになる面もあるけれど、まったくあてにならない面もあるので、自分で考え自分の足で動くことが最も大切だということ、活用できると思えるところがあったら思いっきり活用するとよいということでした(ちなみにこれは、ある地方大学の当時新設学科の昔の例です)。就職活動本を読んで、ますます気が進まなくなっている人たち、ひょっとしたらその本は、ものすごく優秀な方を対象に書いているものかもしれません。しかし現実はそこまで立派ではなくても、働いている人たちはたくさんいます。「そういう本なんか読んでなかったよ」という人もたくさん働いています。希望している会社に入れなかったり、数社続けて落ちたりして凹みそうになっている人もいるかもしれません。しかしあなたと縁のあるところはかならずあります。とにかく凹みそうになったら、自分で抱え込んだり、結論を出したりする前に、友達でも先輩でも家族でも先生でもいい、信頼できる人にその気持ちを正直に話したらいいと思います。そうしながらも前へ進んでいけばいいと思います。ベストを尽くすのは大切ですが、辛くならないようにやり方を考えるのも大切です。
それから自己分析に縛られるよりも、業界や企業の研究のほうが大切だと今の私は思います。もちろん資本金や福利厚生を見ておくのもありですよ。自己実現という考えも、自分の心から生まれたもので現実に即していればいいのですが、企業においてはそれにとらわれてしまうときついこともあると思います。
それからもう一つ、組織内で希望の部署にいけたらいいけれど、そうではなくても自分はだめだと思うことはないと思います。希望の職種に後に行ける可能性もあるかもしれません。また好きなことは必ずしも会社の仕事を通してではなくても始めることはできるのです。私もピアノを再開できたしね。
う~ん、えらっそうに書いてしまいました。○年前の自分に向けての発言かも。このブログに立ちよる学生さんはほとんどいないと思いますが、偶然でも立ちよった方がいらっしゃったら、すこしでも参考になることがあったらしていただけたらと思います。
今も規模は縮小していますがささやかに動いてます。前書いたところは土曜日必ず出勤ということで縁がありませんでしたが(それでも承諾すればよかったのかもしれませんが、後々のことを考えたらこれでよかったと思います)
素晴らしくいい所づくしの人間(に近い)が望ましいのはそりゃそうでしょうが、実際そんな人間ばかりのわけがないし、そんなに素晴らしくよくできなくても、多くの人は社会の中で普通に仕事をして生活しているというのが当たり前の事実です。(職がなくて困っている人がたくさんいることも事実ですが)
就職はひとつの転機ではあるけれど、あくまでたくさんある転機のひとつだと思います。徹頭徹尾、首尾一貫、初志貫徹もいいけれど、いろんなことが起こってもなんとかやっていけるフレキシビリティの方が大切だなあと思ってます。
長文失礼しましたー。
ある会社への適応性というのは、社会一般へのものとは必ずしも一致しないと思います。
職種にもよりますし・・・。
私の世代の女性は「何が何でも仕事で自己実現」みたいなところもありましたけど、私には無縁な話で(笑)、とっととその路線からは外れました。
楽な方へ低きに流れた結果が今です(逃)。
そうですよね、学生時代からいいとこづくしの人間なんていないですよね。採用側からすれば、できるだけ優秀な人材を採用したいというのは分かるのですが、それにしても本に書いてあることは厳しいことばかりに思えます。そこまで完璧ではなくても、なんとかなることも多いと思うことのほうが大切なんじゃないかなと思います。
初志貫徹というの、私、昔はすごく大切だと思っていたのよ。でもすぐにそうならないといけないと思うと、きつくなることも多いよね。実際に組織の中などではそのようにいかないことも多いしね。全力つくしても、どうしても無理だ、縁がないと思ったら、あきらめる(そこには明らかにするという意味もありますね)こともありかもしれないし、そういう決断をした自分をだめだと思うこともないと思うのですよ。それこそ、いろんなことが起こるしね。賭けのようなことをしようと思っていなくても、賭けのようなことがやってくることもあるし。。。いい感じでやわらかくいたいですよね。
会社への適応性は社会一般へのものとは一致しない、本当にそうですよね。職種もですがその会社特有の文化というのは必ずあると思うし、また社会一般というのも、いわゆる仕事を通じてのものとは限らないですしね。例えば子供や地域社会を通じてのコミュニティという社会も絶対にあるし重要だと思うんですよ。
私のいた環境でも、「仕事で自己実現がすばらしい」というような雰囲気もありましたよ。けれどもそうならないことも結構多いし、早急にそれを求めようとしたら、きつくなることも多いですよね。またそうすることに対して、本当に納得していて自分も満足しているのならいいのですが、そうでないということもあるかもしれない。自己実現というのも本当に範囲が広いですよね。子育て、趣味、ボランティアというのもあるかもしれない。思うようにならない子供さんを育てるのってすごいことだと思うんですよ。自分がそうありたい、または自分に合ったところで自己実現できるのが一番だと思います。いや、自己実現というのにもも本当は縛られないのが理想かもしれません。
私も仕事とは言ってもピアノは絶対に大切にできるようにしたいです。堂々としていたいのです。どんなに世間(?)からわがままだと思われてもです(笑)