昨日は体調がよくなくて休んでしまいました。ジャン・ユボーたちのフォーレの室内楽、ホロヴィッツのモスクワライブ、ボレットのリストのCDを聴いていました。フォーレの室内楽は初めて聴いたのですが、いい曲だと思います。ピアノ五重奏第1番の透明感は独特だと思いました。しかし、最近、どんな曲をCDで聴いても、若いころほど出会った曲にとことんはまって何度も聴こう、という気持ちになりにくくなっている気がします。若かったころはCDだけで(そしてもっと若かったころはラジオだけで)思いっきり感動できたのに。老化なのでしょうか。ライブでは今でも感動できることが多いのですが。まずいなあ。でも、まあそういわずに、また聴こう、と思います。何度も楽しめるメディアの良さを生かさないわけにはいきませんよね。
ホロヴィッツやボレットはピアノソロでした。あのように弾くのがどんなに大変だか、今はよくわかります。大変さの質も。かつては、彼らがすごいのはこのように長くて複雑で指がたくさん動く曲を間違えずに弾くからだ思っていました。でもそれだけではないんですね。あの広いお風呂で弾いたみたいな、これ以上まだまだ鳴らせるよ、というような、湯気のたちそうな音。かと思ったらはっとするほどみずみずしい音。自然に流れて聴こえるような鳴らし方。これ以上でも鳴らせそうな余裕のある行間。音だけで空間なんかを作ったりしているのですから。これが大変なんですね。簡単にできそうな気がするのですけどね。ドツボにはまりそうな世界でもあります。
広いお風呂で弾いたみたいな湯気のたちそうな音、永遠のあこがれです。