弦楽器で演奏されたインヴェンションを見つけました。
ヴァイオリンとビオラのインヴェンションです。仲良し二人組でしょうか?1番、6番、8番と書いてありますが、6番ではなくて10番が入っています。10番は優美な演奏です。3分35秒あたりから始まる8番なんか超高速かつ立体的でお見事です。私はピアノでもひいこら言っていたのですが。
ヴァイオリンとチェロの演奏もありました。音がきれいです。こちらには6番も入っていました。ゆったりしたのびやかな演奏ですが、中間部はちゃんと盛り上がっていてどきりとしました。それにしても8番、弦楽器奏者に人気なようですね。
右手はヴァイオリン、左手はヴィオラにチェロね。管楽器バージョンもあるのかな?楽器の音にもっとくわしくなったほうがよさそうだけど、違う楽器の合奏だと思いながら練習するのも楽しそうです。
それ以前に、6番、ちゃんと弾けるようにならないとですね。6番は鐘がこだまのようにずれながらも調和しながら鳴っているようなところが好きだったのですが、音がかわりばんこに入れ替わっているという感覚(ずっとやってましたよ(汗))ではアウトだそうです。弾けてたと思っていたのにな~甘かったのね。どこからきたのかバッハには自称得意意識(図々しいのにもほどがありますが、子供のころは褒められていたんですよ、バッハで。)を持っていたのですが、現在その意識はがらがらと崩壊中です。でも私の場合その誤解がほとんどの意識のおかげでバッハが好きでい続けられたという面もあるので、人は一概に自分の真実の姿を知っていればよい、ということではないかもしれませんね。将来その道に進もうという人にはお勧めできない考え方だと思いますが。
記念年氏のコンソレーション3番も今はレッスンはなしですが、練習しておこうっと(実は2番にも惹かれているこのごろ。)
レッスンでした。インベンションの2番、解釈にずれがありました。中心となって聴くパートも私の推測は反対になっていたところがありました(汗)。まだまだあまかったようです。新解釈で弾いたら弾きやすく、ぐいぐいと弾けました。そして2番はひとまず卒業。しかしあの音源編の記事、録音はやり直しです。申し訳ありません。次はインベンションもう一曲として6番をやることにしました。すぐにコンソレーションにしてもよかったのですが(両方同時はできないので)いざインベンションとお別れとなるとさみしくなり、6番をお願いしました。もっとバッハさんからエキスをいただかないとね。
ベートーベン5番の第3楽章、2拍子にならないし、音も出ていないので練習のときからなんだかまずい、と思っていました。まず出だしから。ピアノでも音が出るにはフォームと打鍵が大切。第二関節で弾くことはピアノではないのです。それなのにいつのまにか第二関節が頑張っていて第三関節が凹んでいるというゆゆしき事態になっていました(汗)。手が小さくても最悪の事態は防げるように、第三関節と手のひらの筋肉を意識してみようと思います。他にもいろいろ学びました。やっぱりレッスンってありがたい、と思ったのでした。
(追記) やり直しの内容をこちらに書きました。
すぐにレッスンをしていただく予定はないのですが、リストのコンソレーション第3番の譜読みを始めています。短い中にも多くのエキスがつまっています。左手の和音だけでもドラマになっています。右は単純そうで意外に難しいです。歌わせるように音を出さないといけないところもあるし、反対に16分音符のところは重くなりすぎないようにしたいです。左と右とが合うようにメトロノームを使っています。幻想即興曲の中間部を思い出しました。
この曲、いろいろなところに登場しているそうです。震災の支援プログラム、映画、楽器のデモ演奏などです。リストにしては演奏も難しくないし、目立たないようなのですが、実はしっかりと存在感のある曲なのです!うまく弾けたら心地よくなれそうなこの曲。お気に入りの一曲になりそうです。
でもね、今レッスン中のバッハのインヴェンションやベートーヴェンもしっかりね。レッスンも近づいているしね。そういうわけで期間限定で音源アップしました。
今から出かけてきます~。
その後音源を増やしました。下についています。さらに増えるかもしれません。気になられる(?)方は音源サイトを見てみてください(しかし今週末にはすべて消滅する予定です)
先日のオルガン演奏会で聴いたオルガン交響曲「フィナーレ」です。作曲者のルイ・ヴィクトル・ジュール・ヴィエルヌはフランスのオルガン演奏芸術の基礎を作り出した人です。ノートルダム教会で盲目のオルガニストとして活躍しました。私生活はつらいことも多かったそうですが。
最初のイギリスの ソールズベリー大聖堂(1220~1258年建築!)のオルガンをDaniel Cook氏という方が演奏した演奏です。楽器の様子もよく見えるし、音も美しかったので載せることにしました。
このソールズベリー大聖堂の鍵盤は4段あり、各鍵盤の奥には数字の書かれた突起のようなものが見えます。また両端にはバットを突き刺したような突起があります。これらの突起は音色の違いを表しているストップという機構のようです。ストップを操作することにより、各種一連のパイプ群へ風を供給するのを遮断したり解除したりできるそうです。ストップによって風の送り方を変えることによって音域や音色を変えることができるということらしいです。足には鍵盤、真ん中には学校で使われるリードオルガンにも似た形をしたペダル、そしてなんと足鍵盤の上にも平べったい突起のようなものが出ています。鍵盤だけでも5段、それにペダルやストッパを入れたら想像できないぐらい多数の機構がある、ということになります。ひぇ~っ。手も足もフル稼働で忙しそうだし。手はなんだかエレクトーンに似ているように見えます。音を出すのも簡単そうに思えるのですが、とんでもなく大変だということです。手鍵盤からでも強弱がつけられており、タッチも非常に大切だということになります。演奏会での演奏者の彼女を尊敬しつつも、この曲のピアノ編曲版はないかなぁと弾ける当てもないのに思ってしまう自分なのでした。
フランスの近代の作曲家にはヴィエルヌのようにオルガン曲を作った人が多いです。興味深い話であります。
本物のパイプオルガンではなくても、普通の室内でもその気分を味わうことができます!。横はストッパーの代わりにディスプレイ、上は蛍光灯が設置してあり日常のようですが、演奏はそれらしい雰囲気です。一音出すだけでたちまち自宅はヨーロッパ中世の教会に。しかし装置をそろえるのが大変そうですね。
「小さな空」という歌があります。歌の教室で習いはじめたお気に入りの歌です。昔こんなことがあったなあ、と子供のころを懐かしく思い出せる歌詞です。作詞、作曲はあの武満徹氏です。このYoutubeはアカペラです。前奏も間奏も歌になっています。この曲のピアノ伴奏にはいろいろなバージョンがあるそうです。
この歌にとても似た歌があります。石井亨作詞作曲の「友達になった日」大好きな歌なのですが、Youtubeには全く載っていなくて残念です。
それからちょっと(いやかなりかな?)離れますが「思い出のアルバム」もなんとなく雰囲気が似ているような気がするのは気のせいでしょうか?この曲は8分の6なので、厳密には三拍子ではないのですが。
三拍子は難しい、と言われますが、少なくとも歌に関しては、わくわくする曲が多い三拍子が好きだ、と改めて感じたのでした。
今まで私は
ピアノは鍵盤楽器であり打楽器である、という認識を持っていたのですが、
実は
弦楽器でもあったのだ!
と実感をもって感じるようなことがこの週末におこりました。
第一弾は金曜日夜に聴いたパイプオルガンの演奏。ホールの天井にまで届きそうな長いパイプ、人の指ぐらいの長さの短いパイプ、いろいろな種類のパイプがならんていてみているだけでも楽しいパイプオルガン。そこから音が出る瞬間というのは、キーを押していて空気が通過している瞬間のみだという事実。だから長い音を続けて鳴らすのは非常に難しいそうです。ペダルを踏んでダンパーを解放、つまりゆれる弦をそのままにしておいてあげればしばらく鳴り響いてくれるピアノとは大きな違いがあると認識しました。
第二弾は土曜日に聴いたピアノの演奏。力みのない洗練された演奏であった上に、遊び心のあるプレイヤーさん、なんと演奏の終了時に立ち上がってピアノの中に手を突っ込まれ、「ビヨン」と音をたてられました。その音は明らかに弦をはじいた音でハープみたいでした。もしキーというものがなかったらこのような音がでていたはずなんだ、とあらためて感じました。
第三弾は今日サービスエリア(なぜか)で購入したスタジオジブリの音楽のピアノソロ版のCD。ゆったりした演奏だったのですが、その演奏のピアノの音がまさに弦から出ているように感じられました。確かに伸びる音は伸びているし、メロディーと伴奏もあるし、音色自体がピアノであることには変わりなかったのですが、その直前に聴いていた村治佳織のギターとなんだか共通しているように今日は特に思いました。楽器自体にキーというものが存在せず、おもに弓でこすって音をだすヴァイオリンや指ではじいて音をだすギターのように正確な音程で音をならすこと自体が難しい弦楽器とはあきらかに違うし、そしてキーというものは存在しているものの、はじくことによって音が出ていてより弦の存在をダイレクトに感じやすいチェンバロとも明らかに違うのですが、それでも弦が楽器の中に存在しているからあのような音がでているのだ、と思いました。
純粋な鍵盤楽器だったら、もっと音の出し方は簡単なはず。表面的にはただキーを押しているだけに見えるのだけど、音出しだけでもあんなに奥深いのは、弦楽器でもあるからでは、と思えてきました。一方たくさんの笛から音が出ているパイプオルガンは管楽器でもあったのですね。そう思えば思うほど、一定の音程での演奏をしやすくした(ある意味固定してしまった、ともいえるのかもしれませんが)キーというものを最初に発明した人は天才だと思います。
それから突然感じたおまぬけな疑問。オーケストラの人数構成、ヴァイオリンのような弦楽器の人が一番多いですよね。それに対して管楽器の人は少ないのはなぜでしょう?配置場所についての考察はたくさん出ているのですが、人数の理由についてはあまり記されていないようです。あまりにも基本的過ぎて言及するに値しないからなのでしょうか(汗)管楽器は大きな音が出やすいため、音量の面からそうしたほうがバランスがとりやすいのかもしれない、確かに現在の構成でよき演奏が聴けているし、というのが少ない知識から得た現時点での私の推測です。
途中でこのようなサイト(楽器ーアンサイクロペディア)も見つけてしまいました。よい子(大人でしたね)はさらりと流して読まれることをお勧めします。
早いものです。もう今年も半分が経過して7月になっちゃいました。ブログもちょっとさぼっていましたが、一応普通に生活していたのですよ。昨日は早く帰れたのでうれしくて某楽器店の楽譜売り場に行ってきました。買いたい楽譜がたくさんありました。リスト(編曲物も含め)、ラヴェル、バッハの編曲物、ブラームス、グリーグ、スクリャービン、ほか知らない作曲家たち。しかし自分の現状と余力を考え結局買わずに帰りました。とぼとぼとぼ。
その後練習。先日のレッスンで、ある曲が美しいのにはかならず原因がある、その仕組みをつかむことによって方向性が見えてくる、というアドバイスがありました。そしてその仕組みを自分で見つけることがいい勉強になるし弾くうえでも大切なことだ、と。そういうわけでしばらく楽譜を眺めていたのですが、眺めているだけではわからないところがあり、ちょっと弾いてみたら、裏返しの問答になっているとわかった点もありました。音が密集しているから見事、というところもあるし。あと左手。どうも左手から音が出ていないと思い、自由に動いていないからではと思い、左手だけで弾いてみたら案の定。そういうことをしていたらあっという間に時間が経過。でもちゃんと練習できてよかったです。亀のような練習ですが、ちりも積もれば山となる・・・はず。