いろはにぴあの(Ver.4)

音楽、ピアノ、自然大好き!

伊藤悠貴氏 オール・ブラームス・リサイタル 

2022-07-17 | ピアノ、音楽

 先日は今年最も楽しみにしていた演奏会のひとつ、チェロ伊藤悠貴氏、ピアノ渡邊智道氏による、全曲ブラームスの演奏会に行ってきた。約2年半前の「若き天才の邂逅」で彼らの演奏の虜になって以来、彼らのオールブラームスの演奏会を心待ちにしていた。会場は名古屋の宗次ホール、少し遠路ではあるのだけれどこの機会を逃したくなくて足を運んだ。

 前半、後半とも、プログラムの前半は伊藤悠貴氏編曲による歌曲、プログラムの後半はチェロソナタ。ブラームスの作品番号順に並べた内容で、彼の音楽と人生の変遷を辿ることが出来る内容になっていた。

作曲 ヨハネス・ブラームス(1833-1897)

<プログラム前半>

愛の誠 作品3-1「6つの歌」より

別離 作品19-2「5つの詩」より

私の王女よ 作品32-9「9つの歌曲」より

チェロとピアノのためのソナタ第1番ホ短調 作品38

<プログラム後半>

五月の夜 作品43-2「4つの歌曲」より

子守唄 作品49-4「5つの歌曲」より

愛の歌 作品71-5「5つの歌曲」より

野の寂しさ 作品86-2「6つの歌曲」より

二人そぞろ歩く 作品96-2「4つの歌」より

チェロとピアノのためのソナタ第2番ヘ長調 作品99

<アンコール>

旋律のように 作品105-1

私の歌 作品106-4

 「愛の誠」(17歳)、「別離」(25歳)、若かりし頃に作曲された2曲、悲しく激しく狂おしい感情が伝わってきた。そして3曲目、意中の女性に想いを語る「私の王女よ」甘く繊細なピアノの誘いとチェロの朗々たる歌でたちまち美しき愛の世界へ。演奏内に歌詞はなかったけれど、歌の持つイメージがじかに音楽から伝わってきた。そしてチェロソナタ第1番。バッハへのオマージュともいえる内容とのこと、立体的な響きが印象的だった。第2楽章の中間部の切ないところの美しさが忘れがたかった。

 音楽が進むにつれて堪らない思いが強くなる「五月の夜」から始まった後半。耳になじんでいたはずの「子守唄」がこんなに愛しい名曲だったのかと再発見。喜びと悲しさが絶妙な和声の変化で表現される「愛の歌」響きに伴い心も寄り添いたくなった。トニックのペダルが大地の感触を表現しているとプログラム解説にあった「野の寂しさ」、対象も個人から自然へ、音楽のスケールの広がりと素朴そうな中での濃密さが感じられた。そして、プログラム内の歌曲では最後の歌曲「二人そぞろ歩く」は「若き天才の邂逅」のアンコールで演奏された曲で当時初めて聴いて大好きになった曲だった。初々しさと透明感に溢れたあの演奏から2年半、透明感と幻想は保ちながらもより練られた音楽世界が広がっていた。この曲の演奏を聴くたびに私は音楽との出逢いに感謝したい思いになる。歌詞を改めて引用する。

 私たちは共に歩く 私もあなたも、とても静かに

 あなたが今何を考えているのか 知れるのならば、何でもする

 私が何を考えていたかは 口にしないでおきましょう 全て美しい、天国的なことばかり

  チェロとピアノのためのソナタ第2番、第1楽章の華やかで迫力のある出だしから強く印象付けられずるずると沼へ。妙なる変化の美しさが印象的な第2楽章ですっかり夢想の世界へと誘われた。楽譜に書かれた音楽の美しさと楽器が奏でる音の美しさを濃やかに咀嚼し再現されていた。激しき情熱とエネルギーが溢れ畳みかけるような第3楽章、別世界からやってきたような優しい中間部にぞくぞくした。そして第4楽章、明るく流れるように始まったかと思ったらそこはブラームス、激しさや哀愁も、自己流な解釈であるのだけど楽あれば苦ありこれぞ人生だと思わせられた。

 ここまで、作品番号順に、演奏が進んでいったのだが、アンコールはさらに作品番号が後の曲目だった。ブラームスのに寄り添い、生涯を一緒に辿っているような気持になった。包み込まれるような温かさ、懐かしさが伝わってきた「旋律のように」、そして哀愁あふれる下行音型とコーダ近くに登場するふんわりした優しさが堪らない「私の歌」で余韻を残したまま終了。

 宝物のようなひとときだった。2年半前に「ぜひまたお二人で演奏してほしい」と本ブログに書いていた。実現してくださって本当に嬉しい。欲を言えば、2年半前に聴いたものの今回は聴くことが出来なかった方たち、そして初めて聴く方たちのために、特に関東地方で、再演していただけたらと思った。

実はこの演奏会、楽しみにしていたのにも関わらず、仕事関係で心がいっぱいで当日まで心そこにあらず、癒されに行ったとしか思えない状態で迎えた。その一方で、終了後は癒されただけでなく心の澱みも根こそぎ取り払われ、このように振り返りたくなっている次第。今回楽しくかけがえのないひとときを共にしてくれた友人に感謝。

初めて出かけて会場の宗次ホール、素晴らしき音響、温かくきめ細やかな係員さん、当日の公演の看板を路上にも掲示するという尽力、昔懐かしの音源や素敵なグッズの販売、音楽の場を大切にしようという想いが手に取るように伝わってきた。もっと近かったら、通い続けたくなるぐらい、大好きなホールになった。ありがとうございました。


アレクサンドル・カントロフ氏 ピアノリサイタル

2022-07-17 | ピアノ、音楽

 ブログ復活のきっかけとなった演奏会から書こうと思う。

 時はさかのぼって6月30日、アレクサンドル・カントロフ氏のピアノリサイタルを聴きに出かけた。あの藤田真央氏を差し置いて2019年にチャイコフスキー国際コンクールで優勝するような方なのだから、折り紙付きの実力の持ち主で素晴らしき演奏をされる方であることには間違いないのだけれど、今までの来日時には、演奏会に足を運ぼうという気持ちにはならなかった。しかし、今年になって、聴けるのならば色々なピアニスㇳの演奏を聴きたいという想いがむくむくとわいてきていた。そんな矢先、カントロフ氏の前半のシューマンのピアノソナタ第1番と、後半のリストの作品群という濃厚なプログラムを見てこれは行かないわけにはいかないと思いチケット確保。

<プログラム前半>

リスト作曲 J.S.バッハ「泣き、嘆き、悲しみ、おののき」BWV12による前奏曲S.179

シューマン作曲 ピアノソナタ第1番嬰へ短調Op.11

   休憩

<プログラム後半>

リスト作曲 巡礼の年第2年「イタリア」から ペトラルカのソネット第104番

リスト作曲 別れ(ロシア民謡)

リスト作曲 悲しみのゴンドラⅡ

スクリャービン作曲 詩曲「焔に向かって」Op.72

リスト作曲 巡礼の年第2年「イタリア」から ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」

<アンコール>

グルック作曲(ズガンバーティ編曲) 精霊の踊り

ストラヴィンスキー作曲(アゴスティ編曲)バレエ「火の鳥」からフィナーレ

ヴェチェイ作曲(シフラ編曲)悲しきワルツ

ブラームス作曲 4つのバラードOp.10から第2曲

モンポウ作曲 歌と踊り Op.47-6

ブラームス作曲 4つのバラードOp.10から第1曲

 前半のリスト=バッハの下りゆく半音階の悲しみの表現、そしてシューマン作曲ピアノソナタ第1番のシューマンの深き葛藤とめくるめくドラマを感じる演奏だけで、すっかり虜になってしまい、この演奏会に伺ってよかったと思った。それとともにシューマンのピアノソナタ第1番は本当に素晴らしい曲だと再認識。

 しかし後半以降になってさらにすごい内容に!ペトラルカのソネット→別れ→悲しみのゴンドラというリスト作品の流れ、曲が進むごとに段階的に彩度が下がり、その後のスクリャービンの焔に向かってで一気に明度と彩度とが急上昇、爆発するという物語の演出が素晴らしく想像を超えた世界へといざなわれた。

 哀愁を含みながらもまだ温度と色彩感が感じられたペトラルカのソネットから、素朴でありながら密度の濃いトリルにより回想と問いかけが伝わってきた別れ、そして鎮魂への強き重いが故の暗い無彩色、救いなしに思えた悲しみのゴンドラの沈痛な響き。。。曲の後半に出てくる単音の濃密さ、訴求力の強さが忘れられない。

 ゴンドラの暗闇から焔に向かって、混沌たる闇から一気に舞い上がり光り輝き妖しさを含みながらも絶対的に明るく激しく狂おしき忘我の境地に。そしてダンテの地獄から天国への表現の描写。振れ幅の大きな世界を極限までインターバルなしに示してくれてなんというピアニストなのだろうとただただ心奪われっぱなしだった。悪魔の世界の表現、デモーニッシュな表現も、見事でしたよ。

 その後のアンコールは6曲。しかもすべて美しい演奏。夢のような時間だった。終わってほしくなかった。余韻にずっと浸っていたかった。

 今回を機に、カントロフ氏の来日時には必ずひとつは演奏会に足を運ぼうという気持ちになったのは言うまでもない。


昨年ピアノでできたこと

2022-01-04 | ピアノ、音楽
 昨年、頑張れたことと頑張れなかったことがあったと書いたけれども、ピアノに関しては、昨年私が初めてできたことも確かにあった。難しそうな気がして一生弾くことがないだろうと思っていたスクリャービンの曲を弾いたこと。スクリャービンといえば以前の私の頭に浮かんでいたのはエチュード、幻想曲、詩曲、ソナタだった。背伸びしてエチュードの楽譜を買ってはみたものの譜読みで挫折、どんなに憧れがあっても、私が弾けるようになることを夢見ること自体お門違いなのではと思っていた。しかしとある日、ある方が演奏されていたプレリュードを聴き、開眼した。なんて素敵な音楽なのだろうという感想を抱いたとともに、願わくばこの曲を弾いてみたいと感じたとともに、曲の短さと、スクリャービンにしては私でもがんばれば弾くことができるかもしれないという希望を抱いた。そして思い切って楽譜を買ったのが一昨年の12月。その後、数曲、人前でも演奏する機会があった。私の弾けるレベルまでだったけれど、嬉しかった。プレリュードOp.11、本当にありがとう!
 そして今年はスクリャービン生誕150年。Op.11以外のプレリュードにも挑戦中。
 
 ショパンは昨年末からポロネーズ1番に取り掛かっているのでポロネーズ初挑戦、そして今年は初めてノクターンを弾こうと思っているのでノクターン初挑戦、楽しみが広がる。

 古典、昨年はじめの時点では、弾こうと思っていたのだった。特にもっともご無沙汰していた、ベートーヴェンが弾けたらいいなと思っていた。しかし、私の中でスクリャービンやショパンの比率が大きくなっていたのと、引っ越しを始めとした生活の変化でいっぱいいっぱいだったのが原因で、取り掛かるどころではなくなっていた。今年はどうだろう。

バッハ平均律発表会デビュー

2021-03-22 | ピアノ、音楽

 ステージでピアノを弾いてきた。曲目はバッハの平均律第1巻第13番。人前での演奏の機会を求めていた矢先、ピアノ仲間に声をかけていただき、ゴルドベルク変奏曲を演奏されたりバッハの平均律のCDを出されたりしている髙橋望先生の教室の発表会に出演させていただくことになった。

 出演できるということになり脳内選曲会議。真っ先にバッハが思い浮かんだので作曲家は即座に決定、その中で何にするかしばらく迷ったものの、少し背伸びでも今弾きたいと思える曲を選ぶほうが後悔しないと思い、バッハの平均律の好きな曲の中で練習すれば弾けそうな気がした曲に白羽の矢を。平均律第1巻第13番。フーガが難しいのでは、とか、その前にインヴェンションシンフォニアを完璧にするべきなのでは、という、脳内の厳しい言葉がさえぎりそうになったのだけど、そういう言葉に怖気づいているほど私の人生で残りのピアノに割ける期間は長くない、後悔ない選択をと思い選曲。私も平均律のステージでの演奏デビューをしてもよいのでは、と思えそうな雰囲気にもおおいに力づけられた。

 譜読みに本格的に取り組んだのは今年になってから。譜読みだけに関してはプレリュードは楽にできたような気がした。フーガは大変だったけれども想定内。ワーグナーが福音の知らせと名付けた平均律第13番のフーガ、喜遊部の美しさに心惹かれ楽しく練習し続けられたらいいなと思った。しかしレッスンを受けているうちに、穏やかそうにおもえたこの曲の陰影と奥深さを実感。楽に弾けそうに思えていたプレリュードが自分の内部に入り込めない感じがあった中、通常レッスンの師匠がこの曲の素晴らしさをつぶさに解明していくのを目の当たりにし、細かいところに丁寧に目を向けひとつひとつ感動しながら演奏していきたいと思うようになった。フーガは技術的な難しさとしまりをつけるためのハードルを感じていたが、髙橋先生のレッスンでこの曲の解釈、めりはりをつけた演奏へのポイントを実践的に教えていただき、ちょっとした工夫でこんなにこの曲が近くに感じられるようになるのかと目から鱗が落ちる状態だった。

 万全の準備をして臨もうと思っていたのだが準備期間に心そこにあらず状態になったりもした。そんな中でも本番というのは必ずやってくる。

 自然豊かな会場にあるホール。どきどきしながらリハーサル、のびやかに演奏できそうなピアノだった。

 本番、私ははじめのほうだった。プレリュード、細かいところを味わいながら演奏出来た気がする。フーガ、要所は押さえたけれどもちょっとせっかちになってしまった。どのような場でもテンポ感を守ることの大切さを実感した。しかし平均律の発表会デビュー、無事に出来たという確信は持てた。よかった~。

 出演者の方たちの演奏、音楽愛に溢れた演奏ばかりで心洗われた。コメントの紹介欄を読み、そういう気持ちで取り組んでこられたのかというのも伝わってきて心温まる思いになった。髙橋氏によるベートーヴェン作曲皇帝第1楽章の二台ピアノ版も聴けて嬉しかった。髙橋氏とともにオケパートを演奏された方も素晴らしかった

    演奏後のお話タイム、話題の豊富さとマニアックさに脱帽。。。楽しすぎました。

 この発表会に声をかけてくれた友人、貴重な縁をつなげていただいたことに感謝するととともに、広い視野や前向きなチャレンジ精神、見習いたい。

 リハーサル時に会場のピアノの近くで録音した演奏録音のYouTubeを貼り付けます。


大内暢仁氏 Rebirth

2021-02-20 | ピアノ、音楽

 私はピアノが好きである。そしてバロック音楽も好きである。しかしバロック音楽が誕生した時代はピアノが誕生する前だった。特にバッハ以前のバロック音楽を演奏するのは当時存在していた鍵盤楽器であるオルガン、チェンバロ、クラヴィコードが主流になっているし、そのこと自体はまっとうな流れのような気がする。

 しかし、ピアノによるバロック時代の音楽の演奏があったら、ピアノ好きの自分としてはさらに勇気がわきそうな気がしていた。ピアノ好きとバロック音楽好きを堂々と両立させたいという願望も。たとえば以前本ブログでも書いていたロワイエ作曲スキタイ人の行進のような曲のピアノ演奏があったらと思っていた矢先にTwitterで発見!スキタイ人の行進をピアノで見事に演奏している方がいらしたのだった。大内暢仁氏、躍動感あふれる演奏。 

 その大内氏がバロック音楽をピアノで演奏したCDを出されたという。しかもプロデュースはピアニスト内藤晃氏。これは聴かないわけにはいかないとばかり購入。

曲目は下記の通り。

ヨハン・パッヘルベル作曲 組曲嬰へ短調

ヨハン・パッヘルベル作曲 前奏曲ニ短調

ヨハン・アダム・ラインケン作曲 アリア 「結婚しろなんて言わないで」による変奏曲

ディードリッヒ・ブクステフーデ作曲 アリア  ラ・カプリチョーザ

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル作曲 シャコンヌト長調

ヨハン・パッヘルベル作曲 シャコンヌト長調

ディードリッヒ・ブクステフーデ=ストラダル=大内暢仁編曲 シャコンヌホ短調

ジョセフ=二コラ=パンクラス・ロワイエ作曲 スキタイ人の行進

 曲及び作曲家との新鮮な出逢いがあったとともに、ピアノという切り口からのバロック音楽への道案内を見事になしえておりピアノによるバロック音楽の演奏は可能だということが証明された気がするCDだった。

 パッヘルベルといえば即座に頭に浮かぶのがカノンのみだった私だったがCDが始まった途端新鮮なパッヘルベルワールドが!組曲嬰へ短調、チェンバロのためにこんなに薫り高い音楽も残していたのだった。曲の背景を考慮した解釈に基づいた演奏速度、そんな中でも例えばサラバンドから曲の内部にある哀愁がじんわり伝わってきた。そしてオルガンが原曲の前奏曲ニ短調、知識がなければやったバッハだ(すみません、いかにバッハにとらわれてきたか)と思えるようなドラマチックで重厚な音楽。ソステヌートペダルも使いオルガンのらしさとピアノでの響きとを両立させたとブックレットにありまさにと感じた。大自然の中で聴きたくなるような世界!

 ラインケン作曲のアリア 「結婚しろなんて言わないで」による変奏曲、タイトルからしてどんな曲なのだろうと思えそうなのだがとても明るく心穏やかな感じのアリア。いろいろな登場人物が描かれているという。タイトルや背景を知らなかったら「出逢い」なんていう名前をつけてしまいそうだが、確かにだんだん賑やかな感じになってきて。。。どことなくユーモアも感じられた。

 ブクステフーデ作曲アリア・ラ カプリチョーザも穏やかで心温まる主題から始まりどんどん発展して32の変奏が華やかに展開していく変奏曲。バッハ作曲ゴルドベルク変奏曲とどことなく似ていると思ったらゴルドベルク変奏曲はアリアを含め32曲あるとのこと、バッハはこの曲を知っていただろうというブックレットの解説にあったけれどそうだろうと思った。なにしろバッハが4週間の休暇をもらうぐらい尊敬していた音楽家の音楽、大きな影響を受けていたに違いない。先日記事に書いたけれども、時間のある時に、ゴルドベルク変奏曲と聴き比べてみたくなってきた。

 その後はヘンデル、パッヘルベル、ブクステフーデのシャコンヌが続くのだが、それぞれ個性が感じられてよかった。ヘンデル作曲ト長調のシャコンヌ、ういういしく瑞々しい目覚めのようなテーマから始まり温かく華やかに広がる変奏。才能を認められ旅を重ねてきた作曲家らしさ、そしてフランス様式に基づいて作られたという背景があったとあり納得。突然短調になり、またその後長調へと戻る切れ目のなさ切り替えの速さも印象的だった。

 パッヘルベルのへ短調のシャコンヌは原曲がオルガンのために作られたというが、個人的には本CDで最も印象に残った曲であり、ピアノ演奏で聴けてよかったと思える曲となった。悲痛なヘ短調の出だし、「ファ-♭ミ‐♭レ‐ド」というバスの反復。ただならぬ哀しみの雰囲気が。ヘンデルのシャコンヌの華やかなコーダの直後という落差がさらに引き立てたような気がする。「ファ-♭ミ‐♭レ‐ド」のオスティナートが反復される中、細やかに絡み合う中声部、上声部から掻き立てられる感情、その絡み合いに低音部の「ファ-♭ミ‐♭レ‐ド」も見事に絡み取られ。。。その後ブックレットに構成上、そしてパッヘルベルの生涯の中でも大変重要に思えることが書かれていて作曲者パッヘルベルがこの曲を作ったときの心境が心に浮かび涙腺がゆるくなってしまった。オルガンでの演奏も聴き比べてみて再認識、ピアノだからこそ声部の存在の有無の重要性が際立った演奏だったと思う。

 ブクステフーデのシャコンヌホ短調も悲痛な感じの出だし、「ミ‐レ‐ド‐シ」というバスの反復でなんとも悲しい雰囲気で始まるのだが、曲が進み盛り上がり重厚になり感極まっていく中で、半音階で登っていくようなところがあったりして心惹かれた。そして最後の終止は原曲により近い光を感じる内容に!一筋縄でいかないこの曲の特徴に誠実に対峙されていると感じた。

 そして最後は大好きなロワイエ作曲 スキタイ人の行進。このCDの最後を飾るにふさわしい胸をすくような演奏。CDならではの立体感やライヴ感が伝わってきてなんともいえない思いになった。

 ブックレットの文章も探求の姿勢が感じられ読み応えがあった。作曲家の背景、チェンバロとクラヴィコード、鍵盤楽器の対比の説明は必読だと感じた。鍵盤楽器としてのピアノの可能性が感じられ、バロック音楽への関心が広がった。もっとバロック時代の音楽を聴きたいと思えるようになった。

Twitterからでしたら今からでも申し込めます。

NAXOSからでも聴けますし申し込めます。