いろはにぴあの(Ver.4)

音楽、ピアノ、自然大好き!

奥井紫麻氏 ピアノリサイタル

2018-07-29 | ピアノ、音楽

 若くしてオーケストラと共演し、マツーエフ主催のコンクールで最年少受賞、キーシン氏に「これほどの年齢でこれほどまでに音楽を理解して感じる事ができ、楽器を自由に操ることができるとはただただ驚いた。」と評されたピアニスト、奥井紫麻氏のピアノリサイタルに行ってきた。

 曲目は

ピアノソナタ第11番 変ロ長調 Op.22   ベートーヴェン作曲

ウィーンの謝肉祭の道化 Op.26              シューマン作曲

休憩

24の前奏曲 Op.28 より 第1番~第12番 ショパン作曲

夜想曲第8番 変ニ長調 Op.27-2     ショパン作曲

夜想曲第10番 変イ長調 Op.32-2            ショパン作曲

スケルツォ第2番 変ロ短調 Op.31            ショパン作曲

アンコール

ひなぎく ラフマニノフ作曲

 ベートーヴェンの第11番、第1楽章のはつらつとした進行とともにピアノと耳とが楽曲になじんでいく。そして第2楽章のアリアでいきなり別世界へ、なんて美しいのだろう。まるで夢を見ているようなピアノの歌わせ方。第3楽章のメヌエットもデリケートなところまで心が行き届いていて、第4楽章、まるでかぐわしい花に包み込まれているよう。

 シューマン作曲ウィーンの謝肉祭の道化、私の大好きな曲。第1楽章のアレグロ、華やかな祭りの始まり、その後広がるロマンチックな世界、ラ・マルセイエーズ、そこまでの豊かなドラマ。ごまかして流すようなところが全くなく、音色の変化、間の取り方など、音楽の流れを噛みしめ自分のものとして消化させながら演奏しているのが感じられた。第2楽章ロマンツェ、今までは存在感あふれる前後の曲と比べてあまり注目して聴いてこなかったのだが、今日はこの曲の一音一音が実感をもって心に響いてきた。はかなくも忘れられない美しさ。第3楽章のスケルツィーノはユーモアをもって軽やかに舞っているように。そして大好きな第4楽章インテルメッツォ、情念の感じられる歌の背後の分散和音のレースのような細やかさが美しかった。曲の魅力がするめのように伝わってきた。どんなに激しい曲でも音楽の流れに伴い細やかな変化がある。勢いだけでやみくもにたたきつけるような演奏では何も伝わらないというのをあらためて実感することに。第5楽章フィナーレも同じく、勢いと華やかな出だしで印象付けながらも、その後のメリハリがしっかりしていて説得力が感じられた。楽譜に書かれている音はすべて有機的で無駄な音が一切ないのだということを演奏を通じて教えられたような気がした。

 休憩後、ショパンの前奏曲より前半。この前奏曲、どちらかといえば後半の曲に私の好きな曲が多く、今まで前半についてはあまり各曲の特徴をつかめて聴いてこなかったのだが、今回前半だけ聴いてそれぞれ個性的なキャラクターとエネルギーを持った曲だったのだと改めて感じた。第1番、第3番の軽やかで優美な雰囲気、第7番の静かでほっとする雰囲気、第11番ののびやかに歌うような雰囲気、それぞれの曲の放つ魅力が感じられた。しかし最も好きだったのは第4番と第6番のアウフタクトの部分だった。そこから哀愁のこもった歌へと流れゆく部分のせつなさ、忘れられない。音が減衰するピアノだが、弾き方によってはここまで自由に歌わせることができるのだ。

 ショパンの夜想曲より2曲。第8番Op.27-2と第10番Op.32-2。魅惑的な旋律にうっとり、憧れの世界へと連れてってくれた第8番、軽くてきらきらした装飾音がさらに魅力を引き出していた。一部抑制したように思えるところもありながら、その抑制されたところのおかげで音楽がしまりのあるものになっていた。夜想曲第10番Op.32-2、出だしとコーダののどかで温かい雰囲気と再登場による安堵感が心地よかった。そしてその間のドラマチックな部分から湧き出すほとばしるような情熱はまるで永遠の世界へと向かっているようだった。ちょっと感傷的だけどゆりかごのように温かく優しい世界。

 ショパンのスケルツォ第2番。印象的な出だし和音、そくぞくするすべり出し、その後しなやかな部分へと移行。音楽の移り変わりに伴い色彩も変わりこの曲の多様性を実感。曲の場面が移行する際に適度な間が感じられるのだが、その間の取り方が絶妙だった。音楽に決して流されず、音楽の流れを演奏を通して作っていく、そんな意思が、感じられた。後半盛り上がり部分のエネルギーは終結部に向けて保たれ推進力を持って力強くコーダへと向かっていった。最後の一音まで輝きとエネルギーのある音だった。小さな体いっぱいから出された豊かな音楽の世界も終結へ。

 盛大な拍手の後アンコール。ラフマニノフ作曲のひなぎく。さまようように幻想的で北方を感じさせる響き。心の奥底にある宝石箱のふたの一部をそっと開けてくれたような感じがした。かけがえのないプレゼント。

 それにしても聴きごたえたっぷりの演奏会だった。隅々まで心が行き届き音楽への愛情が溢れんばかりに感じられた。発するあらゆる音と間に魅力、意味と方向性が感じられ、この曲はこんなに素晴らしい曲だったかと発見しっぱなしの状態だった。楽曲の構造を確実に消化、納得し、音楽の中の物語が伝わってくるようだった。速い曲もゆっくりした曲も曲の流れはきちんと保ちながらも、適当に流されて弾いたところが全くなかったのもすごいと思った。動画にある演奏の説得力、生演奏で改めて実感した。これからのご活躍が楽しみ。

お守りにします!

 


暑い季節に

2018-07-24 | 気になる場所、風景

 堂々と咲き誇る花、むくげ。

 横浜に住んでいた時、ピアノ教室に向かう坂の横にある畑で、ぎらぎらと暑い空の下で暑さ知らずのように薄いピンクの花が堂々と咲きほこっていたのが印象に残っていた。この花の名前がむくげだと知ったのは、その時がきっかけだった。

 そしてこちら富山でも、むくげは猛暑をものともせず堂々と咲いている。このたくましさとしなやかさ、たいしたものだ。

 

 


第2楽章は難しい

2018-07-24 | ピアノ、音楽

 ピアノソナタの第2楽章といえば、速くて華やかだったり軽快だったりする第1楽章と第3楽章に囲まれた、ゆっくりしていて譜読みには時間がかからないし演奏もしやすい曲が多いようにみえるのだが、そのような、音符の少ないはずの曲が、思うように弾けない。どうしてこんなに弾けないのだろう。音が少ない曲ほど、その人の本質が出ると言われているけれど、まさにその通りの楽章だし、そのように言われれば言われるほど、落ち込みのループがさらに限りなくなるのだった。

 悶々としている一方で、人の演奏については今まで聴こえてこなかったものが聴こえてきた。その曲(モーツァルトKV.311の第2楽章)、プロの演奏を聴き比べてみたらピアニストによって驚くほど違うではないですか!ピリスの演奏は情感豊かで美しいけれど、あのようにたっぷりと間を持たせながら演奏するのは本当に大変だと思った。リリー・クラウスのようにチャーミングながらもピリスほどたっぷりしすぎていないほうが私にはお近づきになりやすいかも。ワルター・クリーン、地味なようで確実なところを押さえていて安心感がある、やっぱりモーツァルト弾きで定評があった方だと思った。グルダ、のびやかな演奏をする印象を抱いていたピアニストなのだが、ここで聴き比べた際には第2楽章にしては乾いた感じに思えた。久元祐子さん、癖がなくきめ細やかな演奏、本人のお人柄まで垣間見える。そして以前から気になっていた小倉貴久子さんのフォルテピアノの演奏、楽譜に書かれていない音も入ったりしていてのびやかで自由そのものに思えるのだが、これぞ当時の即興的な演奏を再現しているかもしれないし、曲の骨格や大切なところはしっかりとらえ音楽の魅力がたっぷりつたわってきて、なんとも心地よい演奏なのだった。そして今は残念ながら聴けないのだが、こちらのソナタ、4年前の浜松国際ピアノコンクールに出演したドミトリー・マイボロダ氏の演奏が大好きだったのを思い出した。改めて聴きたくなっているのだが今は叶わなくて残念。

 彼らの演奏、決して真似はできないけれど、演奏から伝わってくる音楽の流れや曲への愛情や作曲家への尊敬の念に少しでもあやかりたいと思った。

P.S)小倉さんの名前に誤字があったので直しました。人の名前を間違えるのは失礼な事だと思います。申し訳ありませんでした。


鍵盤ハーモニカ

2018-07-22 | ピアノ、音楽

 ついにやってきました。鍵盤ハーモニカ♪ス◯キのメロディオンです。

ピアノ以外の楽器も是非やりたい、と思いながらも、なかなか第一歩を踏み出せなかった私にとって福音のような存在。

音域は限られるけど、どこでも持ち運べるし、音が減衰しないのが嬉しい。一音出しながらその音にクレッシェンドかけられるのも嬉しい。ちなみにこちらの楽器はどちらかといえば音が低めな気がした。低音楽器ずっと憧れていた。

弦楽器の曲で弾きたかった曲の弦楽器部分から練習してみようかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


基礎力をつけたい

2018-07-21 | ピアノ、音楽

 ここ最近の私のピアノ、スランプそのものの状態だと感じていたら、レッスンで音を確実に聴き細かいところまで心を配るようにとアドバイスを頂いた。耳も鋭敏にならなければ。自然に聴こえる音楽にするだけでも背景ではいろいろなことに心配る必要があるのだと感じた。ミスタッチをしないことも大切だけど、音楽を停滞させず流れをつくることの大切さも感じた。メトロノームで拍を合わせるのも大切だが、そこから流れのある音楽へともっていかなければ。

 それにしても難しい箇所で注意して弾こうとした途端、意識するあまり肩が上がり顎に力が入ってしまうようだ。間違えやすいところだから気をつけねばと思うのだろうな。そういうところでも、心では意識しても、体には反映させないように、余計な力を入れないで自然な体の動きで弾けるようになりたい。

 しばらくご無沙汰していた練習曲の楽譜を開いている。特にチェルニー、子供のころは大嫌いだった、大人になって有難味がわかり、いい曲だと思えるようになりながらも、やったりやらなかったり、しかもやったとしても、どの曲も苦手な所はお茶を濁して弾いていた。そのようなツケが今になってまわってきている気がする。これからは苦手なところを中心にピックアップしてゆっくり練習しよう。でも早く完全にやろうとしたら絶対にできないから、欲張らずに確実に(これが一番大切!)