いろはにぴあの(Ver.4)

音楽、ピアノ、自然大好き!

怖いクラシック

2018-06-16 | 読書

 中川右介著『怖いクラシック』NHK出版新書

 中川氏の著書、先日ブログで挙げた戦争交響楽 に心打たれた私、その後も中川氏の著書を読み続けようと思っていたが、そのまま続編の『冷戦とクラシック』に向かうのはちょっと骨が折れそう気がしたので、時代はのぼりクラシックの作曲家たちが作った「恐怖」をキーワードにした音楽について書かれた本書を先に読むことにした。

 クラシック音楽は、いわゆる「癒しの音楽」ではない。むしろ、死、神、孤独、戦争、権力など、「恐怖」の世界も描いている。大作曲家たちが作った「怖い」音楽の紹介とそれらの曲が作られた時の背景や作曲家たちの状況について書かれていた。

 モーツァルト作曲ドン・ジョバンニ、ベートーヴェン作曲交響曲第5番運命、交響曲第6番田園の第4楽章、ベルリオーズ作曲幻想交響曲、ショパン作曲ソナタ第2番葬送行進曲、ヴェルディ作曲レクイエム、ラフマニノフ作曲前奏曲嬰ハ短調、ピアノ協奏曲第2番、マーラー作曲交響曲第1番、ヴォーン・ウィリアムズ作曲田園交響曲、ブリテン作曲シンフォニア・ダ・レクイエム、ショスタコーヴィッチ作曲交響曲第10番 が怖い音楽として挙げられていた。聴いたことがある曲もない曲もあるし、怖いというよりも激しい曲という分類でもよいのではと思える曲もあったけれど、作られた時代背景を感じたら当時の人たちにとっては怖い曲だったのかもしれないと感じた。怖い曲と言えば、グレゴリア聖歌やそれ以降のルネサンス時代、バロック前期なんかさらにおどろおどろしいと思える音楽が沢山あるし、また新しくはドビュッシーの曲にも一部怖さを感じたりするので選曲内容についてはちょっと突っ込みどころがあるような気がしたが、怖いという感覚自体主観的な感覚なので、選曲結果も百人百様だろう。個人的には、「怖い」曲を作った作曲家たちの作曲時の心境や時代背景の説明が面白く感じられた。怖い曲が作られたからと言って作曲家がその時に怖い思いやつらい思いをしていたわけではなく、またその逆もあったりするのが面白いと思った。そしてやはり時代の価値観の変化によって何度も怖い思いや矛盾した思いを抱えることがありながらも芸術家としてつよく生き続けたショスタコーヴィッチ、ますます気になる作曲家になっている次第(なぜかここに至る、今まで私は彼の音楽にほとんど目を向けてこなかったこともあるし、あまりにも過酷な状況を潜り抜けてきたということで強いインパクトを受けている。中川氏の筆の力もありそうだ、おそらく好きな作曲家だったのではないだろうか)。

 

 


戦争交響楽 読了

2018-06-05 | 読書

 中川右介著『戦争交響楽 音楽家たちの第二次世界大戦』朝日新聞出版

 第二次世界大戦、特にドイツのナチス政権に翻弄された音楽家たちがどのような行動をとりどのように生きていったかというのを追った話。ユダヤ系だったため身を守るために亡命したワルター、ナチスに心では反対しているのにも関わらず、政治に疎かったためにいつの間にかナチスの宣伝塔のようになっていたフルトヴェングラー、ナチスやファシズムと徹底して戦い明確な態度を取り続けたトスカニーニ、出世のためにナチスに入党したもののヒトラーに嫌われフルトヴェングラーにも疎まれながらも聴衆からの人気があったカラヤン、その他音楽家たちもドイツ陣営、非ドイツ陣営、どちらかの立場につかざるを得なかったか、もしくは、危機的な状況の中で、生きるために立ち回らなければならなかった。それにしてもあの強面そうなフルトヴェングラー、よくも悪くも不器用で人間くさくて近くにいたら魅力的だけどとても大変な人だというのが手に取るようにわかるというのがなんともいえず。。。

 ドイツ降伏が時間の問題となった1945年4月25日、連合国側は「国際機構に関する連合国会議」をサンフランシスコで開いた。ポーランドはロンドンにある亡命政権と国内にあるソ連が支援していた政権との二つの政府のどちらが正当な代表になるかもめていて代表を送ることができず、会場には国旗もなかった。そんなサンフランシスコで演奏会をすることになったポーランド出身のルービンシュタインは胸の動悸を抑えることができず、「よりよき世界の創造のために偉大な国々が集まったこのホールに、ポーランドの旗がありません。この国のために残酷な闘いがあったというのに」と言い、ポーランド国家をすさまじい音量で弾いたという。そして彼は生涯、ドイツでは演奏しなかったという。この話を読んでルービンシュタインがますます好きになった。

 信念を貫きながらもいかに危機を乗り越えて生きていくか、そして守るべきものを守って生きていくか、極限の立場に立たされた音楽家たちのたくましき生きざまが伝わってきて心打たれたとともに現代にもつながるものが感じられた。巨匠と言われる人々も人間くささに満ち溢れ、立場の違いや弱点に心の中で憤りを感じたり涙したりすることがありながらも音楽とともに生き抜いたのだというのが伝わってきた。良質なドキュメンタリー映画を見ているようだった。内容、確実に消化するために、もう一度、読み直したくなっている。(そして関連図書も読みたい)登場する音楽も聴きたい。ショスタコーヴィッチの交響曲第7番、次に聴くときは聴く姿勢が変わりそう。お粗末な感想しか書けていないのだが、この本を紹介してくださった方に深く感謝している。


舟を編む

2018-02-16 | 読書

 『舟を編む』三浦しおん 著

 本屋大賞受賞作、広辞苑が改訂した今、急に読みたくなり読むことにした(後でテレビアニメになっていたことも知りました)。出版社で辞書「大渡海」を作ることになり辞書つくりの中核となる人物として荒木氏から引き抜かれた元営業部員馬締氏。対外交渉や雰囲気づくりは苦手な馬締氏だが、言葉への鋭いセンスと追求する姿勢は一流のものだった。不正確だったりあいまいだったりする内容をとことん排し納得いく語義を見つけながらも言葉の漏れや不足がないように、五校という複数回構成し、納得いくものと作り上げていく過程が描かれていて面白かった。一見チャラチャラしており、自分と反対のタイプと思える馬締氏に憎まれ口を叩きながらも心の奥底では認め、教授との難しい交渉などの得意分野で馬締氏と辞書作りを支えた西岡氏、事務仕事を一手に引き受け信頼できる仕事ぶりの佐々木氏、そして全く異分野の仕事ながらも仕事への真摯な向き合い方で共感するところがあり生涯の伴侶となった香具矢氏、異部署からやってきて当初は馬締氏の姿勢に違和感を持ちながらも西岡氏のフォローも受け真摯に辞書作りに取り組んだ岸辺氏、辞書をめくるうえで最善な用紙を納得いくまで作り続けた製紙会社の宮本氏、そして辞書編纂に亡くなる直前まで情熱を注ぎ続けた松本先生、それぞれの登場人物が魅力的に描かれていた。登場人物たちがお互いの強みを認め合い弱点をカバーしあっているところに心洗われた。 いつの間にか馬締氏と香具矢氏、西岡氏と伴侶の三好氏が結婚していたり等、時の経過や話の展開が急すぎるように思えたこともあったが、辞書作りという長い期間をかけて行う仕事を一作で収めようとしたらそのようにならざるを得なかったのかなという気もしている。


『意味がなければスイングはない』

2018-01-06 | 読書

 『意味がなければスイングはない』村上春樹著

 村上春樹、恥ずかしながら、今までほとんど読んてこなかったのだが、ある方からこの本のことを教えていただき手に取った。そして読み始めた途端、あまりの面白さに目が文章に吸い付けられるようになった。

 クラシック、ジャズ、ロック、Jポップ、あらゆる音楽シーンから選んだ11名の音楽について書かれている。印象に残った人物や音楽について書こうと思う。

 シューベルトのピアノソナタといえば長くて意味や目的がくみ取りにくい印象があるのだが、村上春樹はそんなシューベルトのピアノソナタが好きなのだそうだ。そして最も愛好している曲が、第17番D580という、構築が甘く意味も見えにくく良さがわかりにくいと言われ、録音もなかなか行われなかった曲とのこと。そしてその愛聴している第17番を新旧15のピアニストで聴き比べて率直な感想を述べていた。アンスネス、バドゥラ・スコダ、ワルター・クリーン、クリフォード・カーゾン、ユージン・イミストンを一押し、シフ、内田光子、ギレリス、リヒテルはなんとか評価、そして辛口を書かれたピアニストたちもいた。とにかくよく聴きこまれていて脱帽状態だったが、個人的に、私も好きなワルター・クリーンとクリフォード・カーゾンの演奏を一押ししていたのが嬉しかった。ただ今まで私が聴いてきた彼らの演奏はモーツァルトばかりだった。彼らのシューベルトもぜひ聴きたいと思った。先日の音楽入門講座 シューベルトとシューマン 以来シューベルトの音楽が気になる度合いが明らかに増えているところだし。そして、アンスネスやバドゥラ・スコダも聴いてみたいと思った。こんなことを書いていたらきりがない。

 ゼルキンとルービンシュタインはまさに対照的で持ち味が全く違う二人。ルービンシュタインが16歳年上だが二人とも東欧出身のユダヤ人で少年時代は貧しい生活だった。しかしルービンシュタインは抑圧に対して反抗的、練習嫌い、その一方でゼルキンは少年時代に家から離れ演奏会を開き困窮した実家を支えていた。ルービンシュタインは楽天的で自由奔放、危機的な状況も天才的な才能にささえられたはったりで乗り切ることもあったとのことだが、ゼルキンはどのようなピアノでも弾けるように家には劣悪の状態のピアノで何時間も練習していたというストイックな人だったとのこと。私が愛聴してきたルービンシュタインのショパン演奏の背後には華やかな彼の人生があったのかと感じたとともに、厳しい状況の中で真摯に音楽に向き合ってきたゼルキンの演奏をぜひ聴いてみたいと思うようになった。

 ブライアン・ウィルソンは、ザ・ビーチ・ボーイズのリーダーでボーカルだが、村上氏は彼のことを、稀代の天才だと語る。ザ・ビーチ・ボーイズと言えば、ビキニの娘、サーフィン、改造車、青い海に象徴される1960年代から70年米国西海岸若者文化を象徴した太陽のように明るく元気いっぱいの音楽の印象があり私もいいと思っていた時期があったのだが、太陽がきらきらとさすような口当たりの良い音楽というのは、なんと彼らの長いキャリアの中ではほんの数年間だった。そしてブライアン・ウィルソンにイメージがつきまとったために、ポップ性が薄まった内面的な音楽を作ろうとしたとき、どんなに天才のきらめきが感じられる音楽でも聴衆に受け入れられず、苦悩に陥りドラッグ漬け、創作意欲の低下という試練に陥る羽目になる。しかし仲間の死をきっかけに、とことん落ち込んでいたブライアンは生活を立て直し、音楽人生の第二章を作り上げた。ビーチ・ボーイズの音楽に対して、一時期の表面的な印象しか抱いていなかったのだが、その後、彼らが大変な試練を乗り越えながら違う面を持った音楽を作り上げていたということをしり、かなり衝撃を受けた。

 スタン・ゲッツといえばとろけるように甘いサックスの印象があり聴いていて心温まる音楽の印象が強いのだが、当のスタン・ゲッツ氏はヘロインの常習者であり、演奏もヘロインの助けを得ながらしていたことが多かったとのこと、そして、人生にも闇の時代があった。自己矛盾のある人生でありながらも、天上的に美しい音楽をひたむきに現役奏者として奏で続けてきた彼は、ジャズを「夜の音楽なんだ」と秘密を打ち明けるように語ったという。

 ブルース・スプリングスティーンと言えば「ボーン・イン・ザ・USA」が思い浮かぶが、この曲はアメリカの希望を語るどころか、その反対の、怒りと絶望と悲しみに満ち溢れた内容だった。そして、労働者階級から紆余曲折を経てロックンロール歌手になったブルース・スプリングスティーンは酒もたばこもドラッグもやらず放埓な生活もしないという堅実な人物だとのこと。

 ほかの紹介人物、音楽についても、細やかに、愛情深く書かれていて、読みごたえがたっぷりだ。

 この本を読んで、記憶の背後に隠れていた音楽を掘り起こし、新たな音楽との出逢いを切り開きたくなった。非常に面白かった。紹介してくだった方に感謝の気持ちしかない。

 


出逢ってよかったピアノ練習法の本

2018-01-02 | 読書

 中嶋恵美子先生著『知っておきたい!ピアノ表現27のコツ センスがないとあきらめる前に』

 書店で見かけ立ち読みしているうちにびびびっと来て購入した本。

 最初に気に入ったきっかけは「センスがないとあきらめる前に」という私の心を見透かしたようなタイトル。生まれ持ったセンスがなくても、やり方次第で美しい音色、歌心、そして魅力ある演奏に近づくことができそうな希望が感じられた。

 ピアノを弾くうえで心掛けたい27のポイントがわかりやすく書かれていた。その内容は、すぐに実現できそうなものであった上に、すとんと腑に落ちるようなものだった。大げさかもしれないけれど、心に光がさし、身が震えそうな思いになった。27のポイントごとではないのだが、特に心に残った部分を採り上げてみる。

 フレーズを感じる演奏をするために、音の強弱よりも最後の音を特別大事に演奏する意識が大切

 脳から指令を出し自分の意志で指をコントロールするために、次の音を明確にイメージし指に指令が送られ弾く準備が整ったら次の音を弾く。このように「止める練習」は指が先走ってしまう音の手前でも有効

 作曲家がしかけた変化の瞬間を見逃さない

 両手で左右異なる音量を弾くための練習法(ここでは省略します) 弱音を弾く際に力をセーブしたときの体の使い方に注意を払い再現する

 ひとまとまりの音楽はひとまとまりの動きで弾く

 低音の弦は太くて長く、高音の弦は細くて短い。弦の細い高音は弦の太い低音が大きくなると目立たなくなるので、クレッシェンドの時は高音から。

などなど。書き過ぎるとあらゆる面で申し訳ないのでこのあたりで止めておく。特に最後の音を大切にすることと、止める練習はいずれはインテンポで弾かなければならないことになるにしても実際の練習で効き目があり弾きにくいところも弾きやすくなってびっくりした。いずれ拍に合わせてインテンポに弾かなければならないにしても、あいまいなまま流してしまうことになるのだったら、これからはいったん止めてそろえてみようと思った。

 このような本は、人によってツボとなるところが違うかもしれず、合う合わないも個人的な面があると思うが、私にとっては、中嶋先生のこの本との出逢いは非常に大きなものだった。感謝。