私はピアノが好きである。そしてバロック音楽も好きである。しかしバロック音楽が誕生した時代はピアノが誕生する前だった。特にバッハ以前のバロック音楽を演奏するのは当時存在していた鍵盤楽器であるオルガン、チェンバロ、クラヴィコードが主流になっているし、そのこと自体はまっとうな流れのような気がする。
しかし、ピアノによるバロック時代の音楽の演奏があったら、ピアノ好きの自分としてはさらに勇気がわきそうな気がしていた。ピアノ好きとバロック音楽好きを堂々と両立させたいという願望も。たとえば以前本ブログでも書いていたロワイエ作曲スキタイ人の行進のような曲のピアノ演奏があったらと思っていた矢先にTwitterで発見!スキタイ人の行進をピアノで見事に演奏している方がいらしたのだった。大内暢仁氏、躍動感あふれる演奏。
その大内氏がバロック音楽をピアノで演奏したCDを出されたという。しかもプロデュースはピアニスト内藤晃氏。これは聴かないわけにはいかないとばかり購入。
曲目は下記の通り。
ヨハン・パッヘルベル作曲 組曲嬰へ短調
ヨハン・パッヘルベル作曲 前奏曲ニ短調
ヨハン・アダム・ラインケン作曲 アリア 「結婚しろなんて言わないで」による変奏曲
ディードリッヒ・ブクステフーデ作曲 アリア ラ・カプリチョーザ
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル作曲 シャコンヌト長調
ヨハン・パッヘルベル作曲 シャコンヌト長調
ディードリッヒ・ブクステフーデ=ストラダル=大内暢仁編曲 シャコンヌホ短調
ジョセフ=二コラ=パンクラス・ロワイエ作曲 スキタイ人の行進
曲及び作曲家との新鮮な出逢いがあったとともに、ピアノという切り口からのバロック音楽への道案内を見事になしえておりピアノによるバロック音楽の演奏は可能だということが証明された気がするCDだった。
パッヘルベルといえば即座に頭に浮かぶのがカノンのみだった私だったがCDが始まった途端新鮮なパッヘルベルワールドが!組曲嬰へ短調、チェンバロのためにこんなに薫り高い音楽も残していたのだった。曲の背景を考慮した解釈に基づいた演奏速度、そんな中でも例えばサラバンドから曲の内部にある哀愁がじんわり伝わってきた。そしてオルガンが原曲の前奏曲ニ短調、知識がなければやったバッハだ(すみません、いかにバッハにとらわれてきたか)と思えるようなドラマチックで重厚な音楽。ソステヌートペダルも使いオルガンのらしさとピアノでの響きとを両立させたとブックレットにありまさにと感じた。大自然の中で聴きたくなるような世界!
ラインケン作曲のアリア 「結婚しろなんて言わないで」による変奏曲、タイトルからしてどんな曲なのだろうと思えそうなのだがとても明るく心穏やかな感じのアリア。いろいろな登場人物が描かれているという。タイトルや背景を知らなかったら「出逢い」なんていう名前をつけてしまいそうだが、確かにだんだん賑やかな感じになってきて。。。どことなくユーモアも感じられた。
ブクステフーデ作曲アリア・ラ カプリチョーザも穏やかで心温まる主題から始まりどんどん発展して32の変奏が華やかに展開していく変奏曲。バッハ作曲ゴルドベルク変奏曲とどことなく似ていると思ったらゴルドベルク変奏曲はアリアを含め32曲あるとのこと、バッハはこの曲を知っていただろうというブックレットの解説にあったけれどそうだろうと思った。なにしろバッハが4週間の休暇をもらうぐらい尊敬していた音楽家の音楽、大きな影響を受けていたに違いない。先日記事に書いたけれども、時間のある時に、ゴルドベルク変奏曲と聴き比べてみたくなってきた。
その後はヘンデル、パッヘルベル、ブクステフーデのシャコンヌが続くのだが、それぞれ個性が感じられてよかった。ヘンデル作曲ト長調のシャコンヌ、ういういしく瑞々しい目覚めのようなテーマから始まり温かく華やかに広がる変奏。才能を認められ旅を重ねてきた作曲家らしさ、そしてフランス様式に基づいて作られたという背景があったとあり納得。突然短調になり、またその後長調へと戻る切れ目のなさ切り替えの速さも印象的だった。
パッヘルベルのへ短調のシャコンヌは原曲がオルガンのために作られたというが、個人的には本CDで最も印象に残った曲であり、ピアノ演奏で聴けてよかったと思える曲となった。悲痛なヘ短調の出だし、「ファ-♭ミ‐♭レ‐ド」というバスの反復。ただならぬ哀しみの雰囲気が。ヘンデルのシャコンヌの華やかなコーダの直後という落差がさらに引き立てたような気がする。「ファ-♭ミ‐♭レ‐ド」のオスティナートが反復される中、細やかに絡み合う中声部、上声部から掻き立てられる感情、その絡み合いに低音部の「ファ-♭ミ‐♭レ‐ド」も見事に絡み取られ。。。その後ブックレットに構成上、そしてパッヘルベルの生涯の中でも大変重要に思えることが書かれていて作曲者パッヘルベルがこの曲を作ったときの心境が心に浮かび涙腺がゆるくなってしまった。オルガンでの演奏も聴き比べてみて再認識、ピアノだからこそ声部の存在の有無の重要性が際立った演奏だったと思う。
ブクステフーデのシャコンヌホ短調も悲痛な感じの出だし、「ミ‐レ‐ド‐シ」というバスの反復でなんとも悲しい雰囲気で始まるのだが、曲が進み盛り上がり重厚になり感極まっていく中で、半音階で登っていくようなところがあったりして心惹かれた。そして最後の終止は原曲により近い光を感じる内容に!一筋縄でいかないこの曲の特徴に誠実に対峙されていると感じた。
そして最後は大好きなロワイエ作曲 スキタイ人の行進。このCDの最後を飾るにふさわしい胸をすくような演奏。CDならではの立体感やライヴ感が伝わってきてなんともいえない思いになった。
ブックレットの文章も探求の姿勢が感じられ読み応えがあった。作曲家の背景、チェンバロとクラヴィコード、鍵盤楽器の対比の説明は必読だと感じた。鍵盤楽器としてのピアノの可能性が感じられ、バロック音楽への関心が広がった。もっとバロック時代の音楽を聴きたいと思えるようになった。
Twitterからでしたら今からでも申し込めます。
NAXOSからでも聴けますし申し込めます。