梅雨も明け一気に暑くなりましたね。
近所で咲いていたガクアジサイのあまりの美しさに心奪われ、絶対にこの花は絵にしなければと思って一か月あまりたってしまいました。しかしなんとかここまで描けました。やっぱり色鉛筆で絵を描くのは楽しいです♪
そこでちょっぴり名残を惜しみながらアップします。
梅雨も明け一気に暑くなりましたね。
近所で咲いていたガクアジサイのあまりの美しさに心奪われ、絶対にこの花は絵にしなければと思って一か月あまりたってしまいました。しかしなんとかここまで描けました。やっぱり色鉛筆で絵を描くのは楽しいです♪
そこでちょっぴり名残を惜しみながらアップします。
昨日は主人と金沢に演奏会に行ってきました。オーケストラ・アンサンブル金沢によるシリーズで、ショパンと友人たちという企画の第5回目です。このショパンと友人たちという企画、オーケストラ付きのショパン作曲のピアノ曲全6曲を連続演奏するという企画だったようで、今回はその最終回とのこと、そしてショパンの友人として今回採りあげられた作曲家はメンデルスゾーンでした。
今回の出演者、指揮はオーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督でもある井上道義氏、ショパン作曲のピアノ曲のピアノ演奏は浜松国際ピアノコンクール、リーズ国際ピアノコンクール等で入賞し活躍中の若手ピアニスト北村朋幹氏、演奏はオーケストラ・アンサンブル金沢でした。今回はフルートに工藤重典氏が加わっていました。このような豪華顔ぶれによる生演奏を聴けるというだけで開始前から興奮状態でした。
演奏会の開始前、会場全体が暗くなりナレーションの門田宇氏にスポットライトが!そしてショパンの生涯を物語るナレーションがありました。地平線が平らで敵の攻撃が避けられず戦いを繰り広げざるを得ない歴史を持っていたショパンの故郷ポーランド、まさに祖国の独立問題に直面し地図からポーランドの名前が消えそうになっていた時代、そのような中でポーランドを愛し守るために苦悩しながらも音楽で祖国に尽くそうと決心し1830年にコンスタンツヤ・グワドコフスカからの指輪を備えながらもワルシャワを旅立ちウィーンに向かったショパン、その際の告別の演奏会では、ピアノ協奏曲第1番をショパンが演奏しコンスタンツァが歌を歌い大盛況だったという話が熱く語られました。
そしてプログラム第1番、ショパン作曲「ポーランドの歌による幻想曲作品13」。告別演奏会の前の、1830年3月のコンサートでピアノ協奏曲第2番とともに初演された曲です。元来は前回の演奏会で演奏される予定だったこの曲、出演者の事情により演奏が今回に回ったとのこと、おかげ様で聴くことができました。会場は比較的明るくなっていました。舞台設置ですが通常のピアノ協奏曲に見られる配置ではなく、ピアノが正面を向いていて北村さんの顔が正面から見える状態、その手前に井上さんが立って指揮されていました。田園風景みたいに温かいながらも哀愁を感じる出だし、そこからたちまち景色が広がり甘く歌うような世界が広がり、ポーランド民謡「月は沈みぬ」の主題に次々と装飾が加えられました。オーケストラとピアノとの対話のようなやり取り、ポーランドの民謡を思わせるのどかで懐かしい世界が感じられました。オーケストラの間を光を放ちながらも細やかに舞うように溶け込んでいたピアノは奥ゆかしく優しさが込められていたような気がします。第3部はポーランドの民族舞踏による主題で華やかな躍動感がありしっかりした筋が感じられました。エレガントで隅々まで行き届いた雰囲気の感じられる演奏だったと思います。
小休憩挟んでキラール作曲「オラヴァ」。作曲者のヴォイチェフ・キラール(1932~2013)はポーランド生まれのつい最近まで存命だった作曲家で、映画音楽の分野でも活躍していました。ショパンとメンデルスゾーンが横軸の関係だとしたらキラールは縦軸の関係にあると説明がありました。このオラヴァという曲は1986年に書かれた弦楽オーケストラのための曲で、プログラムによるとタイトルの「オラヴァ」はポーランドとスロヴァキアにまたがるカルパチア山脈を流れるオラヴァ川を指すとともに牧草地の意味も持ち、作曲者キラールにとって数少ない満足できる自作だったとのことです。再び会場全体が暗くなり演奏者の弦楽器パートの方達にスポットライトが当てられました。ミニマル・ミュージックといえそうな、民族的な土臭さをと哀愁を感じる音型が反復され徐々に絡み合いが激しくなりました。その盛り上がり方はまるでそれは最初の門田氏のナレーションにあったように山と人気のない雄大な牧草地の草が風に吹かれてどこかに集結していく様をあらわしているように見えました。途中で弦楽器を打楽器のように叩いたり不協和音を出すようにこすったりというシーンもあり、それが一層土臭さを感じさせるものになっていました。そして盛り上がりが頂点に行ったところではっとする甘い旋律になり「ヘイ!」という掛け声で終了、非常にインパクトの強い演奏でした。ポーランドの牧草の生えた大地がスポットライトを浴びた演奏者たちの間から浮かんできました。
ショパン作曲「ピアノ協奏曲第2番」。1829~1830年、19歳の時に作られて、1839年3月のワルシャワのデビューコンサートで「ポーランドの歌による幻想曲作品13」とともに初演された曲で公演は大成功、一般聴衆からも批評からも賛辞が寄せられました。この曲の設置では通常のピアノ協奏曲で見られる北村さんのピアノが横を向いた配置になっており、井上さんはピアノの背後に立って指揮をされていました。第1楽章、哀愁にあふれた問いかけに答える第1主題の後、オーボエによるほっと包み込まれるような温かい第2主題が奏でられるという導入部の後に北村さんのピアノが入ったのですが、ここの出だしの語りかける様子、そしてそこから音楽がきらきらと変化していく様子が究極に優しく美しく、夢の世界に導かれたような気持ちになりました。永遠の空を星の砂がきらきらと舞いながら下りていくようでした。北村さんのピアノ、弱音の美しさも印象的で誠実で優しい思いが沢山伝わってきました。一日たった今でもこの第1楽章の後半部分が余韻に残っています。第2番と言えば第2楽章が一番好きだったのですが、今回は第1楽章の素晴らしさを実感することができました。そして、理想の女性コンスタンツヤ・グワドコフスカへの想いが込められた第2楽章に入ったのですがここの切り口の美しさは筆舌に尽くせぬものでした。短調になる中間部では弦楽器の刻みとともにぐいぐいと音楽が奥へ奥へと深まりぞくぞく、ここでの情熱的なシーンがたまらなくてもうこのままずっとその状態でいてほしいような気持ちになりました。その情熱的な部分から最初の主題に戻るまでの移行部分のピアノの響きが何と言ったらよいのか分からないような究極の音の珠の響きで忘れられないです。そして主題に戻りそ温かさと安心感が。。。このような演奏で思いを伝えられたりしたら誰もがとろけてしまうと思います。第3楽章はがらりと変わって優美ながらも躍動感がぞくぞくする出だし、マズルカのように第3拍が強調されて踊りだしたくなるようなシーンが続きました。途中で弦楽器、弓の木の部分で弦をたたく奏法が登場し民族的な舞曲を思わせました。そしていろいろあったけれどそろそろお開きだよと行っているようなホルンのソロでコーダ、今までいろいろあったけれど楽しかった有難う、バイバイ元気でねと言いながら最後のきらきらを放ち曲の終わりへと向かいました(すみませんここは私の想像です)。それにしてもここまでピアノ協奏曲第2番を音楽の世界に入り込んで聴けたのは今回が初めてだったような気がします。魅力あふれる演奏に直に触れることができて幸せなひとときでした。
そして休憩後、メンデルスゾーン作曲「スコットランド」。この曲は第4楽章からなっているのですが休みなく演奏されました。朽ちた宮殿から触発されたという幻想的な物語風のアンダンテは哀愁のこめられたセピア色の音楽のように思えましたがどんどんスケールが大きくなり主人公たちが抱擁し合うように思えるシーンも感じられました。そして終結部の手前には激しい嵐のシーン、かっこよかったです。第2楽章は民謡風の軽快な、しかしやはり哀愁が感じられるスケルツォ、のびやかに始まりましたがきびきびとした響きが気持ちよかったです。長調になる部分で明るくなり、次第に盛り上がり力強い世界が繰り広げられました。第3楽章は短調で始まった後伸びやかな長調に、その長調の部分はまるで歌のようで聴いていてのどかな気持ちになっていたのですが場面は変わり暗く重いシーンへ。。。葬送行進曲を思わせる音楽になりました。そして最後はまとまって第4楽章に。激しく弦が音を刻む戦いのシーン、とことんやりあったと思ったら徐々に場面が変わり、最後は明るく壮大な凱旋の歌が繰り広げられました。指揮者の井上さん、優れた舞台監督のように思えました。オーケストラの方達の音楽を導かれていて情景が視覚的に浮かび出てくるような演奏だったと思います。私自身の反省として事前にもっとこの曲について知って聴けばよかった、楽器についても分かって聴けばさらに違う楽しみ方ができたかもしれないと感じましたが、演奏自体は切れが良く見事なものだったと思います。
非常に楽しみにしていたこの公演、それにもかかわらず万全のコンディションではない状態で出かけてしまいましたが充実した内容で貴重なひとときを過ごすことが出来て本当に良かったです。
先日メジューエワの演奏会で、多彩な音の種類に感激し、その勢いで、音の粒の種類について後日何かを書きたい、と書いていたのですが、それから放置状態になっています。実は、記事を書く以前に、とある曲が弾けるようになること自体に切羽詰った心境なのでした。シューマン作曲リスト編曲『献呈』!シューマンの歌曲、ミルテの花作品25の最初の曲である献呈を、フランツ・リストが編曲した曲でとても親しみやすく美しいメロディーなのですが、その後半部分の、リスト編曲によるアルペジオと和音登場の部分、和音で外さないように、そしてアルペジオでうるさくならないようにしかし粒がそろうようにというところ。16分音符が配置している曲でも、粒がそろいやすい部分とそろいにくい部分があるということを、この曲を弾いていて身に染みて感じるようになりました。今まで何やっていたんだ、と言われそうですが。。。はい、今までは私にとっては比較的負荷の少ない曲を弾くことが多かったのであまりそのような課題に真っ向から向き合うことがなかった気がします。なので今更、と言われそうな気もするのですが、重力?に逆らって粘ろうと思います。
音の種類の考察、お粗末ながら少しばかり。粒の大きさ、長さ、輪郭の形、輪郭の明瞭さ、色の濃淡、色の種類、向いている方向(これは厳密には複数の音の組み合わせでとらえたほうがよさそうだ)等の要素がありそうで、それらの要素は、体の動かし方やタッチによって自在に変化できるはずなのですね。それらの自在度をいかに大きくするかが大切な課題だと思います。
イリーナ・メジューエワのピアノリサイタルに行ってきました。今回のリサイタルは、富山で開催されるコンクールの一環としてその審査員となっている彼女のリサイタルが開かれたのでしょう。事前に申し込むようなシステムになっていました。CDの録音のためにも富山に来られるなど、なにかと富山と縁の深いメジューエワさん、演奏会があったらぜひ行きたいと思っていたのですが、その念願がかないました。
プログラムは、バッハ作曲ケンプ編曲「主よ、人の望みの喜びよ」、ベートーヴェン作曲「ピアノソナタ第8番「悲愴」Op.13」、シューベルト作曲「即興曲変ト長調Op.90-3」、「即興曲変ロ長調Op.142-3」、休憩挟んでショパン作曲「ノクターン嬰ハ短調(遺作)」、「幻想即興曲」、「別れのワルツOp.69-1」、「英雄ポロネーズOp.53」、ドビュッシー作曲「月の光」、ラヴェル作曲「亡き王女のパヴァーヌ」、メトネル作曲「プリマヴェーラ」、アンコールにショパン作曲「ノクターンOp.9-2」でした。
バッハ作曲ケンプ編曲 「主よ、人の望みの喜びよ」一旦つかんだ曲の骨格を大切にしたような印象の骨太の演奏のように感じました。華奢な上にあまり体全体を動かしているような感じではなかったのですが、オルガンのように音がホール全体に響き渡っていて、音の出し方次第でここまで伸びる音が出せるのだと感じました。
ベートーヴェン作曲「「ピアノソナタ第8番「悲愴」Op.13」おなじみの悲愴ソナタ、張り裂けるような激しい感情がほとばしりながらも場面が変わるところで別天地に向かったようにやわらかく入り込んでいるその間が絶妙で、ぞくぞくしながら聴きました。激しくわしづかみにされたかと思ったとたん優しくなでられるという。。。なんだかベートーヴェン本人が彼女に乗り移ったような、そのような演奏だったと思います。特に第3楽章には引き込まれっぱなしでした。尖った鋭角の音から丸い音、輪郭のくっきりした音からベールに包まれたような音、このどことなくはかなさを感じるロンドから、ここまで豊かな世界が引き出せるとは。。。驚きの連続でした。
シューベルト作曲「即興曲Op.90-3」、ペダルの使い方を最小限にしているのか、くっきりした音楽になっていました。メロディーラインを延ばしすぎず内声の一音一音に神経が行き届いているようでその動きによって音楽の表情が流れるようにそして豊かなものになっていた。Op.142-3はバスの動きを大切にし立体的な音楽になっていたのが印象的だった。変奏曲の短調部分では涙腺がゆるい状態に。その背後にバスの響きを大切にしている思いが感じられました。このような曲を弾く際、ついついメロディーラインを歌わせればあとはなおざりになってしまいそうな気がするのですが、細かい内声や一見目立たなそうな縁の下の力持ちであるバスなど細部を大切にすることで初めて伝わるものがあるというのが分かりました。これからの練習の際に特に心がけたいこととなりました。
休憩挟んでショパン作曲の4曲が演奏されました。「幻想即興曲」では出だしの部分が対話のように聴こえ、中間部のカンタービレの部分ではたっぷりと歌いこまれていて夢の世界に連れて行ってもらったような気分になりました。「英雄ポロネーズ」での鮮やかなリズム感、激しく勇壮な雰囲気が印象的でした。さすがにこの曲では腕全体(ひょっとしたら体全体かもしれません)を使って重力を用いて音を出していましたが本当に楽器がよく鳴っていて見事だと思いました。そして中間部のたゆたう幻想的な雰囲気のところも素敵でした。歌いこむ、ということについて考えされられる面もありました。たっぷりと歌いこむことがほどよいと感じる場合と、過剰なのでは、と感じる場合との違いがどこにあるのだろうと。
ドビュッシー作曲「月の光」、ベールにかかった空気感のある輪郭のゆらめく光のような音色。音の形は球形、やわらかい真珠が曲とともにゆらゆらと光を放っていました。
ラヴェル作曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」、訴えかけるようなくっきりした輪郭の即興性も感じる印象的な出だしからぐいぐい惹きつけられました。そしてそのまま、愛情をこめて悼む思いが込められた音楽に包まれた王女とともに、思わず自分も昇天し連れて行かれるような、そんな気持ちになりながら聴いていました。一瞬の間に心をわしづかみ。。。本当に美しい演奏でした。
そしてプログラム最後のメトネル作曲「プリマヴェーラ」、がらりとホールの色がパステルカラーの暖色に。出だしは細かい音なのですが輪郭はくっきり、花びらがひらひら、はらはらと舞いあがりどんどん上へ向かって羽ばたき会場いっぱいになりました。音とともにほとばしるような感情があふれんばかりに広がり、色もどんどん鮮やかになり、優しく温かく喜びいっぱいの春の雰囲気になりました。ラヴェルとメトネルの演奏の出だしは音楽の開始前からあふれんばかりの想いが今ここに生まれたと思える即興性を感じる演奏で、そこが非常に魅力的に感じました。
あふれんばかりの拍手とともにアンコール。ショパン作曲「ノクターンOp.9-2」で心温まる余韻を残して音楽が終わりました。
開始前はプロジェクタを通して、そして終了後は直接メジューエワさんの話も聴くことが出来ました。ピアノは何でもできる万能に近い楽器である一方自然から遠い面がある、そのような機械に近い楽器から自然や感情をいかに引き出すかというのが難しさであり面白さである、音楽を沢山聴いて好きになるのが一番大切、子供の時から好きな曲を自ら演奏するのもお勧め、曲に対して愛情を持って取り組み作曲家をリスペクト、尊敬すること、先人たちの香りを感じ取るのが大切でそのために作曲家たちがどのような暮らしをしていたかどのようなことを考えていたか興味と想像力を持ち続けること、そして結果というものは後からついてくるもの、プロセスを楽しみながら地道な努力を重ねることが大切だという内容の、音楽とともに自分を見つめ直したくなるような、貴重なお話でした。日本語も上手で言葉の端々からも温かい人柄が伝わってきました。それにしてもあれだけの音量と色彩感のある演奏が華奢と思える彼女から紡ぎだされていたのですから見事です。これも、楽しみながらこつこつ努力を重ねた結果なのだろうと感じました。
このごろ特に顕著なのですが、生演奏を聴くたびに細胞毎入れ替わったような気分になるような気がするのです。極端だけど生演奏にはそのような力があるような気がします。普段音源や自分の演奏を聴いている時も演奏会に行った時のように細胞毎入れ替わったような気分になれるような聴き方ができたらいいのにと思ったりもするのですがそのような聴き方をいつもしていたらへとへとになるかもしれませんね。でも、そのような聴き方ができるひと時を少しでも多く持てて、大切にできたら、と思うのでした。
音の粒の種類についても想像がうかびました。大きさ、形、輪郭だけでも曲や部分によって違っているような気がします。一台の楽器からそれだけ違う種類の音が出せるのだということも感じました。それについては後日に何かが書けたらと思っています。