いろはにぴあの(Ver.4)

音楽、ピアノ、自然大好き!

ほたるいかミュージアムに行ってきました

2015-03-29 | 気になる場所、風景

 3月中旬、富山ではほたるいかのシーズンがやってきます。富山に引っ越す前はほたるいかをちゃんと食べた記憶がないのですが、有名ということで、引っ越して以来沖漬けをいただいていました。とても美味しかったのですが、このシーズン中には、店頭に生や茹でたほたるいかが売られています。茹でたほたるいかには、酢味噌をつけていただくとよいと地元の方から話を聞いてやってみたのですが、これがとても美味しいのです。あまり酢味噌は好きでなかったのですが、ほたるいかには非常に合う調味料だと思いました。

 そしてほたるいか、舌だけではなく、目も楽しませてくれるのでした。春になり沿岸沿いに早朝にやってきたほたるいかのメスを水揚げするとき、青白く美しい光を放つのです。暗い中にきらりと光るその光の美しさから、ほたるいかという名前がついたのだそうです。また、富山市の常願寺川河口から魚津市の魚津港までの区域は、海面までホタルイカがよってくる場所で「ホタルイカ群遊海面」として国の特別天然記念物に登録されているのでした。ほたるいか自体が記念物として登録されているわけではないのですね。

 そこでほたるいかのメッカと呼ばれる滑川のほたるいかミュージアムに行ってきました。

 中に入るとほたるいかの生涯、発光のひみつについて図とともに詳しい説明が書かれていました。

春が産卵期、生まれたほたるいかの子供は水深50~70m層で成長し、富山湾より北の水深の深い沖合へと向かいます。夏から冬は日本海沖の水深200~300mの深い所で生息しますが秋が深くなるにつれ富山湾へと戻る動きがあり、冬から春にかけて、交接、産卵へと向かいます。オスは交接後一生を終え、メスは海岸近くに浮上し産卵します。富山湾沿岸にやってくるホタルイカは産卵期のメスなのでした。そしてその後一生を終えます。メスは富山湾の岸辺に自ら体を投げるという身投げを行うこともあり、風物詩になっているそうです。また

 そして発光ですが、腕の発光器を光らせて敵を驚かせたり、敵に見つからないようにカモフラージュしたり、仲間とのコミュニケーションのために行っているそうです。また、水深や海水の色によって放つ光も青、水色、緑と変化するそうです。

 今はちょうどシーズンということで、映像の後ほたるいかの発光ショーを見ることができました。網の張った飼育水槽で、真っ暗な中網を引っ張ると、きらり、きらり、と青白く美しい光を、見ることができました。残念ながら順番で一回きり、しかも写真も撮影できなかったのですが、非常に美しいものでした。

 発光の様子を長時間見て写真撮影を考えるのなら、滑川の海岸に深夜から早朝に足を運んで身投げの様子を見るか、4月~5月はじめの早朝のほたるいか海上観光に参加するしかなさそうですがものすごい人気のようで今年の枠はすでに埋まっていました。

 その後は水槽があり、滑川沖で取水される低温で正常な深層水と富山湾の深海にすむ魚が展示してありました。カニが沢山いたのが印象的でしたが写真はとりそびれました。 

 主役のほたるいかは別の水槽に入っていて、手ですくって触れ合えるようになっていました。実際にさわってよいとのことだったのでさわってみました。本当に小さいのですね♪もちろんこのほたるいかはすぐに水に戻しましたよ。

 水槽で泳いでいるほたるいかも見ることができました。光の当て方にもよるのでしょうか、とても綺麗に見えました。ほたるいか自体、状況に応じて赤くなったり透明になったりと、色素を変えているそうです。面白いですね!

 

 楽しんだ後にはレストランへ。ほたるいかの入ったスパゲティを頂きました。美味しかったです♪かわいいホタルイカを見た直後にこれってちょっと残酷かもしれませんがありがたく命をいただきました。店内では天ぷら、フライ、刺身などほたるいか料理が出されていました。刺身は意外に作るのが難しく値段もかなりしていたような気がします。

 ほたるいかミュージアムの裏側には日本海が広がっています。日本海といえば波うつ激しい海を連想していましたが、今日見た海は波もほとんどなくとても穏やかでした。何も説明がなかったら別の海のように思えます。春になったのですね!

 反対方向には立山連峰が!車内から撮ったのですが滑川からもよく見えます。

右の写真はもっと西側なのですが新幹線の架道が見えます。新幹線が通る様子と一緒に見えたらさぞかしきれいだろうと思いました。

 そして

 富山市内に戻ると桜の蕾も見えました。開花もそんなに先ではないような気がします。楽しみです♪ 

 


豪農の館内山邸に梅を観に行きました

2015-03-22 | 気になる場所、風景

 この数日珍しく暖かい日々が続いています。

 梅も咲き始めたとのこと。テレビで梅の美しい所として内山邸というところが放送されていたので観に行くことにしました。小田原方面に梅を観に行ったときは2月中旬だったので1ヶ月遅れでした。

 内山邸、正確な名前は「富山県民会館分館内山邸」と言います。越中の豪農であった内山家の邸宅をや庭園等が、昭和52年、13代内山季友氏から富山県へと譲渡されたものです。富山藩時代の豪農屋敷の特色を残している内山邸、中に入ることができたのですが驚くほど沢山の美術品、工芸品があり当時の状況がひしひしと伝わってくるほど保存状態がよい邸宅でした。屏風絵、墨絵、桐の透かし彫りが美しい欄摩が飾ってある部屋はすべて選び抜かれた材料で作られていました。明治期及び清朝末期の所の巨匠たちの作品もありました。台所などの保存状態もきちんとして当時の内山家の方たちの生活ぶりが伝わってくるようでした。あまり知られていないような気もするのですがこの建物内部の見ごたえはかなりのものでした。新幹線開通とともにアピールしてよい観光地の一つだと思いました。

 そして季節の良い今、庭園には梅の花が咲き誇っていました。

見事な枝ぶりです!

 目の前に梅の花も迫っていたので、近くから撮ることが出来ました。

 

  いよいよ富山にも春がすぐそばにやってきました


どこからきたの?

2015-03-21 | ピアノ、音楽

 一昨日(3月19日)はピアニスト、リパッティの誕生日、昨日(3月20日)はピアニスト、リヒテルの誕生日、そして今日はヨハン・セバスチャン、バッハの誕生日。大音楽家たちの誕生日が続いています。もしこの3日間が地球上に存在していなかったら、西洋音楽史は全く違うものになっていたでしょう。

 リパッティといえば今までソロの演奏(しかも私の場合彼の演奏はショパン等のロマン派を主に聴いていました)のイメージが強かったのですが、彼はクララ・ハスキルや、ヴァイオリン奏者のエネスコとも共演しているとのこと。twitterの友人との話で知りました。エネスコとの共演ではエネスコ作曲のヴァイオリンソナタの演奏等が有名なようです。

 ソロの演奏についてはバッハ作曲の無伴奏ヴァイオリン パルティータ第2番 BWV1004ソナタ第3番BWV1004、ソナタ第3番BWV1005、そして有名な無伴奏ヴァイオリン パルティータ第3番BWV 1005の演奏もyoutubeにあり聴きました。その中でBWV1005 の動画を貼り付けます。

ヴァイオリンソナタ第3番BWV1005の第2楽章のフーガ(4分19秒~)は壮大なのですが、どこかで聴いたことがある音楽のような気がしました。何かに似ている、そう、この曲に、似ているのでした、気付いた瞬間、腰を抜かしそうになりました♪

 

 ロンドン橋落ちたはイギリスに古くから伝わる童謡、そしてバッハのパルティータ第3番BWV1005は1720年ごろに作られた可能性があるとのことですが、それらの二曲には何か関連性があるのではないかと思いました。BWV1005 のフーガはロンドン橋壮大フーガのようにも思えてしまったのです。

 しかしこれらの二曲間の関連よりももっと根拠のありそうなことが判明。バッハのBWV1005 の第2楽章はグレゴリオ聖歌の「来たり給え、創造主なる聖霊よ」というコラールの旋律からとった主題だということです。確かにこの動画を聴いてみたら短時間の演奏の中にしっかりとあのテーマが入っています!

 そして実際バッハ本人の曲の中にも「Komm, heiliger Geist」という名が書かれている上にあのテーマが入っている曲がありました。BWV652「来たれ精霊、主なる神」というコラールのように上声部で分かりやすく歌えている曲もあれば

 

 その前にあるBWV651では足鍵盤にあの旋律が登場する曲もあります(動画はtwitterで紹介いただきました)。左手は華麗な手鍵盤の部分を支える重大な役割を果たしています。

 ルター派のバッハがカトリックのグレゴリア聖歌を採りあげるのは不思議なことなのかもしれませんが、確かにこの曲では貴重な位置づけになっていますよね。

 

 さてロンドン橋は?

 実はまだ真相が分からないのでした。他の曲とは実は何とも関係ない旋律にすぎないのでしょうか。

 かなりの独断ですが、BWV1005の第2楽章と同じくグレゴリオ聖歌がもとになっている、という考え方が合っているような気がしているのでした。真相をお分かりの方、コメントいただけたら嬉しいです。

 


トリル

2015-03-19 | ピアノ、音楽

 ハイドンのピアノソナタを弾いていて苦心した箇所の一つにトリルがあります。素早いとはいえたかが隣通しの二音、その二音の連なりが曲の中に入るとたちまち音楽が華やかになるのですが、その二音を音楽の流れを促進するように曲の中にうまく入れるのにはかなりの技術がいり、本番で弾く際には最も思うように弾けなくなる箇所のひとつのように思えます。重くならないように、しかし確かに響きのある音となるように、正確に、音楽の流れを助けるように、弾きたいものです。

 そのために大切だと思ったのが手首の角度や動きの変化。ハノンにはトリルだけの練習曲46番があります。この楽譜。指を素早く交互に動かせばよいと軽く見ていたのですが、久しぶりに弾いてみたら半分もいかないうちに腕が痛くなりました。まずいですね。。。

 

 そこでRittorMusic社の『本当に役立つピアノ練習法74』という本の「トリルを綺麗に聴かせる方法」というページを開いてみたら、「手首を左右に振ってリラックスして弾ける状態をさぐる」と書いてありました。トリルの低音部を弾くときは手首を左に振り、高音部を弾くときは手首を右に、指の動きの補助として振るとよいとありました。そこで騙されたと思いながらも手首を左右に振ってちょっと回転するような感じで弾いてみたら、自然に弾けるのではと思い、試してみました。そうしたら、確かに自然な感じに弾けて、痛くならずに済みました。トリルでは極端にならない程度に手首の角度を変え回転させながら揺らすというのは有効な気がしました。

 それ以降ハノンの46番のトリルの練習が日課に入りました。回転運動ことローリングの練習にもなるし、本にも書かれている通り確かに5本の指の練習だと思うし。。。そうすることで少なくとも曲の中にひょいと登場してもどぎまぎしなくなりそうな気がしました。考えてみたらショパンのエチュードOp.25-6なんか三度のトリルの練習で弾くのが難しく弾けたら得られるものが大きかったですよね。そう思えば思うほどトリルを大切にしたいと思えてきます。

 そして曲の中のトリル。どの音からどんなタイミングで入れるかが大切なポイント♪どの音から、ということで先ほどまで考えていたのがハイドン作曲ピアノソナタHob.XVI/32の第2楽章のトリルでした。どの音から入るか、楽譜には直接答えがないので考えられる案を。大きく分けて下の写真のように上から弾く方法とその音から (下から)弾く方法があります。

 この部分について、『ハイドン・ピアノソナタ 演奏の手引き 鍵盤楽器ソナタの概要と分析』ヨセフ・ブロッホ、ピーター・コラジオ共著、中村菊子監修、大竹紀子訳 という本によると、3つの方法が書かれていました。

 上から弾く方法「すぐ上の補助音から拍の上で始める方法。この方法では、左手の音と不協和音を造ることになり、一種の緊張感が感じられる」

 その音 (下から)弾く方法「メインの音から拍の上で始める方法。この方法ではトリルがハーモニーの一部となり、ほとんど緊張感がないスムーズな響きを作れる」

 タイのかかったトリルで、上の補助音を拍の上に置き、メインの音からのトリルは拍よりも遅れて始める方法

 そしてここでは最初の上から弾く方法を勧めていました。すなわち和声音ではない音で始めることで左手の音と不協和音を造り緊張感を醸し出す方法を勧めていました。

 いくつかの録音を聴いたところ、最初の上から弾いている例が一番多く、その次にその音(下から)弾いている例がありました。技術的にはちょっと大変なのですが、聴いていて上から弾いている例の方が印象的にぴりっと聴こえたので、上から弾く方法を採りあげてみようと考え中。さてそのトリオを重くならないように、かすれないように弾けるかどうか、これから次第ですね。最初のうちは「ラソラソ」と声に出してみるのもよさそうな気がしてきました。今日はそれはやらなかったのですが、効果がありそうな気がしてきました。またやってみよう。

 たかがトリル、されどトリル、ですね♪


弾いてきました

2015-03-17 | ピアノ、音楽

 先日久しぶりにピアノ関係の記事を更新したのですが、それから間をほとんどおかずにハイドン作曲ピアノソナタHob.XVI/32の第1、第3楽章を富山に引っ越してから習っている先生のピアノ教室の発表会で弾いてきました。ピアノ教室での門下生の発表会で弾くというのは私にとっては久しぶりの体験でした。

 その前日は北陸新幹線の開通。一番電車の出発からテレビの前で盛り上がっていました。天気も良く遊びに行くのにもぴったり、なかなか好天に恵まれない富山では貴重な晴れの週末、ふらふらと遊びに行きたくなる思いに今回は蓋をして某練習室に練習に行きました。なんとなく弾けていなくて気持ち悪い所をひとつひとつ観ていき弾けるようになるまで練習しました。モグラたたき、直前まで必要だったようです。おかげさまで弾けるようになった所が数か所。曲の解釈についても気になる所が出てきてはいたのですが、直前に変えるのは避けたいもの、そのままで進めることにしました。夜には楽譜を見直しイメトレを試みたのですが途中で睡魔に襲われました。

 そして当日。家を出発する時間まで粘って練習しました。この調子で弾いたら結構決まるのでは、という演奏が家での最後の演奏。会場には早めに着きました。衣装を着替えて私の前の部の子供たちの演奏を聴いていたのですが驚くほど上手で衝撃を受けました。私が子供の頃に習っていたときはこんなに弾けていませんでした、みんな本当に努力家、先生の指導力の大きさを感じました。大人の方たちも数名出られたのですが、この日に向けて選んだ曲を丁寧に練習されてきたのが伝わる素敵な演奏ばかりでした。

 しかし私もこの曲についてはかなり練習して行けると思えるところまで弾けるようになったはず、だから自分を信じて落ち着いて弾けば少なくとも納得できる演奏に近づけるだろう、と舞台袖で思いながら順番を待ちました。そしてついに私の番。自分の演奏を、音楽をと思いながらピアノの方向へ向かいました。急がずに、落ち着いて、急がずに、落ち着いて。

 弾き始め、いい感じだわ、この調子で行こう、ただ今回は弾き直しができないし、鍵盤もいつもと違うけれど。その「弾き直しができず、鍵盤がいつもと違う」という事実に飲み込まれないように、指よしっかり動いてくれ、と思いながら。それはいいのですが、自分の体がピアノをこんなに弾いているという事実にある意味驚嘆、そして弾いているうちに次から次へと湧き出てくる音楽への想いにおぼれそうになりました。第1楽章終了。第3楽章始まり、プレスト、急速に。プレストだけど拍は大切に、ぎりぎりまで弾けなかったフレーズやオクターブでつっかからないようにと思いながら始めたのですが、今回のプレストは突撃方向へとまっしぐらに^^;指が回るものの地に足がついた感覚がなく、拍も途中から感覚が消えそうに。。素早い動きでも安定した指の動き、地に足がついた自分でコントロールしているという感覚がほしかったのですが、頭と指とが分離したような感覚、演奏者が私ではないような感覚になってしまい、音を外してしまいました。練習の時には難なく弾けていたところで。凄く好きな所でした。想いにおぼれたのだろうか、指がいうことを聞いてくれていたのは今まで脳がしっかりしてくれていたからなのだと改めて感じた次第。音は外しても流れはどうしても保ち続けなければと思い、最後まで弾き切りましたが、個人的には残念な気持ちに。想いに体がついていけていなかったという感覚で終わったひとときでした。

 その後はアンサンブル、再び子供たちの演奏、そしてまたアンサンブル。多彩な演出と素晴らしい演奏を楽しみました。子供たちも緊張していたと思うのですが、難しいところは慌てずに、時にはゆっくりと弾いていました。指を鍵盤にはめて音を出そうという執念が感じられて感心しました。とにかくしっかりと音にしているところが素晴らしくて。。。アンサンブルは数名から大人数まで、歌、合奏、ハンドベルとバラエティに富んでいました。楽しそうな生徒さんたちの姿が印象的、ピアノだけではなく自ら音楽を奏でることへの達成感や楽しさが感じられそうなひとときでした。

 今回の発表会で自分の想いや周りの雰囲気に飲まれないようになりたい、どんなときでもこのように表現したい演奏したいと思った方向に体が動くようになりたいと痛感。そのためには、脳と体とが分離してしまいそうな感覚になりそうになったときにそうならないように、脳と体の動きとをがっちり結び付けられ、自由に動くようにできるように。どんなときでも一体化できるように。

 帰宅後、練習曲を少し弾いてみました。う~ん、がたがたしているなあ、右手。安定しやすい音型とそうでない音型とがありました、安定しにくいタイプの音型が出現した時にどのように安定させるかがポイントだなと。リズム変奏やスタッカートで慣らすとともに、手首や指の角度や高さ、動かし方も調節したほうがよさそうだと感じながら。音楽の流れと、鍵盤をなんとしてもつかんで音を出すということとを、しっかり両立させることができることが今後の課題だと痛感。

 本番での演奏音源改めて聴いてみました。反応のよいピアノのおかげで感情は出ていたような気がするのですが、ガタが来たのがやっぱり残念。。。

 うまくいったと思える本番、私の場合は全てゆっくり目に弾いた時でした。参考になる方はほとんどいないかもしれませんが、私はどちらかといえばこれからの本番ではゆっくり目に弾こうと思えた次第。せっかちになりやすい場では、それで丁度良いのかもしれません。

 ハイドンのHob.XVI/32、まだ弾いていない第2楽章を含め弾き続けようと思っています。様式感もとらえながらきちんと取り組みたいです。レパートリーも増やしたいので、他の曲とも両立させながら。