高志の国文学館に、倉本聰の点描画を見に行ってきた。主に富山県ゆかりの作家や作品を積極的に発信している本文学館、作家、文学作品、川や温泉などの自然、絵画、写真、南砺市に本社のあるアニメーション会社とも提携したアニメーションの企画や富山に滞在したことのある竹久夢二の絵で楽譜の表紙に描かれた作品の演奏など非常に幅広いテーマの企画展を行ってきたとともに、常設展も富山県ゆかりの作家、漫画家、事業者とその作品の紹介がなされていてとても楽しくみごたえのあるところなのだが、企画展に行けたり行けなかったりとまちまちな状態だった(ちなみに昨年は大伴家持の記念の年であったのにも関わらず大伴家持関係の企画展に全く行けなかったのが心残りだ。)今回は倉本聰の点描画、非常に気になる題材、これは行くしかないとばかりに足を運ぶ。

冬のコーナーから始まる。曲線的で生きている木と雪の様子が巧みに描かれていた。雪と空を表す白、そして木を表す黒とをうまく対比させていた。北海道の寒さとともにたくましく生きている木々の姿が目に浮かんでくるようだった。そして絵の中に描きこまれた倉本さんの言葉がなかなかユーモラスだった。木が語り掛けていたり、木に語り掛けていたり。ときどき、クマヤリスや猪などが登場していた。絵とともに書かれた言葉もすごかった。「雪は冷たい そう思って、まず 人は雪国の訪問者となる 雪はあたたかい そう思ったとき 人は雪国の人となる 雪は何とも心地良く 疲れ果てた体を眠りに誘う そう思ったとき 人は殆ど凍死しかけている」
春になると白と黒の中に新緑の緑が入ってくる。黒と緑だけの作品の中での緑の存在感。「樹々を冬眠から目醒めさせるのは、鳥たちが呼び交わす愛の唄である。樹は目を醒まし水を飲み始める。この時期、幹に耳を当てると、水を吸い上げている音が聴える」(『点描の森』より引用)
夏になるとさらにその緑が鮮やかになるとともに木々の生命力や輝きも増してきていた。倉本さんの言葉にもほとばしる生命力が。樹々たちの曲線のなまめかしさを拾った言葉が印象的だった。まさにそういう時期かもしれない。「夏はひたすら樹々たちにとって、愛と繁殖の狂宴の刻である。」
東日本大震災で帰宅困難地域になった福島県富岡町で描いた「夜の森 桜はそっと呟く」の一連の作品群には涙が出そうになった。花見のシンボル、幸せの門出などで登場し人々に愛されつづけていた桜の木が、その日から誰一人こないところになった。そのかわり木の周りに来ているのは猪と豚たち。普通に四季も回っている。そんな状態でも樹々は人と違って離れられないから、そのままこの地に根を張って生きていくとつぶやいていた。覚悟あふれる言葉。福島の人々や自然に温かいまなざしを向け今も活動を続けている倉本氏の姿勢にも心打たれた。
秋、葉の色彩に暖色が入ってくる。木々のなにかの集大成ということが書かれていて、まさにその通り、倉本さんすごいと思ったのだが、言葉を忘れた。残念。冬のはじまりは雪虫の登場。色鮮やかな葉っぱの上に白い点。そして冬の声が聴こえながらも散るのを忘れた紅葉の葉が恥ずかしさを感じながらひそやかに散る。
まさに大自然の中での一大ドラマ、絵とともに絶妙な言葉が素晴らしかった。
部屋を出ると倉本さんの作品を作るうえでの資料の展示があった。
見ごたえたっぷりの内容だった。気に入って画集を購入したが、美しい絵ハガキもたくさんあった。

やっぱりもう一度出かけて絵葉書も買おうかな~まだ迷っている。
そして私も絵を描きたいと思ったのだが、今現在、絵は優先順位的にピアノの後になっている。けれどもピアノもなんとなくいまいちな現状。本当は両方したいのだ、実際に両方ちゃんとやっている人もいるし。どうしよう~