いろはにぴあの(Ver.4)

音楽、ピアノ、自然大好き!

半月経過 そして、読んでいる本

2017-08-18 | 日記

 8月1日久しぶりに更新してから、あっという間にお盆も過ぎ、半月がたっていた。その間、帰省はしなかったものの、バロックダンスの実践、友人のコンサート、面白いレトロ記念館の訪問、関東在住で富山出身の友人との久しぶりの再会、そして部屋の片づけなど、いろいろあった。部屋の片づけは、ずっとなんとかせねばと思っていた懸念事項、よくこんなものまで持っていたと思えるものばかり、こんなものを溜めこんでいるから片付かないのだと思い容赦なく燃えるごみ行きへ。部屋の片づけをすると、片付け以上に、今まで歩んできた軌跡をしみじみと思い出したりして、心の整理になるものだと思った。そしてこのお盆休みの間にうんと進めておこうと思っていたはずの色鉛筆の絵は、結局2枚下絵だけ描いた。これから色付けだ。

 図書館で借り、今読んでいる本は二冊。仰木日向著まつだひかりイラスト『作曲少女 平凡な私が14日間で曲を作れるようになった話』と、池辺晋一郎著『モーツァルトの音符たち』。なんとか読み終えた『作曲少女』は、自分の軸を見つけたいと思ったごく普通の少女が同級生の作曲家のプロの少女から作曲法を教わる話。理論よりもまず作る、という考え方とともに、「自分の好きなもので周りを囲み、何で感動したか自分の気持ちをはっきりとさせるのが大切という考え方と、「耳コピ」と「作曲家の作った曲をまねること」の大切さを説いているところが、目から鱗が落ちる内容で、それだけでこの本に出逢ってよかったと思った。

 『モーツァルトの音符たち』は読み始めたところ、ドミソだけであれだけ多彩な音楽を数多く作っているということへの驚きと、交響曲41番ジュピターのからくりの所まで読んだのだが、楽譜による実例を挙げながら解説していて、非常に面白い好著だと思った。本を開いてその楽譜のところを指で触れたら音楽が流れたらもっと読みやすいだろうな、と、どうしようもなくわがままな発想も浮かんでしまったのだけど。。。。


8月1日

2017-08-02 | 日記

 今日から8月になったが、その2017年8月1日がもうすぐで終わろうとしている。PCの調子が思わしくなかった今日、バッテリー交換を行うということで決着。いつかPCのデータ、バックアップをとっておいた方がよいかもしれない。突然動かなくなる日がやってきてパニックに陥ったら元も子もないから。

 8月1日、私の住んでいる富山では花火大会が行われる。朝の時点では心配だった天気、だんだん良くなってきて、今日も無事に開催された。自宅から見ることが出来る有難味に甘えて、昨年までは、途中まで見ては中断して他のことをしたりしたくせに、写真だけは撮ろうと意気込んだりしていた。どちらにしても、落ち着きのない鑑賞状態だった。しかし、今年は、なぜか、最初から最後まで、きちんと見たいと思ったので、最初から最後まで、中座もせず写真も撮らずに、部屋を暗くして見た。炎の筋が、下から、すうっと上がっていき、一瞬消え、その数秒後に、溜まりに溜まった、炎のエネルギーが爆発し、夜空に一瞬のうちに開花する、その瞬間の美しさに、毎回、心奪われる。炎の筋、一本でスタートすることもあれば、同時に数本でスタートすることもある。数本でスタートした筋が入り混じり重なり合った状態で花火が広がる瞬間、ほんの数秒なのにもかかわらず、目に深く焼き付けられる。見る側の私たちは、その美しさに浸り、それに伴う心のゆらぎに身を委ねるだけなのだけれど、打ち上げる作業をしている花火師たちはその瞬間体を張って必死なのだろう、と思うと、さらに心揺さぶれれる。限られた時間での極限の美。今、聴く方も弾く方も最もはまっている、モーツァルトのピアノソナタが、頭の中で浮かんだ。夜空や花火から、モーツァルトの音楽が頭に浮かんだのは、今回が初めてだったのだけど、花火とモーツァルトのピアノソナタって、実は合うのではないか、と思えてきた。

 その花火を見ながらもう一つのことも思い浮かべた。3年前の今日、私たちは、この地に足を踏み入れた。その時は、これからどのような生活が待ち構えているか、想像すらできていなかった。そしてその日から、3年が経った。早いものだなあ。。。その間、色々あったけれど、今こうやって元気で過ごせていてよかった。