恥ずかしながら、いまいちだな。昨日オンライン配信イベントで、春から弾き続けている2曲を弾いたのだけれど、すっかりかちこち、こんなに緊張しちゃってどうするのという状態になってしまった。心当る原因、ある。八月予定の本番は休暇に入って数日経過後!非常に幸いな話である。モチベーションはそれなりにあるはず、しっかり取り戻したい。
音楽家として自立して生きるとともに、オーケストラを作ったりして他の音楽家たちにも貢献する、そのようなスケールの大きいことを成し遂げているばかりでなく、2021年のショパン国際コンクールでも2位という成績を残した反田恭平氏、多彩な活躍に目を見張るばかり。生演奏を久しぶりに(5年前に富山で聴きました)聴いてみようと思い申し込んだところ当選、足を運ぶことにした。
<プログラム前半>
ショパン作曲 マズルカ風ロンドヘ長調 作品5
ショパン作曲 バラード第2番ヘ長調 作品38
ショパン作曲 3つのマズルカ 作品56-1、2、3
ショパン作曲 ラルゴ変ホ長調 B.109
ショパン作曲 ポロネーズ第6番変イ長調「英雄」作品53
<プログラム後半>
シューベルト作曲 ピアノソナタ第20番イ長調 D.959
<アンコール>
ショパン作曲 プレリュード 第25番 嬰ハ短調 作品45
ブラームス作曲 6つのピアノ小品 作品108-1、2、6
前半のショパンプログラムではショパンコンクールを思い出すひとときに。大好きなマズルカOp.56、すっかり幻想の世界へと誘われた。第3次予選では本人は納得できない演奏だったとのことだが、この曲に対する思い入れの強さが伝わってきた。そして彼の演奏を通じて初めて知ったラルゴ。ポーランドへの愛がこもったこの曲、多彩な表情が感じられ新たな発見のひと時となった。
個人的には後半のシューベルト作曲ピアノソナタ第20番が心に残った。晩年に作られたこの曲、堂々たる始まりでありながらどことなく不穏な響きも印象的な第1楽章からただならぬ雰囲気が。そして寂しさの極致とも思える第2楽章。暗さがたまらないと思っていたら激しい展開でぞくぞく。不安で落ち着かない雰囲気の第1~3楽章から一転、美しく忘れがたき主題が。。。すがすがしく温かい余韻が残った。
アンコールのブラームス作品108からも感じたのだが、ドイツ系プログラムに新境地を見出しているように思えた。居住の拠点をポーランドからウィーンに移し始めているとのことだ。今回聴くことが出来なかった、ブラームス作曲ブゾーニ編曲の11のコラール前奏曲より「一輪のバラが咲いて」Op.122-8も機会があれば聴いてみたいと思った。
私が演奏できる楽器はピアノだけなのだけど、他の楽器が出来たら楽しいだろうなと思うことがある。子供の頃はフルートがやりたかった。しかしブラスバンド部に入りそびれた上にピアノもさぼりだし、フルートをやりたいということ自体がわがままだと言われる状況にまでもっていってしまった。そして実際に冷めてしまう。その後ピアノ再開熱がわいてきた時はピアノ一本だけで存分に幸せだと思うようになっていた。しかし、ピアノの演奏にも弦楽器的な視点を持つことが必要だということが分かり、ヴァイオリンやチェロが出来るようになったらいいだろうなと思うようになったのだが、これらの楽器の習得の大変さを想像したらまたまたとんでもない話だと思えてきた。
そして今度はギターに憧れ始めた。あの弦を自分の指でじかに鳴らすからこその温かみ、そしてピアノと同じく伴奏も演奏できるという幅広さ、堅苦しくなさそうな雰囲気に憧れ始めたのだが、ピアノとギター、特にクラシックギターの両立は指の使い方などの面で難しいとのこと。切ないけれども、納得。ギターは聴く専門に。
両立は保留ですかね。
ワルツ、この三拍子の音楽のおかげでいかに気持ちが晴れ救われることが多かったか。19世紀のヨーロッパでは疫病流行時にワルツの名曲が誕生し疲れきった人々の心の憂さ晴らしの娯楽になっていたという。ウイルスの流行や不穏な事件など混沌たる現在にもワルツには人々の心を鼓舞する効能はあるに違いない、そのような思いがこめられた本プログラム、非常に楽しみにしながら聴いた。会場は高崎市のアトリエ・ミストラル、ピアノは1905年製のプレイエル3bisだった。
演奏は休憩なし、曲間の拍手もなしで約70分間続けて行われた。ピアノ曲が原曲のものもあれば、歌曲、交響詩の原曲を内藤氏がピアノ用に編曲したものもあり充実した内容になっていた。
<プログラム>
R.ジーツィンスキー作曲 内藤氏編曲 ウィーン、わが夢の街
F.シューベルト作曲 初めてのワルツ集
R.シューマン作曲 蝶々Op.2
F.ショパン作曲 ワルツイ短調Op.34-2
F.プーランク作曲 内藤氏編曲 愛の小径
F.ショパン作曲 ワルツ嬰ハ短調Op.64-2
C.ドビュッシー作曲 レントより遅く
F.クライスラー作曲 C.ラフマニノフ編曲 愛のかなしみ
リヒャルト・シュトラウス作曲 内藤氏編曲 オペラ《ばらの騎士》Op.59よりワルツ
F.リスト作曲 ウィーンの夜会(シューベルトのワルツ・カプリス)第6番S.427-6
M.ラヴェル作曲 高雅で感傷的なワルツ
<アンコール>
P.チャイコフスキー作曲 四季 12月「クリスマス」
ウィーン、わが夢の街で早速20世紀前半のウィーンにタイムスリップ、夢と憧れとともに幕開け。シューベルトの愛しさに溢れたワルツから二面性が感じられるシューマンの蝶々へ。一曲の中に対照的なキャラクターが共存し、場面変化の振れ幅の大きさと多彩な表情に釘付けになった。その合間にショパンの短調のワルツ2曲、哀愁と郷愁が伝わってきた。その間のプーランク作曲愛の小径の悲しみから温かな光がさす世界の存在感、世の中捨てたものではないと言われているような気がしてきた。
ドビュッシーのレントより遅くのぞくぞくする洒落た響きにうっとり。アイロニカルなまなざしで作曲されたということだがとても美しくてうっとりした。クライスラー作曲ラフマニノフ編曲の愛のかなしみ、有名な原曲にラフマニノフの編曲のおかげで陰影がさらに加わりドラマチックに。リヒャルト・シュトラウスのばらの騎士のワルツ、ピアノによるオーケストラの響きの再現、細部まで心配られていてまるで目の前にオーケストラが浮かび上がったかのように思えた。リストのウィーンの夜会でワルツならではの懐かしさ愛おしさを堪能し、ラヴェルの高雅で感傷的なワルツの、半音階、妙なる響きの和音、きらきら感がちりばめられた世界で夢の締めくくり。ラヴェルのワルツの終曲のそれまでの各曲の断片が幻のように登場するシーン、余韻が印象的だった。
アンコールはチャイコフスキー四季より12月「クリスマス」夢にあふれた愛らしい曲だけれどもワルツだということをうっかり忘れていた。色々辛いこともあるけれどこんなに美しく素敵な世界がある、希望をもって生きていこうと励まされているような気がした。
20世紀初頭のプレイエルのノスタルジックな音色にこれらのワルツはぴったりだったと思う。ロマンチックな夢に浸ることが出来た幸せな70分間だった。
先日は今年最も楽しみにしていた演奏会のひとつ、チェロ伊藤悠貴氏、ピアノ渡邊智道氏による、全曲ブラームスの演奏会に行ってきた。約2年半前の「若き天才の邂逅」で彼らの演奏の虜になって以来、彼らのオールブラームスの演奏会を心待ちにしていた。会場は名古屋の宗次ホール、少し遠路ではあるのだけれどこの機会を逃したくなくて足を運んだ。
前半、後半とも、プログラムの前半は伊藤悠貴氏編曲による歌曲、プログラムの後半はチェロソナタ。ブラームスの作品番号順に並べた内容で、彼の音楽と人生の変遷を辿ることが出来る内容になっていた。
作曲 ヨハネス・ブラームス(1833-1897)
<プログラム前半>
愛の誠 作品3-1「6つの歌」より
別離 作品19-2「5つの詩」より
私の王女よ 作品32-9「9つの歌曲」より
チェロとピアノのためのソナタ第1番ホ短調 作品38
<プログラム後半>
五月の夜 作品43-2「4つの歌曲」より
子守唄 作品49-4「5つの歌曲」より
愛の歌 作品71-5「5つの歌曲」より
野の寂しさ 作品86-2「6つの歌曲」より
二人そぞろ歩く 作品96-2「4つの歌」より
チェロとピアノのためのソナタ第2番ヘ長調 作品99
<アンコール>
旋律のように 作品105-1
私の歌 作品106-4
「愛の誠」(17歳)、「別離」(25歳)、若かりし頃に作曲された2曲、悲しく激しく狂おしい感情が伝わってきた。そして3曲目、意中の女性に想いを語る「私の王女よ」甘く繊細なピアノの誘いとチェロの朗々たる歌でたちまち美しき愛の世界へ。演奏内に歌詞はなかったけれど、歌の持つイメージがじかに音楽から伝わってきた。そしてチェロソナタ第1番。バッハへのオマージュともいえる内容とのこと、立体的な響きが印象的だった。第2楽章の中間部の切ないところの美しさが忘れがたかった。
音楽が進むにつれて堪らない思いが強くなる「五月の夜」から始まった後半。耳になじんでいたはずの「子守唄」がこんなに愛しい名曲だったのかと再発見。喜びと悲しさが絶妙な和声の変化で表現される「愛の歌」響きに伴い心も寄り添いたくなった。トニックのペダルが大地の感触を表現しているとプログラム解説にあった「野の寂しさ」、対象も個人から自然へ、音楽のスケールの広がりと素朴そうな中での濃密さが感じられた。そして、プログラム内の歌曲では最後の歌曲「二人そぞろ歩く」は「若き天才の邂逅」のアンコールで演奏された曲で当時初めて聴いて大好きになった曲だった。初々しさと透明感に溢れたあの演奏から2年半、透明感と幻想は保ちながらもより練られた音楽世界が広がっていた。この曲の演奏を聴くたびに私は音楽との出逢いに感謝したい思いになる。歌詞を改めて引用する。
私たちは共に歩く 私もあなたも、とても静かに
あなたが今何を考えているのか 知れるのならば、何でもする
私が何を考えていたかは 口にしないでおきましょう 全て美しい、天国的なことばかり
チェロとピアノのためのソナタ第2番、第1楽章の華やかで迫力のある出だしから強く印象付けられずるずると沼へ。妙なる変化の美しさが印象的な第2楽章ですっかり夢想の世界へと誘われた。楽譜に書かれた音楽の美しさと楽器が奏でる音の美しさを濃やかに咀嚼し再現されていた。激しき情熱とエネルギーが溢れ畳みかけるような第3楽章、別世界からやってきたような優しい中間部にぞくぞくした。そして第4楽章、明るく流れるように始まったかと思ったらそこはブラームス、激しさや哀愁も、自己流な解釈であるのだけど楽あれば苦ありこれぞ人生だと思わせられた。
ここまで、作品番号順に、演奏が進んでいったのだが、アンコールはさらに作品番号が後の曲目だった。ブラームスのに寄り添い、生涯を一緒に辿っているような気持になった。包み込まれるような温かさ、懐かしさが伝わってきた「旋律のように」、そして哀愁あふれる下行音型とコーダ近くに登場するふんわりした優しさが堪らない「私の歌」で余韻を残したまま終了。
宝物のようなひとときだった。2年半前に「ぜひまたお二人で演奏してほしい」と本ブログに書いていた。実現してくださって本当に嬉しい。欲を言えば、2年半前に聴いたものの今回は聴くことが出来なかった方たち、そして初めて聴く方たちのために、特に関東地方で、再演していただけたらと思った。
実はこの演奏会、楽しみにしていたのにも関わらず、仕事関係で心がいっぱいで当日まで心そこにあらず、癒されに行ったとしか思えない状態で迎えた。その一方で、終了後は癒されただけでなく心の澱みも根こそぎ取り払われ、このように振り返りたくなっている次第。今回楽しくかけがえのないひとときを共にしてくれた友人に感謝。
初めて出かけて会場の宗次ホール、素晴らしき音響、温かくきめ細やかな係員さん、当日の公演の看板を路上にも掲示するという尽力、昔懐かしの音源や素敵なグッズの販売、音楽の場を大切にしようという想いが手に取るように伝わってきた。もっと近かったら、通い続けたくなるぐらい、大好きなホールになった。ありがとうございました。