本当に、降りましたね!
昨年出かけ、よい思いをさせていただき、今年も楽しみにしていた南砺市の福野でのホール公開の企画に行ってきた。
天候もよろしくない上に気温も低く、しかも体調も万全でなく、素晴らしい企画なのに家を出る前はいまいちな状態だったのだが、会場に到着し円形ホールのある建物が目に入った途端今年も無事に来れてよかったという感慨がこみあげてきてテンション急上昇。
石油ストーブのついた受付の部屋で温かく迎えてくださった職員さん、早速部屋の鍵を開けて案内してくださった。中に入ると待ってました憧れのベーゼン様が!
左端を見ると黒い鍵盤も健在、音を出してみたもののあまりにも低すぎて高低の識別ができなかったのだが、これらの鍵盤の存在だけで威厳を感じる。この鍵盤が曲の中で使われている実演もきっとあるのだろうな。時間があるときに探してみたら面白そう。どちらにしても今回も逢えてよかった~
そして早速弾き始める。フォーレを弾いてみた。前回来た時よりは曲がはるかに弾きやすくなっていた。このピアノとは1年のブランクがあるけれど、2度目というのだけでも違いがあるのかもしれないと感じた。しかし前回と同じく、音が小さく感じられ、音が鳴っているという実感がわきにくい状態。。。確か昨年末出た某ステージで大きなピアノを弾いた時も、聞こえてくる音が小さくまるで音が出ていないような気がしたのを思い出した。しかし録音をしたら確かに音が出てきて油断ならぬと思った。大きなピアノは、弦が長いので、ハンマーが弦にあたりピアノの響板に振動がゆきわたり響きに至るまで、時間がよりかかり鍵盤側に伝わってきにくいのだろうか、とも感じた。横から見たらこんなに長かったので。
そして手前から見たらさらに伝わってくる迫力。
このピアノの姿、私は鯨みたいだと思ったことがあるのだが、鳥の翼、ドイツ語ではフリューゲルに似ているので、ハンマー・フリューゲルとも呼ぶとのこと、鯨よりも翼のほうが素敵だな。でも、この口を開けている様子、やっぱり鯨にも似ている気がする。翼のある鯨 ^^
そして内部を撮影。それにしても精巧にできている!
フォーレ、バッハ、メンデルスゾーンと弾いたのだが、弾いているうちに耳がピアノに慣れたのか、音が段々普通に聴こえるようになってきた。ウィーンの雰囲気も感じ取ることができた気がする。しかし録音を聴いたら反省点が。やはり音が届くためには指の支えをしっかりさせねばと思った。そして曲とピアノの特性を生かし、色彩感や表情をつけて演奏できるようになりたいと痛感した。
このホールの最寄りの駅。本数は少ないけれども、JRでも行こうと思ったら行けるところも有難い。
来年もぜひうかがいたいと思っている。企画、今後もずっと続きますように。
『意味がなければスイングはない』村上春樹著
村上春樹、恥ずかしながら、今までほとんど読んてこなかったのだが、ある方からこの本のことを教えていただき手に取った。そして読み始めた途端、あまりの面白さに目が文章に吸い付けられるようになった。
クラシック、ジャズ、ロック、Jポップ、あらゆる音楽シーンから選んだ11名の音楽について書かれている。印象に残った人物や音楽について書こうと思う。
シューベルトのピアノソナタといえば長くて意味や目的がくみ取りにくい印象があるのだが、村上春樹はそんなシューベルトのピアノソナタが好きなのだそうだ。そして最も愛好している曲が、第17番D580という、構築が甘く意味も見えにくく良さがわかりにくいと言われ、録音もなかなか行われなかった曲とのこと。そしてその愛聴している第17番を新旧15のピアニストで聴き比べて率直な感想を述べていた。アンスネス、バドゥラ・スコダ、ワルター・クリーン、クリフォード・カーゾン、ユージン・イミストンを一押し、シフ、内田光子、ギレリス、リヒテルはなんとか評価、そして辛口を書かれたピアニストたちもいた。とにかくよく聴きこまれていて脱帽状態だったが、個人的に、私も好きなワルター・クリーンとクリフォード・カーゾンの演奏を一押ししていたのが嬉しかった。ただ今まで私が聴いてきた彼らの演奏はモーツァルトばかりだった。彼らのシューベルトもぜひ聴きたいと思った。先日の音楽入門講座 シューベルトとシューマン 以来シューベルトの音楽が気になる度合いが明らかに増えているところだし。そして、アンスネスやバドゥラ・スコダも聴いてみたいと思った。こんなことを書いていたらきりがない。
ゼルキンとルービンシュタインはまさに対照的で持ち味が全く違う二人。ルービンシュタインが16歳年上だが二人とも東欧出身のユダヤ人で少年時代は貧しい生活だった。しかしルービンシュタインは抑圧に対して反抗的、練習嫌い、その一方でゼルキンは少年時代に家から離れ演奏会を開き困窮した実家を支えていた。ルービンシュタインは楽天的で自由奔放、危機的な状況も天才的な才能にささえられたはったりで乗り切ることもあったとのことだが、ゼルキンはどのようなピアノでも弾けるように家には劣悪の状態のピアノで何時間も練習していたというストイックな人だったとのこと。私が愛聴してきたルービンシュタインのショパン演奏の背後には華やかな彼の人生があったのかと感じたとともに、厳しい状況の中で真摯に音楽に向き合ってきたゼルキンの演奏をぜひ聴いてみたいと思うようになった。
ブライアン・ウィルソンは、ザ・ビーチ・ボーイズのリーダーでボーカルだが、村上氏は彼のことを、稀代の天才だと語る。ザ・ビーチ・ボーイズと言えば、ビキニの娘、サーフィン、改造車、青い海に象徴される1960年代から70年米国西海岸若者文化を象徴した太陽のように明るく元気いっぱいの音楽の印象があり私もいいと思っていた時期があったのだが、太陽がきらきらとさすような口当たりの良い音楽というのは、なんと彼らの長いキャリアの中ではほんの数年間だった。そしてブライアン・ウィルソンにイメージがつきまとったために、ポップ性が薄まった内面的な音楽を作ろうとしたとき、どんなに天才のきらめきが感じられる音楽でも聴衆に受け入れられず、苦悩に陥りドラッグ漬け、創作意欲の低下という試練に陥る羽目になる。しかし仲間の死をきっかけに、とことん落ち込んでいたブライアンは生活を立て直し、音楽人生の第二章を作り上げた。ビーチ・ボーイズの音楽に対して、一時期の表面的な印象しか抱いていなかったのだが、その後、彼らが大変な試練を乗り越えながら違う面を持った音楽を作り上げていたということをしり、かなり衝撃を受けた。
スタン・ゲッツといえばとろけるように甘いサックスの印象があり聴いていて心温まる音楽の印象が強いのだが、当のスタン・ゲッツ氏はヘロインの常習者であり、演奏もヘロインの助けを得ながらしていたことが多かったとのこと、そして、人生にも闇の時代があった。自己矛盾のある人生でありながらも、天上的に美しい音楽をひたむきに現役奏者として奏で続けてきた彼は、ジャズを「夜の音楽なんだ」と秘密を打ち明けるように語ったという。
ブルース・スプリングスティーンと言えば「ボーン・イン・ザ・USA」が思い浮かぶが、この曲はアメリカの希望を語るどころか、その反対の、怒りと絶望と悲しみに満ち溢れた内容だった。そして、労働者階級から紆余曲折を経てロックンロール歌手になったブルース・スプリングスティーンは酒もたばこもドラッグもやらず放埓な生活もしないという堅実な人物だとのこと。
ほかの紹介人物、音楽についても、細やかに、愛情深く書かれていて、読みごたえがたっぷりだ。
この本を読んで、記憶の背後に隠れていた音楽を掘り起こし、新たな音楽との出逢いを切り開きたくなった。非常に面白かった。紹介してくだった方に感謝の気持ちしかない。
高岡って確か、と、富山県だったよね、でもどのあたりかわからないな。雪がたくさん積もりそうで透明感に溢れたきれいなイメージだな。
富山に引っ越す前の私の高岡市への認識はこのようにお粗末なものだった。新潟県も北陸地方と思っていたぐらいだから想像がつくかと思いますが。。
富山市に引っ越して高岡市に対する私の知識は急激に増えた。県内最大のショッピングセンターがあるし(富山市ではないのでした)、県内唯一の国宝もあるし、富山の観光案内の写真によく登場する雪の立山連峰を背景とした島が浮かびその美しさに万葉歌人大伴家持氏も心打たれた絶景雨晴海岸もあるし、高岡銅器などをはじめとした伝統文化も豊かだし、コロッケも美味しい。そして高岡駅前から出ている万葉線は、なんとあの海王丸がある新湊大橋まで続いているというスケールの大きさ。実際に始点から終点まで乗ってみたら・・・ものすごく時間がかかりそうですが。
おととしの末、金屋町というところに行き、古い木造建築の町並みの美しさと伝統工芸のすばらしさに心打たれた。そして昨年はじめは休館になって非常に残念に思う高岡市民会館に広上さん指揮NHK交響楽団小曽根真さんピアノの演奏会に行った。そして昨年は高岡を含め富山県内で富山よりも西の方たちとの出会いが多く、ピアノ仲間との忘年会も高岡で行った。しかし私自身は高岡市の中心地にはほとんど出かけることがなく、特に高岡駅北は未知の領域になっていた。そこでおととしと同じく昨年の暮れは富山県西部の小旅行を兼ね、天皇陛下も御車山会館を見に来られたという高岡の山町筋に足を運ぶことにした。
山町筋の観光駐車場から歩く。雪が積もっていて寒いけれど、歴史と情緒を感じる建物が並んでいてタイムスリップしたような気分に。ふと小江戸と呼ばれる埼玉県の川越市を連想した。戦火を免れた土蔵造りの建物、美味しい和菓子、そして寒いところも。「土蔵造りのまち資料館」入りたくてたまらなかったのだが・・・年末のために休館。確かに少し遅すぎた。残念。
こちらも情緒を感じる建物!
山町ヴァレー、洋館ですね。中で楽しいことをやっていそうだけどこちらもお休み。
御車山会館も含め、あまりにも年末すぎて断念したところが多かったのだが、開いているのではないかと思って出かけたこちらのお店はあいていた。別の名前も書かれていたので始めは店違いかと思ったけれど、ちゃんと巡り合えた!
こじんまりとしながらも気取らなく心地よいお店で頂いた野菜サラダと生ハムのパヌッツォ、野菜もパンもこうやったら美味しいのねと感じる味。サラダのお皿もおしゃれ。
シュークリームが美味しいということでこちらまで頼んだら、アレンジも凝っていてびっくり。味も絶品だった。
その後富山市内にもある中心地のデパートに初めて足を運んだあと、街中をぶらぶら歩いていたらこのようなモニュメントに遭遇。9人の妖精みたいな子供たちがばんざいをしており、その下の石碑には楽譜が書かれていた。
そして左側には解説と胸像があった。「ぎんぎんぎらぎら」で始まる童謡「夕日」を作曲したのは高岡市出身の室崎琴月氏であり、先ほどのモニュメントは記念としてつくられたそうだ。胸像は室崎琴月氏の胸像だった。
たちまち頭の中で童謡「夕日」が流れたのは言うまでもない。じんわりきて愛おしくなるような歌ですよね、夕日。。。
今回はせわしない年末の短時間の滞在で見れなかったところもあり中途半端だったけれど、いつかまた行こうと心に誓ったのだった。
中嶋恵美子先生著『知っておきたい!ピアノ表現27のコツ センスがないとあきらめる前に』
書店で見かけ立ち読みしているうちにびびびっと来て購入した本。
最初に気に入ったきっかけは「センスがないとあきらめる前に」という私の心を見透かしたようなタイトル。生まれ持ったセンスがなくても、やり方次第で美しい音色、歌心、そして魅力ある演奏に近づくことができそうな希望が感じられた。
ピアノを弾くうえで心掛けたい27のポイントがわかりやすく書かれていた。その内容は、すぐに実現できそうなものであった上に、すとんと腑に落ちるようなものだった。大げさかもしれないけれど、心に光がさし、身が震えそうな思いになった。27のポイントごとではないのだが、特に心に残った部分を採り上げてみる。
フレーズを感じる演奏をするために、音の強弱よりも最後の音を特別大事に演奏する意識が大切
脳から指令を出し自分の意志で指をコントロールするために、次の音を明確にイメージし指に指令が送られ弾く準備が整ったら次の音を弾く。このように「止める練習」は指が先走ってしまう音の手前でも有効
作曲家がしかけた変化の瞬間を見逃さない
両手で左右異なる音量を弾くための練習法(ここでは省略します) 弱音を弾く際に力をセーブしたときの体の使い方に注意を払い再現する
ひとまとまりの音楽はひとまとまりの動きで弾く
低音の弦は太くて長く、高音の弦は細くて短い。弦の細い高音は弦の太い低音が大きくなると目立たなくなるので、クレッシェンドの時は高音から。
などなど。書き過ぎるとあらゆる面で申し訳ないのでこのあたりで止めておく。特に最後の音を大切にすることと、止める練習はいずれはインテンポで弾かなければならないことになるにしても実際の練習で効き目があり弾きにくいところも弾きやすくなってびっくりした。いずれ拍に合わせてインテンポに弾かなければならないにしても、あいまいなまま流してしまうことになるのだったら、これからはいったん止めてそろえてみようと思った。
このような本は、人によってツボとなるところが違うかもしれず、合う合わないも個人的な面があると思うが、私にとっては、中嶋先生のこの本との出逢いは非常に大きなものだった。感謝。