久しぶりに色鉛筆の絵の投稿。林檎とポンカン。描き始めは3月、セザンヌの林檎の絵に憧れて林檎の絵を描こうと思い下絵だけは描いたのだが、その後止まっていた。
林檎もポンカンもすでにおなかの中、撮った写真を見ながら、色を塗り重ねてみたら、心が安らいだ。色鉛筆楽しい!
背景はないし、影もちゃんと描けていないけれど、このようにゆるやかな気持ちで描いたら、また描けそうな気がしてきた。
久しぶりに色鉛筆の絵の投稿。林檎とポンカン。描き始めは3月、セザンヌの林檎の絵に憧れて林檎の絵を描こうと思い下絵だけは描いたのだが、その後止まっていた。
林檎もポンカンもすでにおなかの中、撮った写真を見ながら、色を塗り重ねてみたら、心が安らいだ。色鉛筆楽しい!
背景はないし、影もちゃんと描けていないけれど、このようにゆるやかな気持ちで描いたら、また描けそうな気がしてきた。
とあるショッピングセンター、期間限定でアジアングッズを売っているところがあった。華やかな色遣いのグッズとともに、いろいろな楽器があってびっくり。ずっとあこがれていた親指ピアノことムビラ、カリンバも発見。バリ島の、親指ピアノだそうだ。値段を聞いたらこんなに安くてもよかったのかと言いたくなるぐらい安い!思い切って、とはいえないような手軽さで、購入してしまった。
親指ピアノとの出逢いは、浜松楽器博物館がきっかけだった(こちらの記事にムビラとしてあります)。浜松楽器博物館ではアフリカの楽器で、ピアノの祖先として、親指だけで演奏する楽器として、紹介されていて、素朴な風貌と、神秘的な音色に心惹かれた。そして、関東から離れる引っ越しの前日に宿泊したホテルでかかっていた、ガムランの音楽にも心惹かれた。その時思った。寒そうな富山では、赤道直下や南半球の、五線譜では表せないような音楽を沢山聴きたいと。
現実はそのようにはいかず(というよりも、願望が多方面に広がり過ぎていたというのが現実だったのだけど)願望も風化しかけていたのだが、この店で親指ピアノを見つけたのは、ひょっとしたら、こちらに引っ越してくる前のひそかな願望に近づくきっかけだったのでは、と思った。
ぽろんぽろん、いわゆる西洋音楽とは違う音程と、謎めいた音色。どことなく神さまの世界にダイレクトに繋がっているような雰囲気。気が向いたときに鳴らしたいと思った。
9月に出演予定の某音楽祭に向けて準備を始めているこの頃、肝心の曲も弾けるようになっていない状態なのだが、せっかく弾くのなら、作曲家の人生や時代背景も理解し堪能したいと思っている。そう思っているうちに見つけたのが、”The Mozart Story" by Jake Ronaldson(ジェイク・ロナルドソン著『モーツァルト・ストーリー』)。IBCパブリッシングによるラダーシリーズの中の1冊。フリーライターとして活躍しているJake Ronaldson氏によるこの本はレベル2(英検3級程度)伝記でありながら驚くほど読みやすい英語で書かれている。少し難しい単語については巻末にWord List(語釈)が掲載されている。これだけシンプルな英語でモーツァルトの生涯を伝えていることに感激したとともに、英語学習者にとってやさしそうなこの本の語り口は、モーツァルトの音楽にもつながっているように思えてきた。
ずっと気になっていた展覧会についに行ってきた。藤井千秋の世界! 1950~70年代、少女誌『少女の友』、『女学生の友』、童話全集などにイラストや挿絵を発表し、少女たちの心をつかんできた藤井千秋(1923~85年)の作品を紹介しているこの展示会、入った途端、凛として美しく透明感あふれる少女たちが繰り広げる、夢とメルヘンの世界にうっとりし、幸せな気持ちになった。40年以上前だけど、こんなに素敵な世界が描かれていたんだな、憧れた人たちも多かっただろうな。こんなにお洒落な少女たちも実際にいたかもしれない。藤井千秋氏、今まで知らなかったのだが、竹久夢二や、中原淳一の系譜に連なる方とのこと、納得。
中川右介著『怖いクラシック』NHK出版新書
中川氏の著書、先日ブログで挙げた戦争交響楽 に心打たれた私、その後も中川氏の著書を読み続けようと思っていたが、そのまま続編の『冷戦とクラシック』に向かうのはちょっと骨が折れそう気がしたので、時代はのぼりクラシックの作曲家たちが作った「恐怖」をキーワードにした音楽について書かれた本書を先に読むことにした。
クラシック音楽は、いわゆる「癒しの音楽」ではない。むしろ、死、神、孤独、戦争、権力など、「恐怖」の世界も描いている。大作曲家たちが作った「怖い」音楽の紹介とそれらの曲が作られた時の背景や作曲家たちの状況について書かれていた。
モーツァルト作曲ドン・ジョバンニ、ベートーヴェン作曲交響曲第5番運命、交響曲第6番田園の第4楽章、ベルリオーズ作曲幻想交響曲、ショパン作曲ソナタ第2番葬送行進曲、ヴェルディ作曲レクイエム、ラフマニノフ作曲前奏曲嬰ハ短調、ピアノ協奏曲第2番、マーラー作曲交響曲第1番、ヴォーン・ウィリアムズ作曲田園交響曲、ブリテン作曲シンフォニア・ダ・レクイエム、ショスタコーヴィッチ作曲交響曲第10番 が怖い音楽として挙げられていた。聴いたことがある曲もない曲もあるし、怖いというよりも激しい曲という分類でもよいのではと思える曲もあったけれど、作られた時代背景を感じたら当時の人たちにとっては怖い曲だったのかもしれないと感じた。怖い曲と言えば、グレゴリア聖歌やそれ以降のルネサンス時代、バロック前期なんかさらにおどろおどろしいと思える音楽が沢山あるし、また新しくはドビュッシーの曲にも一部怖さを感じたりするので選曲内容についてはちょっと突っ込みどころがあるような気がしたが、怖いという感覚自体主観的な感覚なので、選曲結果も百人百様だろう。個人的には、「怖い」曲を作った作曲家たちの作曲時の心境や時代背景の説明が面白く感じられた。怖い曲が作られたからと言って作曲家がその時に怖い思いやつらい思いをしていたわけではなく、またその逆もあったりするのが面白いと思った。そしてやはり時代の価値観の変化によって何度も怖い思いや矛盾した思いを抱えることがありながらも芸術家としてつよく生き続けたショスタコーヴィッチ、ますます気になる作曲家になっている次第(なぜかここに至る、今まで私は彼の音楽にほとんど目を向けてこなかったこともあるし、あまりにも過酷な状況を潜り抜けてきたということで強いインパクトを受けている。中川氏の筆の力もありそうだ、おそらく好きな作曲家だったのではないだろうか)。