一週間が終わった。先週は私にとって山場の一週間だった。そして山場が終わり願いがかなった。来月から状況が変わる。
そんな中、ピアノの音についてはずっと気になりなんとかならないものかと思っていた。そして行きついたサイトがこちら。
「ピアノの音色を科学する」
管理人様、独学でピアノをされているとのことだが、非常に熱心な方で頭が下がる思いだ。この方、指が鍵盤に触れて、音が鳴るまでの過程と、音に濁りが生じる原因について、丁寧に分析されている。
単音を奏でる場合、弦を響かせる以外に目立つ音、すなわち音が濁る原因になりうる音として、指が鍵盤に触れたときの衝突音である「上部雑音」、鍵盤が底(鍵床)に当たったときの衝突音である「下部雑音」、鍵盤が元の位置に戻る際の音である「反動雑音」、希望する弦以外の弦を響かせてしまう「ミスタッチ音」、「息・声」を挙げられており、しかもそれらの音が鳴るような弾き方と避けるための弾き方についても具体例が挙げられている。それらを試してみたら本当にそうだと思えるものばかり。蓋をあけて実験する例もあった。ただ、濁りのない音を出すための実践例、私の場合ゆっくり落ち着いてやったときのみ出来るという状態。。。言うは易しく行うは難し。
そしてサイトの管理人さんが紹介していたおすすめ本にあった、雁部一浩著『ピアノの知識と演奏 音楽的な表現のために』がどうしても読みたくなり購入。雁部氏は物理学科出身の作曲家、ピアニストであり、演奏論についても多くの著書を出されている。
序論からピアノという楽器を知ることと楽器の仕組みに応じた合理的な演奏を行うことの大切さについて述べられている。情緒あふれる芸術と、科学的、合理的なアプローチは対立するものではなくむしろ不可分だと書かれている。気持ちの良い出だしだ。
ピアノの音の大きさは、鍵盤を下に押し付ける力ではなく、下降の速さ(スピード)によるものなので、鍵盤を素早く下げればフォルテシモ、ゆっくり下げればピアニシモになる。そしていったん鍵盤が下がった後はどんなに押し込んでもピアノが響くようにはならないとある。本質的なことなのだけどうっかり忘れてしまいやすいこと。声楽や弦楽器は、いったん音を出したあと何かを動作することで音の強さや表情を変えることができるがその方法をピアノに持ち込むことはできない、本当にそうだと思う。だからこそ、ピアノのそんな面を補完するためにペダルが出来たりしたんだな。そして音楽的な満足と肉体的な満足を混同しないように、とのこと、確かにそうだ。
そしてタッチで音色が変わるかの項で、雑音についての言及が。ハンマーで弦を叩き、その叩かれた弦の振動が駒から共鳴板に伝わって響き生み出された「楽音」に加えて、実際の打鍵に伴って発生する「雑音」として手と鍵盤の衝突による「上部雑音」、鍵盤と鍵床との衝突による「下部雑音」、アクション機構各部の雑音を挙げている。そして演奏者が意図的に操作できるのは「上部雑音」、「下部雑音」であり、タッチによる音色の違いをもたらす要因として考慮しなければならないものだと述べている。打鍵の深さについても、私が今まで抱いていた先入観は違う見解で興味深い。
速いパッセージを弱音で弾く際には、鍵盤を浅く弾くテクニックが必要とあった。浅く弾く、意外に難しそうだ。そして離鍵の際に、鍵盤を「素早く上げる」必要はあるけれども、「高く上げる」必要はない、とのこと、思わず混同しそうだが確かにそうだ。離鍵のあり方の重要性も改めて感じた。そしていわゆる重量奏法という概念についての注意点も述べられていた。
そしてさらに本質的なことについても述べられていた。まず音楽的イメージありき、とのこと!奏法の大切さについて述べられているが、その前提になるもののほうがもっと大切。楽譜を読んで頭の中で音を想起し、作品の細部まで思い浮かべられることが理想的だとあった(ギーゼキングのメソッドにあったそうだ)。感情について、大切なのは演奏で自分の感情をぶつけるのではなくて、音楽の中であらわされているリズム、旋律、和声の音構造を明瞭に想起し、豊かな音の表情を感じ取ること、そのための音楽への共感の重要性について書かれていた。
書かれている内容の緻密さと誠実さに心打たれた。打鍵の速度、深さ、離鍵について、そして音楽的なイメージについて、音楽タイムの時には常に頭に置いておきたい、そう思える本だった。
雁部氏の演奏、一部Youtubeに掲載されていた。あの文章の裏付けとなりうるような美しい演奏だ。先月にはチェリストの伊藤悠貴氏との演奏会もあったようだ。
リスト作曲 ペトラルカのソネット 104番
バッハ作曲 主よ、人の望みの喜びよ
注)読み直してみて表現に語弊があったように思えたところは直しました。