いろはにぴあの(Ver.4)

音楽、ピアノ、自然大好き!

蜜蜂と遠雷

2019-10-28 | ピアノ、音楽

 話題の映画、蜜蜂と遠雷に行ってきた。最初から最後まで目も耳も離せない見事な展開だった。

 舞台はピアノコンクールの現場、4人の若者たちがまっすぐに音楽を目指す。その4人はコンテスタント同士、華麗ながらも過酷な現場を乗り越えていく。お互いにライバルでぶつかりあうのだろうかと思いきや、根底に、音楽を愛する者同士の連帯感がベースにあり、それぞれが出逢いを通して自分を見つめ一皮むけ成長する。そのベースにある、温かさに、心打たれた。

 将来を嘱望されながらも母親の死をきっかけに表舞台から身を引いていた栄伝亜夜、今回のコンクールに再起をかけつつもその過程で色々な闘いを経ていくのだが、その中で出逢う様々なシーンが印象的だった。ふらふらっと心を見透かしたような感じでやってきた風間塵と月の光の下で連弾をしていくうちに奏でていく音楽を通じて自分の中にある音楽がよみがえり心も拓かれていく。本選選出者が決まった後、コンテスタント同士で砂浜に集まるシーン、本選まで進んだ栄伝亜夜、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール、風間塵が駆け抜けていく中、楽器店のサラリーマンで妻子がいて年齢制限ぎりぎりでコンクールに挑戦した高島明石、本選に残れなかった自分のすべてを認め、「あっち側の世界はわかんない」という。本当は「あっち側」でいたかっただろうし、自分もそうなれるのではと思っていたかもしれないのに。そう言いつつも音楽をその後も続けていくことに肯定的な姿勢は貫いていた。コンテスタントの中では高島に最も近い私としては彼の気持ちがわかり、そんな中での彼の勁さに心惹かれるものがあった。豊かな才能を持ち合わせながらも気さくで心優しいマサルが亜夜に語ったスケールの大きな夢、才能ある音楽家なら持ちそうな夢だなあ、そういえばマサルの雰囲気に近い感じの人も実際にいそうだなとにんまりしたり。あきらかにマサルはあっち側の人物なのだが非常に人間が出来ていて愛にあふれた行動をとり続けていた。風間塵の自然児そのもの天然と思える態度とともに、「世界が鳴ってる」という台詞が忘れられない。

 そして、いったん決勝の舞台から身を引こうとしていた亜夜が黒いドレス姿で舞台に戻り、ひとかわもふたかわも向けた演奏をして晴れやかな笑顔で登場したシーン、本当によかった。できたら、全曲、演奏を聴いてみたかった。

 言葉足らずだが、音楽の力を実感するシーンが沢山あった。俳優、ピアニストの人選も、選曲も、物語のよさを引き出すものでよかったと思う。映画化は不可能かもしれないと言われていたそうだが、映画化してくれて、本当に、よかったと思う。


そして、次へ

2019-10-27 | ピアノ、音楽

 先日の演奏会で、これからも弾き続けたいとは思いつつ、もともとは富山で弾こうとしていた曲の人前演奏はひと段落。これらの曲は、かなり思い入れがあり、夢と憧れをもって取り組んでいた。弾いている期間も長くなっていただけあって、弾きこみも比較的出来ていたと思う。なので、本番に出すのは思ったよりも精神的に楽なほうだった気がする。

 そんな後なので次の曲の選曲、結構頭を悩ませた。結局、自分では弾けていそうで本当は弾けていない気がするエオリアンハープと、平均律第1巻から1曲を診ていただくことにした。エオリアンハープ、本当に弾けていなかった。弾けていない気がして持って行ったのは正解だった。平均律もこれからが曲作り、楽しみ^^

 ブラームスOp.116から数曲も狙っているけれど、エオリアンハープと平均律の練習だけでいっぱいいっぱいなのが現状。そんな中でもブラームスの譜読み、なんとかしたい。

 話題は変わり、蜜蜂と遠雷を見てきた。話題になり始めたころは、よさそうだけどついていけるだろうか、と思っていた。ところが見終わった後はすっかりはまり自分のテンションが最高潮に。楽しみ、取っておいてよかった。詳細な感想が書けるか心もとないけれど、書けたら、書きます。

 

 


演奏会に出演して

2019-10-27 | ピアノ、音楽

 先週の祭日に、教室の有志による演奏会に出演した。本格的な感じの本番はこちらに引っ越してからは初めてで、心から楽しみにしていた。シューマン作曲ウィーンの謝肉祭の情景より間奏曲、モーツァルト作曲ソナタKV311の第3楽章。せっかく弾くのならば、ここがよいと思うところを、少しでも伝えたいし、自分なりに納得できる演奏にしたいと思っていた。
 本番、緊張しながらも、無事にコンプリート!はらはらした場面もありごまかしたりもしたけれど、ここをこう弾きたいという思いだけは意識した。私の最大の課題だと思っていた音について嬉しいコメントもいただき嬉しかった。他の出演者の方たちの演奏、ジャンルはクラシックからジャズまで多様だったが、音楽が大好きで真摯に練習されてきたのが伝わってきて非常に聴きごたえがあった。

 この演奏会までに、有難い弾き合いの場が数回あった。おかげさまで学んだり、縁が広がったり深まったり、充実したひとときを過ごすことができた。自分の甘々ぶりも実感したけれど^^;ご指導いただいた先生、一緒に頑張った仲間、ご一緒させていただいた方たち、会場にいらしてくださった方たちに感謝。

 これで、一皮、むけたと思いたい。すくなくとも、引っ越しは、これで、本当に卒業できた(笑)


懐かしいショパン即興曲集

2019-10-12 | ピアノ、音楽

 本番の予定が延期になり自宅にいる。外は風がどんどん強くなっている。

 そんな中、アラウによるショパンの即興曲集をかけている。そうしていたら、涙腺が、ゆるくなってきた。聴いたのがあまりにも久しぶりだったからかと思ったのが、それだけではなさそうだ。第1番は瑞々しさに惚れ込んだ曲だし、第2番はピアノ仲間での生誕200年記念の演奏会で弾いたし、第4番幻想即興曲は中学生の頃に出逢い、ショパンとピアノ曲が一度に好きになるきっかけになった大切な曲だった。ショパンの即興曲集は、私のピアノライフの原点を、思い出させてくれる曲集だったのだと、遅かりしながらも、今この瞬間に、気づいた。


雑念と無心と

2019-10-06 | ピアノ、音楽

 ピアノの本番での演奏中にふと心がよそ見しそうになる事態。よそ見しているのは心だけで、指がちゃんと動いてくれれば、まだ大丈夫なのだけど、ふとよそ見したと意識したとたん指もつられて、というのだけは避けたい避けたい避けたい。10年ぐらい前までは雑念自体よぎることもなかったよう気がするのだけど、ここ数年はよぎるようになっていけない。本当に困ったものだ。今となっては、もう、よぎる自分を受け入れるしかないかもしれないと思えている。たとえばこんなところで弾いているどうしよう、なんていう気持ちになりそうになった瞬間意識を出している音に!向けられたら。

 本番前まではしっかり試行錯誤、追求するけれども、本番になったら無心になるとよい、というのもどうなのだろう。先生によると、無心になれなくてもよい、状況自体無心になれる状況でもないから、それよりもその場を楽しもうとの話。となると、雑念がよぎってもよい、よぎる自分を受け入れて、その場を楽しもうというのもありだ。確かに、そうだな、無心になれなくてもよいし雑念もよぎってしまったものはしかたない。そこからどうするか、しかないのだろうな。雑念がよぎったら今その雑念はいらん、大切なのは今なのだからそれよりもこの曲のここ素敵じゃんと言い聞かせる、それでいこう。

 増税前に滑り込みのように買ったもの、あります。ちょうどその時期にバドゥラ・スコダ氏が亡くなり、スコダ氏が、モーツァルトについてよい本を書いていたというのをSNSで知り、思わず奮発してしまったのだった。『モーツァルト 演奏法と解釈』エファ&パウル・バドゥ―ラ=スコダ著 今井顕監訳、堀朋平・西田紘子訳。非常に厚いので今回の本番には間に合わないかと思うけれど、そして、その直後にモーツァルトを弾く予定も、今のところはないのだけれど、きっといつか弾くと思うし、知っておいてよいことが沢山書かれているだろうと自分に言い聞かせている。