いろはにぴあの(Ver.4)

音楽、ピアノ、自然大好き!

牛田智大氏 ピアノリサイタル

2017-05-28 | ピアノ、音楽
 牛田智大氏のピアノリサイタルに行ってきた。響きのよさで知られるホールで開催される、日時的に都合がつく演奏会であったのもあり、ぜひ一度聴いてみたいと思っていた所だった。人も沢山来ており、牛田氏の人気のほどがうかがえた。
 
 プログラム

リスト作曲 愛の夢第3番
ショパン作曲 ノクターン13番 ハ短調Op.48-1
ショパン作曲 幻想即興曲 嬰ハ短調Op.66
ベートーヴェン作曲 ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調Op.27-2「月光」
バッハ作曲ブゾーニ編曲 シャコンヌ

 休憩

シューマン作曲リスト編曲 君に捧ぐ (献呈)
リスト作曲 パガニーニ大練習曲集より第3曲「ラ・カンパネラ」
リスト作曲 ピアノソナタロ短調

 アンコール

ラフマニノフ作曲 パガニーニの主題による狂詩曲 作品43 から 第18変奏

 重量級のプログラムだ。可愛らしかった子供時代とのギャップも大きい。おそらく彼はその後目覚ましく成長し続けている演奏家なのだろう、という期待が感じられた。
 
 愛の夢、ノクターン、幻想即興曲と一気に3曲演奏。響きのよいホールなのもあり、音がよく飛んできた。愛の夢、フレーズのまとめ方に細やかな心配りが感じられ、曲自体のきらりとした輝きが感じられた。ノクターン、幻想即興曲、まっすぐさと素直さが感じられ、これらの曲を聴いたばかりのときに感じた、宝物に出逢ったような幸福感が蘇ってきた。ここぞという目だったひねりは私の耳では感じられなかったのだが、内声部の一部、隠し味のように大切に歌いこんでいるところがあって曲に踏み込んで演奏しているのだなと思えたりした。

 月光ソナタ、有名すぎるぐらい有名な第1楽章、ゆらゆらとさす光の背後にある哀しみ、ほのかに明るい表情をしたりしたものの、最後は重く悲しく終わる思いが密度濃く感じられた。第2楽章、今までついつい聴き流すことが多かったこの楽章だけど、再現部で変化をつけたりと工夫のように思えるところがあり、愛しさが感じられる演奏だった。

 前半最後のバッハ作曲ブゾーニ編曲シャコンヌ、いよいよヘビー曲の登場、重苦しくならずに聴けるだろうかという懸念があったのだけど、そんな懸念はたちまち吹き飛んだ。楽器がたちまちピアノからオルガンへと変身、ホール全体に音の柱がささった。神々しく力強い光を華麗に発し、その光は万華鏡のように輝き、エネルギーを放ちながら一切よどむことなく勢いよく流れていき、聴いていてとても気持ちが良いのだった。夫々のモチーフの魅力も手に取るように伝わってきて、この曲はこんなに素晴らしい曲だったのだ、もっと味わって聴いていこうと思えるような演奏だった。そう、彼の演奏を聴いて、シャコンヌが今までよりもずっと好きになった、感謝したい。
 
 休憩後後半は全曲リストがかかわった曲目。私も弾いたことのある献呈だが、さすが、すみずみまで洗練されていて、こんなに弾けたらシューマンもリストも喜ぶだろうなと思える演奏だった。ラ・カンパネラ、哀愁の感じられる鐘の響きがあちこちこだましながら盛り上がってゆく様子が美しく、この曲に出逢ったばかりのときに感じた、悲しくもドラマチック、そして懐かしい感情が蘇ってきた。
 
 プログラム最後のリスト作曲ピアノソナタロ短調の演奏前に、牛田氏がマイクを握った。長くてとりとめのなさそうなこの大曲を、味わいながら聴けるように、曲の由来だと言われるゲーテ作のファウストの登場人物に曲の重要なモチーフをあてはめたものを演奏しながら解説、ファウスト、メフィスト、グレートヘン、そしてお互いの絡み合いや神がこのような形で曲の中で出てきたのかと驚きながら聴いた。牛田氏の解説はとても分かりやすく、色々な場面や様相で登場するファウストやメフィストの存在に惹きつけられたのだが、記憶力の低下もありどこの部分がどういうテーマだったか忘れてしまったものも。。。残念。
 しかしファウストやメフィストのように覚えていたテーマを手掛かりに聴いてみたら、あらら、音楽から感情のある登場人物が浮かび上がってきた。途中で登場人物の記憶が飛びそうになっても、音楽のエネルギーは場面の転換を何度も経ながら、とどまることなく流れ、その魅力的な流れに身を任せているうちに、永遠の世界へ羽ばたいていけそうな気分になった。ピアノの可能性を限界まで追求し、魅力を惜しみなく出そうとしたリストの欲張りな想いも伝わってきた。多種多様な音色やフレーズ、そして溌剌たる勢いでホール全体に展開されるドラマ、この瞬間を味わうことが出来てなんて幸せなのだろうと感じた。牛田氏が現代のリスト予備軍 (まだ若く発展途上なので予備軍も加えておきます)のように思えてきた。リストの曲の中で最も好きな曲はこのロ短調ソナタ、今日の演奏でますますその気持は確固たるものに。
 
 割れんばかりの拍手の後、パガニーニの主題による狂詩曲の第18変奏で締めくくった。沢山の宝物を私たちに与え、彼はステージを去った。
 
 終了後、シャコンヌとロ短調ソナタの入っているCDはないだろうかと思って探したのだが見つからず。。。それだからこそ、この2曲をライブで聴けて本当によかった。牛田智大氏、骨太で将来性に溢れた演奏家、これからも演奏を聴きたいと思えるピアニストの一人になった。本当に生で聴けてよかった。数年前にも同じホールで演奏会を開いたようなので、また聴ける機会がありそうな気がする。楽しみだ。


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間違えないように することよりも

2017-05-18 | ピアノ、音楽
 イタリア協奏曲、弾いても弾いても、いまひとつ、気持ちが入らなくなっていて、困った、どうしたものだろうと感じていた。相変わらず間違えやすいところがところどころであり、今までのように楽譜の一部をピックアップして書けそうなネタは沢山あったのだけど、その個々の現象をあげながらも、心の奥底で、何かが違う、というもやもやした気持ちになっていた。
 そんな中、とある生き生きとした演奏の録音に出逢って、気持が変化、今までの記事で書いてあるように、間違えないように、することも大切だけど、それよりももっと大切なことがあったと思うようになってきた。楽譜に書かれた音符ひとつひとつから、どこまで音楽の魅力を、引き出せるだろうか、そのためには、曲の魅力を、その瞬間瞬間で、丁寧に感じ取り、その感じ取ったものを、少しでも、表せるように、と思うようになってきた。ただ、技術面で及ばない今、何かを引き出そうと思ったとたん、ちょっとでも苦手な要素があったらたちまちミスしやすくなっているのも事実。けれども、今は、その時点ではミスしやすくなっていても、何かを引き出せるように、試みてみる時期のように思えてきた。大切なのは生き生きとしていること、たとえミスタッチがあったとしても、こうしたいという思いが自分の中にあって音楽を感じ取りながら弾けていれば、少しずつ慣れてくるはず、と信じて。ウィリアム・ウェストニー著の『ミスタッチを恐れるな』という本を、思い出している。
 
 本当にピアノって、奥が深いなあ。やることいっぱいあるけど、そこが楽しい。「今回はここまでやった、今度は少しずつこのように弾けたらよいな」と思いながら、毎回新鮮な気持ちで臨むことが出来たら、と思う。

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イタリア協奏曲第3楽章 その2

2017-05-10 | ピアノ、音楽

 レッスン日が近づいているここ数日、弾きにくいところを見つけては少しでも弾きやすくなるように試行錯誤している。前から気になりながらも蓋をしていた箇所にも向き合い中。今までなぜ蓋をしていたの、とは訊かないでください。

 下の楽譜の117小節目、赤くまるで囲んだ中声部であるファ#(Fis)、「2」の指で弾くようにという指示が出ているのだがその指示の意味がよく分からなかったのと何となく面倒だったのもあり、右手の「1」の指で弾き続けていた。しかし、その前のソ(G)の音は左手の「1」の指で弾いた後、この位置の音を別の手の「1」の指で弾くのは、声部の音楽の滑らかさの面や音のバランスの面でも、あまり望ましくないような気がしたので、左手の「2」の指で指示通りに弾くようにしてみた。初め慣れるまでは大変だったが、慣れたらその方がずっとなめらかに弾きやすいことが判明。二つ以上の声部になるとき、どちらの手で弾くかというのが課題になるが、このケースのように上段に2声が書かれていても弾く手を分けたほうがよいこともあると感じた。

 しかし、119~122小節目については、下段のベースの音域が低いため、上段の2声の部分は右手のみで弾く必要がある。全音符の部分は小節いっぱいに伸ばして確実に2声にするというのは言うまでもないのだが、119~120、120~121(ここは囲み忘れていました)、121~122小節目の移行部の赤で囲んだ部分がぶつ切りになりやすいうえにそのように弾くと聴き苦しいので、滑らかに聴こえるように弾きたいと思うのだった。どのようにしたら、この移行部、滑らかに弾けるようになるだろう、あまりペダルは使いたくないので、さりげなく滑らかに指が次の所にいったように聴かせることが出来たら、と思うのだった。そしてその後、一安心した途端外しやすいのが123小節目のベース「レ」なのでしっかり決めたい。そして124小節目の左手も指示通り4の指で始め、音楽がスムーズに流れるようにしていきたい、と思った。

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ラ・フォル・ジュルネ新潟 より 加羽沢美濃氏

2017-05-08 | ピアノ、音楽

 GWのはじめには新潟に出かけてきた。主なねらいはラ・フォル・ジュルネ新潟。

 作曲家、そしてピアニストである加羽沢美濃さんのソロコンサートがあったら聴いてみたいと思っていたところ、新潟のラ・フォル・ジュルネで演奏されるとのこと、ソロ活動が最近は少なく近くに来られることはまずないだろうという気持ちになっていた矢先にこの機会、新潟は富山からは決して近いとはいえないのだけれど、それでもお隣の県、足を運ぶのに絶好のチャンスだと思い向かうことにした。

 新潟りゅーとぴあのコンサートホール、客席が舞台を囲むようになっていてまるで劇場のよう、それでありながらパイプオルガンも設置してあり、かなり豪華なホールに感じた。客席は人でいっぱいだった。

 加羽沢さん、さっそうと舞台袖から登場しくるみ割り人形の「花のワルツ」を演奏、たちまち会場が華やかな雰囲気になった。

 花のワルツの次はレスピーギ作曲の「リュートのための古風な舞曲とアリア」のシチリアーノだったのだが、演奏前に、長調と短調の解説を実例を挙げながら解説された。シチリアーノは短調の例として挙げられたのだが、曲の中での和音進行が長調になったり短調になったりと揺らぎがあるという話もされた。イタリアのシチリア半島が起源でためらいがちにたゆとう曲想と付点リズムが印象的、なるほど勉強になった!有難い♪

ゆったりと哀愁の感じられるシチリアーノ、和音の表情の変化が手に取るように感じられた。

次はカッチーニ作曲と言われる「アヴェ・マリア」。らららクラシックでも演奏されていたのを思い出した。作曲者は実はカッチーニではなくて本当はリュート奏者のヴァヴィロフだということだが、ヴァヴィロフは自分の名前を伏せていたとのこと、おかげですっかりカッチーニ作曲と伝わってしまい、加羽沢さんもずっとそのようにとらえられていたとのことだが、最も好きなアヴェ・マリアだと言われていた。舞台いっぱいに、天から舞い降りたような演奏が広がっていた。

次は加羽沢さんご本人作曲による24のプレリュードから第13番「変拍子の踊り」、第18番「炎の舞」。24のプレリュードはショパンのプレリュードに習い、24ある調性をすべて用いたという。第13番、4分の5拍子や4分の7拍子、独特の拍子感が印象的だった。第18番、西洋音楽のルールから自由になった5度の音程が印象的、音がはじけ、エネルギーが感じられた。

その後、観客からリクエストを募られた。リクエストに出てきた曲をその場でアレンジしてメドレーにするとのこと、コンサートでもされていたという。神田川、イエスタディ、美女と野獣、ミッキーマウスというリクエストが出た。しんみりした曲から華やいだ曲へ、どのようにアレンジし、どのように曲と曲との間をつなげられるのだろう。考えただけでも難しそうな気がしたのだが、加羽沢さんは魔法使いのように、すべての曲をまるでもともとピアノ曲として存在したかのようにアレンジし、繋ぎの部分もエレガントに繋げられ、そのときその場で誕生したてのほやほやのリクエストメドレーを披露された。すごいなあとため息をついていたら、本人も自分のことを茶目っ気ありながらも「天才ですから」と言われていた。自信をお持ちだったのだ、けれどもまさにそのお言葉通り、演奏で裏付けもなさっているし、ただただ感嘆するばかりだった。

 ボロディン作曲のだったん人の踊りがプログラム最後の曲。科学者でもあり、日曜日の作曲家だったと言われるボロディンによる優美でうっとりするようなバレエ音楽、さらに優美に、そしてさらにきらきらと華麗なアレンジと演奏で、会場を夢の世界へと誘ってくれた。

アンコールに新潟への想いを込めた即興の音楽を演奏されて幕を閉じた。

 それにしてもお話たっぷり演奏たっぷり、そして想像を越えてエネルギッシュでハイテンション、作曲家兼ピアニストとして活躍するために乗り越えられたものも数多くおありだっただろう。演奏と共に、潔く逞しい生きざまにも心打たれるものがあった。

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イタリア協奏曲第1楽章 その1

2017-05-07 | ピアノ、音楽

 お久しぶりです。ゴールデンウィークいかが過ごされましたか? 私はあちこち、東に西に、出かけ、音楽も沢山聴きました。しかし休み中に記録を書こうという気持ちになれなくて、今日にいたりました。今、日曜日夕方の番組、サザエさんが始まったような気分です。とはいえ、記録は、思い出したころに、ひょいと書くかもしれません。休みの最中よりも、普通の慌ただしい日常生活の中でこそ、思い出を思い出すということがあってもよいかもしれない、という思いもあり。。。(と言いながら書かずじまいでしたらごめんなさい)  

 今から日常に戻るべく、バッハ作曲イタリア協奏曲の練習過程の記録、再開します。その後の文章は、普通体で書きます。    

 イタリア協奏曲第1楽章、なんとなく弾けているような気がしていたのだが、録音すると所々に盲点が。。。  

 下の楽譜、129小節目からのキラキラが魅力的な部分。その部分から139小節目のテーマに戻るまでの移行部である。135~138小節目が問題の個所。水色で囲んだ、135小節目と137小節目のトリルの部分、尻切れトンボに弾いて、次の小節に早く持っていきたいという思いが見え見えだったのだ。

 水色の囲みの上に書いた通り、「ここのトリル最後までしっかり弾こう」ということを守りさえすれば、トリル尻切れトンボ状態にはならないと楽譜を見ただけでは思えるのだが、事態はそう甘くない。実は左手の赤で囲んだ部分、例えば135小節目、「レミファソミファレミソド」が「レミファーソミーファレーミソド」と粒が不ぞろい拍感ゼロという不安定な状態になりやすいのだった。そこで「ソミファレミソ」のトレモロの部分、「ソミ」「ファレ」「ミソド」と和音にして、バランスを取るように心がけてみたら、弾きやすくなったが、136小節目の導入部で右手の「シ♭ソ」と左手の「ミソ」をぴしっと揃えるのがもう一つのハードル。なかなか手ごわい箇所。

 このような箇所が確実に弾けるようになるためには、指の支えをしっかりさせようと思うようになりやすい、そこまでは良いのだが、ひょっとしたら、悪名高いと言われる、ハイフィンガー奏法に近づいていないだろうかという懸念もある。その懸念もあるからか、全体的に、重くならないように、心がけてはいるのだけどはてさて?

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