いろはにぴあの(Ver.4)

音楽、ピアノ、自然大好き!

渡邊智道氏 ピアノリサイタル於横浜 

2024-04-28 | ピアノ、音楽

 昨日は渡邊智道氏によるピアノリサイタルに行ってきた。横浜を拠点にして以来二度目の彼の演奏会だった。

 演奏会の始まりの言葉が「寒くないですか?」そして会場には笑いが。その後、作曲家たちは自分の精魂を込めてこれらの作っているが、おそらくこのような形の演奏会で消化され演奏されることは想定していないと思う、しかし、このような演奏会という形で演奏することで、聴き手の人たちが音楽を聴いて勇気づけられたらいいなと思ったと話されていたのも印象的だった。

 プログラム

夜想曲遺作嬰ハ短調 ショパン作曲

エオリアン・ハープ ショパン作曲

水の精 ラヴェル作曲

前奏曲 作品16-1 スクリアビン作曲

歌曲”さあ持ってゆけ、この唇を” クィルター作曲渡邊編曲

歌曲”今、深紅の花びらは眠り” クィルター作曲ハフ編曲

鐘(おとぎ話作品20-2) メトネル作曲

歌曲”沙羅の花” 渡邊智道作曲

 休憩

前奏曲 作品23-4 ラフマニノフ作曲

前奏曲 作品32-4 ラフマニノフ作曲

夜想曲 第17番 ロ長調 ショパン作曲

夜想曲 第18番 ホ長調 ショパン作曲

朧月夜 岡野貞一作曲 高野辰之編曲

メフィスト・ワルツ第1番 リスト作曲

 ショパン作曲夜想曲遺作、リズムをほんのりと揺らしていたところが香り高くロマンチックな、そして演奏者本人にとってもかけがえのない作品であるエオリアン・ハープ、この曲のゆるやかな光と輝きが一層深みを増して感じられた。ラヴェル作曲水の精、広い会場で妖精たちが飛翔するような映像が見えた。

 スクリアビン作曲前奏曲作品16-1からクィルターの歌曲二曲の流れ、私が素敵だなあと感じた流れのひとつだった。スクリアビンの夢見るような慈愛に満ちた前奏曲でうっとりした後クィルターの愛にあふれる二曲に包み込まれた瞬間の幸福感。クィルターの二曲、ホールで聴いたら色彩が濃く輝きが艶やかに増していたような気がした。

 そしてメトネル作曲「鐘」この作品は「鐘の”歌”もしくは”おとぎ話”、だが鐘の音ではない」と演奏前に語った渡邊氏、その後にやってくる音楽に対してただならぬ予感がしたのだが、その予感がいい意味で大的中!その後に繰り広げられた世界は不協和音が次から次へと湧き出てうねるように続きどろどろうねうねとした魔界のような世界、この圧倒的におどろおどろしい感覚はなかなか一言で言い表せるものではなく内心なんだこれはと思いながらもぐいぐいと世界に引き摺り込まれた。取り組まれたことのある方から話をうかがったのだが、演奏、非常に、難しいらしい。

 鐘でとことんどろどろした世界に埋め尽くされた後に芥川龍之介の詩を基にした本人作曲の「沙羅の花」で一気に浄化、飛翔、そして昇天、第一部の終わりとして、まことに美しいしめくくりだった。

 後半はラフマニノフ作曲作品23と32の練習曲からそれぞれ4番から始まった。作品23の4はゆったりとした抒情的なメロディーが徐々に絡み合い盛り上がり究極の境地にいたるという作品、私も演奏したことがあるのだけど聴くよりも演奏がはるかに大変という作品なのだった。渡邊氏の演奏はこの曲の抒情性と輝きの味わいをしっかりと緻密に表していた。こんなに弾いてもらえたらラフマニノフも幸せだろうなと思えた。

 そして作品32-4、私は今までこの作品に対して難解でとっつきづらそうな印象を抱いていた。演奏会でもあまり演奏されることがないとのことだけど、確かに地味そうだしな、と思っていた。しかし、昨日の渡邊しの演奏を聴いて、その先入観がいっきに覆された。怒涛のように下降が続く和音の連続があんなに狂気を感じるものだったとは!そして難解そうに思えていた場面転換もここでこうだからこうなるのか!と腑に落ちそうな心境になっていた。こんなにすごい作品だったのか、今までわかりにくい曲だと思い心にも留めていなくて本当にごめんよと言いたくなった。確かにわかりやすい曲ではないと思うけれど、絶対に地味ではない、むしろラフマニノフの魂が込められた作品なのではと思うようになった。

 ショパン作曲の夜想曲第17番と第18番、ショパンの後期の作品、大好きな二曲、慈愛に満ちたショパンの生涯に思いを馳せながら演奏を聴く。今まで私も何度も聴いてきたはずの二曲だけれども、作品に寄り添い魅力を緻密に伝えたと思える演奏に、涙腺がゆるくなっていた。

 そして朧月夜でほっこりと。。。ピアノによる朧月夜もいいものだとしみじみ。

 朧月夜でほっこりした後一気にメフィストワルツで魔界の世界へと再び。ぞくぞくしながらも、なんと解像度の高い演奏だろうと感じ入りながら聴いていた。

 そしてアンコールは、バッハ作曲「主よ人の望みの喜びよ」何度も聴いてきたこの曲の演奏も、昨日は一層重みと輝きが増して感じられた。

 私にとってはなんだか久しぶりに感じた何とも言えない余韻と充足感、感想を咀嚼し、この記憶を長文でも残しておこうと思ってブログに書いたのだけど、久しぶりに書いたので言葉足らずの至らぬ文章になっているかもしれない。ブログは編集もできるので、その後しれっと訂正、編集するかもしれないけれど、いったん本投稿の記事は〆にしたいと思う。

 


ただ今のピアノ状況

2022-07-24 | ピアノ、音楽

 恥ずかしながら、いまいちだな。昨日オンライン配信イベントで、春から弾き続けている2曲を弾いたのだけれど、すっかりかちこち、こんなに緊張しちゃってどうするのという状態になってしまった。心当る原因、ある。八月予定の本番は休暇に入って数日経過後!非常に幸いな話である。モチベーションはそれなりにあるはず、しっかり取り戻したい。


反田恭平氏 ピアノリサイタル2022

2022-07-24 | ピアノ、音楽

 音楽家として自立して生きるとともに、オーケストラを作ったりして他の音楽家たちにも貢献する、そのようなスケールの大きいことを成し遂げているばかりでなく、2021年のショパン国際コンクールでも2位という成績を残した反田恭平氏、多彩な活躍に目を見張るばかり。生演奏を久しぶりに(5年前に富山で聴きました)聴いてみようと思い申し込んだところ当選、足を運ぶことにした。

<プログラム前半>

ショパン作曲 マズルカ風ロンドヘ長調 作品5

ショパン作曲 バラード第2番ヘ長調 作品38

ショパン作曲 3つのマズルカ 作品56-1、2、3

ショパン作曲 ラルゴ変ホ長調 B.109

ショパン作曲 ポロネーズ第6番変イ長調「英雄」作品53

<プログラム後半>

シューベルト作曲 ピアノソナタ第20番イ長調 D.959

<アンコール>

ショパン作曲 プレリュード 第25番 嬰ハ短調 作品45

ブラームス作曲 6つのピアノ小品  作品108-1、2、6

 前半のショパンプログラムではショパンコンクールを思い出すひとときに。大好きなマズルカOp.56、すっかり幻想の世界へと誘われた。第3次予選では本人は納得できない演奏だったとのことだが、この曲に対する思い入れの強さが伝わってきた。そして彼の演奏を通じて初めて知ったラルゴ。ポーランドへの愛がこもったこの曲、多彩な表情が感じられ新たな発見のひと時となった。

 個人的には後半のシューベルト作曲ピアノソナタ第20番が心に残った。晩年に作られたこの曲、堂々たる始まりでありながらどことなく不穏な響きも印象的な第1楽章からただならぬ雰囲気が。そして寂しさの極致とも思える第2楽章。暗さがたまらないと思っていたら激しい展開でぞくぞく。不安で落ち着かない雰囲気の第1~3楽章から一転、美しく忘れがたき主題が。。。すがすがしく温かい余韻が残った。

 アンコールのブラームス作品108からも感じたのだが、ドイツ系プログラムに新境地を見出しているように思えた。居住の拠点をポーランドからウィーンに移し始めているとのことだ。今回聴くことが出来なかった、ブラームス作曲ブゾーニ編曲の11のコラール前奏曲より「一輪のバラが咲いて」Op.122-8も機会があれば聴いてみたいと思った。


ピアノと他の楽器

2022-07-18 | ピアノ、音楽

 私が演奏できる楽器はピアノだけなのだけど、他の楽器が出来たら楽しいだろうなと思うことがある。子供の頃はフルートがやりたかった。しかしブラスバンド部に入りそびれた上にピアノもさぼりだし、フルートをやりたいということ自体がわがままだと言われる状況にまでもっていってしまった。そして実際に冷めてしまう。その後ピアノ再開熱がわいてきた時はピアノ一本だけで存分に幸せだと思うようになっていた。しかし、ピアノの演奏にも弦楽器的な視点を持つことが必要だということが分かり、ヴァイオリンやチェロが出来るようになったらいいだろうなと思うようになったのだが、これらの楽器の習得の大変さを想像したらまたまたとんでもない話だと思えてきた。

 そして今度はギターに憧れ始めた。あの弦を自分の指でじかに鳴らすからこその温かみ、そしてピアノと同じく伴奏も演奏できるという幅広さ、堅苦しくなさそうな雰囲気に憧れ始めたのだが、ピアノとギター、特にクラシックギターの両立は指の使い方などの面で難しいとのこと。切ないけれども、納得。ギターは聴く専門に。

 両立は保留ですかね。

 


内藤晃氏ピアノコンサート ワルツとロマン

2022-07-18 | ピアノ、音楽

 ワルツ、この三拍子の音楽のおかげでいかに気持ちが晴れ救われることが多かったか。19世紀のヨーロッパでは疫病流行時にワルツの名曲が誕生し疲れきった人々の心の憂さ晴らしの娯楽になっていたという。ウイルスの流行や不穏な事件など混沌たる現在にもワルツには人々の心を鼓舞する効能はあるに違いない、そのような思いがこめられた本プログラム、非常に楽しみにしながら聴いた。会場は高崎市のアトリエ・ミストラル、ピアノは1905年製のプレイエル3bisだった。

 演奏は休憩なし、曲間の拍手もなしで約70分間続けて行われた。ピアノ曲が原曲のものもあれば、歌曲、交響詩の原曲を内藤氏がピアノ用に編曲したものもあり充実した内容になっていた。

<プログラム>

R.ジーツィンスキー作曲 内藤氏編曲 ウィーン、わが夢の街

F.シューベルト作曲 初めてのワルツ集

R.シューマン作曲 蝶々Op.2

F.ショパン作曲 ワルツイ短調Op.34-2

F.プーランク作曲 内藤氏編曲 愛の小径

F.ショパン作曲 ワルツ嬰ハ短調Op.64-2

C.ドビュッシー作曲 レントより遅く

F.クライスラー作曲 C.ラフマニノフ編曲 愛のかなしみ

リヒャルト・シュトラウス作曲 内藤氏編曲 オペラ《ばらの騎士》Op.59よりワルツ

F.リスト作曲 ウィーンの夜会(シューベルトのワルツ・カプリス)第6番S.427-6

M.ラヴェル作曲 高雅で感傷的なワルツ

<アンコール>

P.チャイコフスキー作曲 四季 12月「クリスマス」

 ウィーン、わが夢の街で早速20世紀前半のウィーンにタイムスリップ、夢と憧れとともに幕開け。シューベルトの愛しさに溢れたワルツから二面性が感じられるシューマンの蝶々へ。一曲の中に対照的なキャラクターが共存し、場面変化の振れ幅の大きさと多彩な表情に釘付けになった。その合間にショパンの短調のワルツ2曲、哀愁と郷愁が伝わってきた。その間のプーランク作曲愛の小径の悲しみから温かな光がさす世界の存在感、世の中捨てたものではないと言われているような気がしてきた。

 ドビュッシーのレントより遅くのぞくぞくする洒落た響きにうっとり。アイロニカルなまなざしで作曲されたということだがとても美しくてうっとりした。クライスラー作曲ラフマニノフ編曲の愛のかなしみ、有名な原曲にラフマニノフの編曲のおかげで陰影がさらに加わりドラマチックに。リヒャルト・シュトラウスのばらの騎士のワルツ、ピアノによるオーケストラの響きの再現、細部まで心配られていてまるで目の前にオーケストラが浮かび上がったかのように思えた。リストのウィーンの夜会でワルツならではの懐かしさ愛おしさを堪能し、ラヴェルの高雅で感傷的なワルツの、半音階、妙なる響きの和音、きらきら感がちりばめられた世界で夢の締めくくり。ラヴェルのワルツの終曲のそれまでの各曲の断片が幻のように登場するシーン、余韻が印象的だった。

 アンコールはチャイコフスキー四季より12月「クリスマス」夢にあふれた愛らしい曲だけれどもワルツだということをうっかり忘れていた。色々辛いこともあるけれどこんなに美しく素敵な世界がある、希望をもって生きていこうと励まされているような気がした。

 20世紀初頭のプレイエルのノスタルジックな音色にこれらのワルツはぴったりだったと思う。ロマンチックな夢に浸ることが出来た幸せな70分間だった。