
ジプシー、あるいはロマと聞いて、どんなことを思い浮かべるだろうか?
幌馬車を駆って、国から国へとさすらいながら旅してゆく人々。音楽や舞踊に独特の才能を発揮し、あらゆる法律や枷を嫌う、束縛されない民……けれど、彼らが辿った道は、過酷であり悲劇的であったとも思う。
といっても、個人的にはジプシーの歴史についてなどほとんど知らなくて、イタリアやポルトガルで道の雑踏の中、彼らの姿をちらと見たにすぎない。ただ、ジプシーの血をひくらしい女性の歌声を、夜の灯が照らす、ほの暗い店の片隅で聞いた時、その哀切なメロディーに、胸をかきむしられるような心地がしたのは、今もはっきり覚えているのだけど…。
この映画は、ジプシー初の女流詩人とされ、みずみずしい詩を生み出しながら、一族の禁忌を破ったため、ジプシーの群れを追われた女性の物語だ。ジプシーは、元来書き文字をもたず、その生活習慣も門外不出の秘密とされ、長い間独特の風習をたもってきた。けれど、そうした一族に生まれたはずの少女――パプーシャ(人形という意味)は、幼い頃から、言葉に魅せられ、こっそり文字を習い覚える。
そうして、書かれた詩。それは、何と美しいものだったろう。人の心に食いいってくるほどの力を持ちながら、森と自然と、ジプシーの命の火が見えかくれしているようだ。パプーシャが生まれ、育ったのは、ポーランドであり、その政情と彼らジプシーの運命が、複雑に交差する。戦前は、流浪の民として、なかば放置されていた彼らに、戦後「ジプシー定住生活」の政策が下される。年の離れた音楽家と結婚したパプーシャの心に燃え続けた詩人の魂。その才能を見抜いたのが、彼らジプシーの仲間に、しばし身を寄せいていた詩人イェジであった。
後に彼女が、イェジに送った詩が、世間に彼女の才能を知らしめ、彼女自身の運命を悲惨なものにしていくのだが、彼女がどうしてこんな目にあわねばならなかったのだろう? イェジが、500年以上もの間、知られていなかったジプシーの生活を本に著述することは、歴史に消えていくだけだったジプシーの姿を明らかにすることだった。パプーシャも「ジプシーには、歴史がないわ。文字がないのだから」と言っている通り、貴重な本になったはず――なのだが、自分たちの掟を守り続けるジプシー達にとっては許しがたいことであった。
よって、移住したローマで、パプーシャと彼女の夫は、貧しく、訪れる者もない生活を余儀なくされる。こうしたつらい、悲劇的な人生だったからこそ、パプーシャの詩は、心震わせられるほど美しく、涙を流させるのだろう。
「すべてのジプシーよ
私のもとへおいで
走っておいで
大きな焚き火が輝く森へ」
パプーシャのすべての詩を読んでみたい、と思う。