ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

星々たち

2019-10-05 10:03:38 | 本のレビュー

  

桜木紫乃「星々たち」(実業之日本社)を読む。とっても、面白い!

何年か前、直木賞を受賞し、一躍知られることとなった桜木さんなのだけれど、私がその著作を読んだのは比較的最近。

しかし、その文章の素晴らしさ・鮮やかさにすっかり瞠目してしまったのだ――これは、凡百の作家とは違う……。

作品のほとんどは、桜木さんの生まれ育った北海道を舞台にしており、その北の大地に生きる人間たちの生態を描いている。それは、平凡というにも程遠く、通常の幸福から切り離された過酷な人生といっていい。だが、そのざらつくような質感が、鮮烈な言葉で描きだされた時、そこには小説を越えた、一個の人間ともいうべきものが立ち上がってくる。

そんな風に、桜木さんの作品を捉えていた私だけれど、この「星々たち」は、塚本千春という女性をメインに、彼女の周囲の人々の物語を通して、その姿をプリズムのように浮かび上がらせるという構成になっている。

シングルマザーの母親は、千春を置いて逃げるし、千春自身、二度離婚し、文章を書いてみたりするものの、交通事故に遭い、ひどい怪我を追う、といった惨憺たる人生を生きる女性の記録だ。

物語の終盤、ボロボロの姿で、山あいのバス停留所に立つ千春を、元編集者だった男性が見つけ、しばらく家で休ませてやるエピソードがあるのだが、ここで千春は「すみません。怪我した顔から、今でもガラス片が出て来るんです」と言う。

そして、彼女は鏡を見ながら、顔に刺さったガラスを取るのだが、それが、手の中でキラリと光る。こんなことが本当にあるのか……この描写一つ取っても、奇妙なリアリティが立ちこめていて、頁を繰る手がやめられなかったほどである。

千春は、元編集者に、「別れてしまった母が、東部の町にいると聞いたもので、そこを訪ねてみるつもりです」といい、バス停で別れる。

そこで、千春は作品からも消えるが、不思議に悲壮感はない。荒々しい風の向かう大地を、すっくと胸を張って歩いてゆくような潔さである。

元編集者は、千春から聞いた、彼女の人生の物語を、一篇の作品として描く。本となったそれを、今は司書となった千春の娘、やや子が図書館に入った新刊として手に取る。

やや子は、その表紙のカバーに描かれた星空に心惹かれるものを感じる。「『星々たち』、青いカバーに記された銀色のタイトルをつぶやきながら、満天の星空を思い浮かべた。やや子の胸の内側で、星はどれも等しく、それぞれの場所で光る。いくつかは流れ、そしていくつかは消える。消えた星にも、輝き続けた日々がある。 昨日より、呼吸が楽になっていた。自分もまたちいさな星のひとつ――。

やや子には表紙カバーの青色が明るい夜空に見えた。頼りない気泡のような星たちを繋げてゆくと、女の像が浮かび上がる。誰も彼も、命ある星だった。夜空に瞬く、名もない星たちだった――。」

この最後の文章――実に素晴らしい!  余韻とは、こういうものを言うのではなかろうか。

 

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