「海うそ」梨木香歩著。岩波書店。
ファンである作家梨木香歩の新作。この間、図書館で借りてきたのだが、外のことにかまけていて、読んだのは大分たってから。
ストーリーを扉のページから抜き出してみると、「昭和の初め、人文地理学の研究者、秋野は南九州の遅島へ赴く。かつて修験道の霊山があったその島は、豊かで変化に富んだ自然の中に、無残にかき消された人々の祈りの跡を抱いて、彼の心をとらえて離さない。そして、地図に残された『海うそ』という言葉・・・・五十年後、不思議な縁に導かれ、秋野は再び島を訪れる――。幾つもの喪失を越えて、秋野が辿りついた真実とは」というもの。
かのように地味なストーリーで、いかにも純文学の香りがするものだが、意外に素晴らしく面白かった。一気に一日で読了してしまったほど。
まず、舞台となる遅島の風景描写が素晴らしい。梨木香歩という作家は、どちらかというと理知的で構成力の見事な作品を作りだすことに長け、瑞々しい描写はあまり見られないのだが、ここでは南方の島の光と影がくっきり際立つ筆遣いだ。昭和の初めという時代には、僻地には工業も産業の手も伸びなかったに違いない。そうした隔絶した島の風土、濃密な緑の息吹がこちらにも感じ取れるほど。
秋野は、今でいうフィールドワークのように島の山や海岸を調査して回るのだが、この昭和の初めという遠い時代にあってさえ、島の人々がよりどころとしていた信仰は、かすかな痕跡を残すだけで、あとかたもなく消えてしまっていた。それは、いうなら沖縄のユタ信仰に似たもので、先祖の御託宣を述べるモノミミという宗教者がいたのだが、明治時代の廃仏毀釈は彼らを根こそぎにしたという。寺院を打ち壊し、その歴史を抹殺してしまうほどに。
この小説を読みながら、ふと思ったのだが、例えば十津川といった場所でも、仏教と神道をめぐって残酷な物語が繰り広げられたかもしれない。しかし、それはもうはるか昔の話であるのだ。
心残りを抱いて、遅島を去って五十年。縁あって、秋野が再び訪れた島は、何とレジャーランドに生まれ変わろうとしていた。あのきらめく山々も無残に削り取られ、かつて訪れた森の中の洋館もとうにない。そこでお茶を共に飲み交わした老人や、集落の人々も。島を案内してくれた青年は、戦死したという。
人々は移ろい、島を島たらしめていた精気も消滅していく――時間とは、生きてゆくとはそういうことかもしれない。
ファンである作家梨木香歩の新作。この間、図書館で借りてきたのだが、外のことにかまけていて、読んだのは大分たってから。
ストーリーを扉のページから抜き出してみると、「昭和の初め、人文地理学の研究者、秋野は南九州の遅島へ赴く。かつて修験道の霊山があったその島は、豊かで変化に富んだ自然の中に、無残にかき消された人々の祈りの跡を抱いて、彼の心をとらえて離さない。そして、地図に残された『海うそ』という言葉・・・・五十年後、不思議な縁に導かれ、秋野は再び島を訪れる――。幾つもの喪失を越えて、秋野が辿りついた真実とは」というもの。
かのように地味なストーリーで、いかにも純文学の香りがするものだが、意外に素晴らしく面白かった。一気に一日で読了してしまったほど。
まず、舞台となる遅島の風景描写が素晴らしい。梨木香歩という作家は、どちらかというと理知的で構成力の見事な作品を作りだすことに長け、瑞々しい描写はあまり見られないのだが、ここでは南方の島の光と影がくっきり際立つ筆遣いだ。昭和の初めという時代には、僻地には工業も産業の手も伸びなかったに違いない。そうした隔絶した島の風土、濃密な緑の息吹がこちらにも感じ取れるほど。
秋野は、今でいうフィールドワークのように島の山や海岸を調査して回るのだが、この昭和の初めという遠い時代にあってさえ、島の人々がよりどころとしていた信仰は、かすかな痕跡を残すだけで、あとかたもなく消えてしまっていた。それは、いうなら沖縄のユタ信仰に似たもので、先祖の御託宣を述べるモノミミという宗教者がいたのだが、明治時代の廃仏毀釈は彼らを根こそぎにしたという。寺院を打ち壊し、その歴史を抹殺してしまうほどに。
この小説を読みながら、ふと思ったのだが、例えば十津川といった場所でも、仏教と神道をめぐって残酷な物語が繰り広げられたかもしれない。しかし、それはもうはるか昔の話であるのだ。
心残りを抱いて、遅島を去って五十年。縁あって、秋野が再び訪れた島は、何とレジャーランドに生まれ変わろうとしていた。あのきらめく山々も無残に削り取られ、かつて訪れた森の中の洋館もとうにない。そこでお茶を共に飲み交わした老人や、集落の人々も。島を案内してくれた青年は、戦死したという。
人々は移ろい、島を島たらしめていた精気も消滅していく――時間とは、生きてゆくとはそういうことかもしれない。