【隠されたウラルの核惨事】
1957年のマヤーク核施設で起きたタンク爆発事故
は、86年のチェルノブイリ原発事故が発生するま
で、旧ソ連で最大の放射能汚染事故だったがソ連
ではすべてが秘密にされた。
核開発でソ連をリードする米国の中央情報局(CI
A)は、59年にこの事故を知った。しかし、57年
に英国ウィンズケール(現セラフィールド)で起
きた軍事用原子炉の大事故や米国内の核工場での
事故などもあり「自国の核開発の足かせになって
は」と米政府も秘密を保った。
「ウラルの核惨事」「キシュティムの事故」とし
て世界に知られるようになったのは76年。英国に
亡命したソ連の生物学者ジョレス・メドベージェ
フ博士が、科学雑誌に暴露したのがきっかけであ
る。ソ連政府は89年、ペレストロイカが進む中で、
ようやく正式に事故を認めた。
事故では従業員や住民被害のほかに、マヤーク敷
地内の除染作業などに従事した、全国各地から招
集の兵士2万人以上も被曝した。
マヤーク核施設は67年にも、約22テラベクレル相
当の放射性物質を大気中に放出する事故を起こし
た。この事故で千八百平方㌔㍍以上の農地などを
汚染。63の町や村の約41,000に影響を与えた。
「世界最悪の放射能汚染湖」とされる敷地内のカ
ラチャイ湖が乾燥し、四~五月の強い風にあおら
れて、表面の汚泥が飛び散ったためだ。広さ0.51
km2、深さ数㍍。その小さな湖に 51年から放射性
廃液を投棄。放射能量は、半減期30年のセシウム
137などを中心に四百五十万テラベクレル以上。
チェルノブイリ原発事故時の 2.4倍に当たる。
カラチャイ湖は、67年の事故を契機に表面を石や
土などで埋め、今では表面積はわずか0.15㎞2 が、
今も放射性廃液の投棄が続くが、地下水の汚がす
でにマヤークの敷地外に広がっているとも言われ
ているが本当のところは分からない。
【エピソード】
【脚注及びリンク】
--------------------------------------------
(1)「日本原子力研究開発機構」
(2)「日本の原子力発電所」
(3)「放射性物質による環境汚染予防に向けて」
(4)「地域防災計画データベース:消防庁防災課」
(5)「放射性廃棄物重要基礎技術研究調査」
(6)「ウラル核惨事」
(7)「ロシア連邦の再処理施設」
--------------------------------------------
同じく人災で自然が破壊されたのは一緒ですが、核の遺産ではなく、灌漑事業の失敗によるものです。