昨日、TRT療法を受けるため、大手前病院へ行った。
2ヶ月に一度の割合で通っている。
いつものように2階の言語視聴覚療法室の前の長椅子に腰掛けていると、予約時間の9時半きっかりに、名前を呼ばれ、部屋に入った。
「変わりは、ありませんか…?」 と、○○先生が親しげに語りかけてくれる。
耳鳴り自体は、おおざっぱに言えば変わりはない。
相も変わらずうるさいことである。
ただ、細かいことを言うと、音が大きくてイヤだなぁと思う時と、あれ?と思うほど音の小さな時が、交互にやってくる頻度が、少しだけ高くなってきたように思う。 耳鳴りが微妙に変化を見せ始めた、とも言える。 で、それが結局いいのか悪いのか…となると、まあ悪くはない、と思っている。
今年になってから生活のリズムがやや整いはじめ、毎日忙しくなったことが、耳鳴りに関してはプラスに作用しているのだろう。 バタバタしている時、物事に熱中している時が多くなり、そんな時は耳鳴りを忘れることが多い。 朝、このブログを書くのに集中している時も、意識しないと耳鳴りは響いてこない。 ただ、ぼんやり時を過ごしていると、その耳鳴り音は、以前より大きくなったのではないかと思うほど、高く、鋭く、頭の芯に響く。
でも、先生から 「変わりはありませんか…?」 と訊かれると、さほど大きな変化はありません、と答えるよりほかない。 それより、今回は変化…ではなく、変事があった。
「実は、TCI (耳鳴り治療器具) を失くしてしまったのです」 と報告した。
「えっ、失くしたのですか…?」 と、先生が言うか言わないうちに、
「いえ、まあ半月後に、パソコンの裏側のコードにしがみつくようにして、ほこりを被っていたのを発見して、なんとか事なきを得ましたが…」 と僕は言葉を続けた。
TCIがもう出てこないと諦めたとき、よ~し、今後再購入はせず、これを使わずに生活しよう…といったんは覚悟しかけたけれど、やはり、日がたつにつれ、TCIがないと不安が増大してきた。
しかし、TCIなしで暮らした半月間は、いろいろな意味で良い教訓になった。 耳鳴りに対してちょっと強気の姿勢が芽生えてきたことや、TCIを付けないことに慣れてきたこと…などが、「TCI失踪事件」 の思わぬ効果であった、というところか。
そういうことを、先生に報告した。
そのあと、耳鳴り音量・音質の検査をした。
ラッパ状の大きな吸盤のようなものを耳にあて、流れてくる耳鳴りそっくりの音を聞く。
「音の高さはこれぐらいですか…?」 と、先生が機械を操作する。
「あ、そうですね。 それぐらいです」 と僕が答える。
「音の大きさはどうですか…?」
「え~っと…」 ラッパ状から耳を離す。
聞こえてくるのが機械の音なのか自分の耳鳴り音なのか、よくわからない。
「う~ん。 機械の音のほうが大きいです」
「これで、どうですか…?」 と、先生は音量を少ししぼる。
「あ、もう耳鳴りの音しか聞こえません」
こんなふうな検査で、耳鳴りの音の強さや高さが特定される。
検査の次は、yukari さんのことが話題に上った。
「yukari さんのお父さんのお具合はどうですか…?」 と、
病気療養中のお父さんのことを気にかけておられるようで、毎回、僕に尋ねられる。
「yukari さんは看病に明け暮れておられ、お忙しいようです」
「yukari さんはふだんはTCIを付けておられませんが、ないとやはり不安だとのことです」
…というようなことを、先生に伝えた。
メールを通じて知りえたyukari さんの情報は、なるべく先生に伝えておいたほうがいいだろう、と思った。 yukari さんご自身も、一度先生にご挨拶と経過報告に行きたい、という意向を持っておられるので、そのことも付け加えた。
次回のTRT療法は3月17日と決まったが、先生がパラパラと予約ノートをめくっておられたのを見ると、そこにはぎっしりと名前が書き込まれていた。 1月はほとんど予約が満杯だ。
「予約、ぎっしりと詰まっていますね~」 と僕が言うと、
「そうですね。 多いですね」 と先生。
「しかし、それはみんな耳鳴りの患者さんですか…?」 と訊くと、先生は首を横にふり、
「いぃえ、8割から9割までが、補聴器に関することです」
つまり、耳が鳴るのではなく、耳が聞こえにくい人たちが大半、というわけだ。
そりゃそうだろうな。 これだけの人たちが耳鳴りで治療やカウンセリングを受けているのなら、もっともっと、耳鳴りに対する医療は進んでいるはずだ。 やはり、耳鳴りはごく少数派なのである。
TCIの先っぽの部分を新品と交換してもらい、
なくなりかけていた電池も入れ替えてもらった。
「ではまた次回に」
「はい。 ではまたよろしくお願いします。 失礼しま~す」
こうして2ヶ月に一度のTRT療法が終わり、
僕はすっきりした気分で言語視聴覚療法室をあとにした。