ともちゃんの のんびり登山教室

分県登山ガイド「大阪府の山」(山と渓谷社)著者の岡田知子が
ご案内する登山教室。
のんびり、ゆるゆると山に登ります。

2014年3月22日 湖南・繖山 坂上田村麻呂、聖徳太子から近江商人まで 史跡見て歩き

2014-03-26 17:02:20 | 遊山の会(旧 週末日帰り登山教室)


8:30AMにJR能登川駅集合。朝早くてすみません。下山後の見学時間をなるべく
多く取りたかったもので。






先週下見に来た時に、ガイドブックの登山口から登ると城址を通らないことが分かり、
急きょ、駅から停留所3つ分バスに乗って、「佐生(さそ)」バス停付近の登山口
から登ることにしました。






城跡にはけっこう立派な石垣が残っています。六角氏の重臣後藤氏の城だったそうです。「近江の城
50選
」にも選ばれています。







武将になったつもりで(?!)ちょっと偉そうなポーズ。







北向十一面観音までは、うんざりするほどの階段を登らなければなりません。心を無にして
一歩一歩・・・。







到着!眼下に広がる眺めがご褒美です。奈良時代に安置されたといわれ、平安時代には坂上田村麻呂が
東国平定のためにこの岩屋にこもり、観音に祈願したとも伝わります。岩にひっつくように建てられた
お堂の中に、岩をくりぬいて安置された観音像があります。







すぐ上が猪子山の頂上。山名表示板に、年賀状に使えそうなかわいいイノシシが彫られています。







途中、古墳(石棺?)らしきものもあります。






雨宮龍神社に到着。








車も入れない山の上にあり、祠も小さいのに、細工はとても立派なのに驚かされます。







「マツボックリ?」「いや、マツじゃなくてマキの木です。」「じゃ、マキボックリ???」







地獄越えという名前の峠まで下りてきました。恐ろしげな名前は、信長が観音寺城を攻めた際、多くの敗走者が
転倒して亡くなったり怪我をしたことからついたとか。







おやつを食べ、ちょっと力をつけてから、再度登ります。「せっかく下ったのに、また登るの~?」







前日に雪が降ったらしく、ところどころ白く残っていましたが、それでも春は来ていて、アセビの花が
満開で出迎えてくれました。







2001年に山火事があり、このあたり一帯が焼けてしまったそうです。10年以上たっても、まだこんな黒焦げの切り株が。







山火事のおかげで(?)視界を遮るものがなく、展望の良い稜線となっています。皮肉なものです。







繖山山頂に到着。ここでランチタイムを取りました。







下見したときに通った、五個荘町へダイレクトに下りる道は、狭くて急な丸太階段の連続です。
降雪後に滑りやすくなった状態で歩くには危険と判断し、観音正寺を経由して車道を下ることに
しました。観音寺城址でもあります。







西国三十三所観音霊場の第32番札所だそうです。観音正寺の山号が「繖山」なんですね。聖徳太子が
人魚に哀願されて建立したといわれています。人魚のミイラといわれるものもあったそうですが、
1993年の火事で本堂や観音像とともに焼失したそうです。新しい本堂は2004年に再建されたばかり。
新しいご本尊「千手千眼観音菩薩坐像」は、珍しい白檀の坐像です。








夫婦で阿形と吽形をやってみました。







長ーい車道歩きで足が棒になる頃、やっと五個荘町に到着。水路のある古い町並みを散歩しました。







NHKドラマ「ごちそうさん」のロケに使われたそうです。







入館料の要る建物が多い中、ここだけは無料で見学できます。「金堂まちなみ保存交流館。」
この屋敷を最後に所有していた近江商人は、中江富十郎という方だそうです。朝鮮、満州、
中国で約20店舗もの百貨店を有する大資産家だったって。すごい!







中江家に伝わるお雛様。三頭身の幼児のような可愛らしいお姿。







中でコーヒーやしょうが湯を飲むこともできます。高い天井がすてき。
五個荘町の観光案内所「ぷらざ三方よし」からバスに乗って能登川駅に戻りました。
多くの方が両手にお土産物の袋を提げ、観光も楽しんでいただけたようです。

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