我が町の商店街の衰退ぶりは素晴らしい。
平日はおろか、週末でもほとんど人通りがない。
人の代わりに閑古鳥(かんこどり)という鳥が
買物カゴをぶら下げて闊歩している。
用事があってどうしても通らなければならない時は
買い物客より圧倒的に多い店員の、熱い視線を浴びる覚悟が必要だ。
注目されたい人にはおすすめの商店街である。
これでも10年ほど前までは、なんとか形を保っていた。
洋服ならここ、お菓子ならここ…そんな店がたくさんあり
地元はもちろん、近隣の町からも人が押し寄せた。
もっともらしい理由はいくつかある。
車中心の世の中になり、駅を利用する人が減った。
不況に加え、郊外に大型ショッピングセンターができて人の流れが変わった。
しかし、私は考える。
人間が一番の原因ではないかと。
時代もあろう、後継者問題もあろう
それでもこれを言っちゃあおしまいだが、そもそも欲が深い。
以前は毎年暑くなり始めると、毎週土曜日の夜には露店が出た。
夕涼みがてら買物…というわけで、家族連れを呼び込んだ。
そのアイデアは当たり、2年ほどは盛況であった。
しかし、商店街の人々はそれで満足しなかった。
毎週露天商を呼ぶより、自分たちでやったほうが儲かるのではないか…。
翌年から、小さい金魚しかいない金魚すくい
同じ模様しかない水風船などがこじんまりと並んだ。
こうこうと灯った白熱灯のもと
露天商の運んでくるどこか退廃的な雰囲気の魅力は失なわれたが
それでも、娯楽の少ない田舎町の人々は喜んだ。
そこで商店街は、翌年もっと大胆な案を打ち出した。
商店街で物を買う人だけ、優遇しよう…。
買わないと参加しにくい雰囲気にして、店の売り上げを伸ばそう…。
露店には来ても、店で買ってくれないと意味がない…。
買物の金額に応じて、金魚すくいや風船釣りのタダ券を配布。
券を持ってない人は実費。
これが、微妙に民衆の自尊心を揺さぶることに
恵まれて育った彼らは気付かなかった。
誇らしげに券を出す人は気分がよかろうが
毎週金魚ばかりすくっているわけにもいかず
券の無い人は、露店にも店にも二度と来ない。
芋を洗うような人混みだからこその勢いや活気を
主催者自らの手で握りつぶした。
人は、こういう器量の狭さには敏感なのだ。
このあたりから迷走が始まった。
さらに翌年から、同じ手間なら商店街で間に合う品物だけで
露店を運営しようということになる。
生ビールや焼き鳥など、商店街にある飲食店のメニューが主力となり
売れ残りの文房具やTシャツが並んだ。
もはや物好き、出好きしか寄りつかなくなってきた。
そこで商店街は、この行事をすっぱりやめた。
その頃には、各店の売り上げもかなり落ち込んでいた。
今度は各店が競い合うように、本業以外の商売に手を染め始めた。
本業の品物が欲しくて来店した客に
カツラ、宝石、毛皮…単価が高くて利益の太い、畑違いの商品を売りつける。
「行くととんでもない物をすすめられる…」
人々はそう言い合った。
飲食店のほうはどうかというと、こぞってゴルフを始めた。
料理屋の大将もスナックのママもみんなゴルフへ行き
帰りに自分の店に誘う。
少なくとも自分以外の3人は引っ張れる計算になる。
しかし店は当然ゴルフ仲間のたまり場と化し、一般客は来なくなる。
そうこうしているうちに、店主の高齢化で閉じられる店も増えてきた。
商店街は、なんとか活気を取り戻したいと
さまざまなイベントを企画してみたり
店の奥さんたちで作ったクッキーや
農家直送の野菜を販売したりと大奮闘。
しかし、いったん下り坂を転がり始めたものを
元に戻すのは容易ではない。
そこへ救世主現る。
シャッター通りを食い止めるべく、店舗を何軒か借りてくれた。
大がかりな改装もなく出来た店は
語尾にマッサージやデリバリーという単語のつく、よくわからない業種。
経営者…某組の方々。
こうして素晴らしい商店街は出来上がった。
しかしながら、一途に一筋に頑張ってきた店ももちろん存在する。
細々とではあるがしっかりと継続しているのは
なぜか商店街の振興活動に熱心でなかった店が多い。
数々の迷走ぶりは、焦りが生んだものなのかもしれない。
新しく出来た行列の出来るケーキ屋を横目に
クリスマスと誕生日くらいは、せめて商店街の店でケーキを買う。
闇にまぎれて、昔ながらの天丼を食べに行く。
どこで買っても同じ本なら、そこの書店に注文する。
今度は専門店でバッグを買ってみようかとも思う。
こうして協力しているつもりだが
私ごときが頑張ってみても、何の役にも立たない。
ここはいっそ、金の卵を生むニワトリのお腹を
欲にかられて開いてしまったモデル商店街として
「閑古鳥祭」など行ってみてはどうかと
また余計なことを考えては、一人ほくそ笑んでいる。
平日はおろか、週末でもほとんど人通りがない。
人の代わりに閑古鳥(かんこどり)という鳥が
買物カゴをぶら下げて闊歩している。
用事があってどうしても通らなければならない時は
買い物客より圧倒的に多い店員の、熱い視線を浴びる覚悟が必要だ。
注目されたい人にはおすすめの商店街である。
これでも10年ほど前までは、なんとか形を保っていた。
洋服ならここ、お菓子ならここ…そんな店がたくさんあり
地元はもちろん、近隣の町からも人が押し寄せた。
もっともらしい理由はいくつかある。
車中心の世の中になり、駅を利用する人が減った。
不況に加え、郊外に大型ショッピングセンターができて人の流れが変わった。
しかし、私は考える。
人間が一番の原因ではないかと。
時代もあろう、後継者問題もあろう
それでもこれを言っちゃあおしまいだが、そもそも欲が深い。
以前は毎年暑くなり始めると、毎週土曜日の夜には露店が出た。
夕涼みがてら買物…というわけで、家族連れを呼び込んだ。
そのアイデアは当たり、2年ほどは盛況であった。
しかし、商店街の人々はそれで満足しなかった。
毎週露天商を呼ぶより、自分たちでやったほうが儲かるのではないか…。
翌年から、小さい金魚しかいない金魚すくい
同じ模様しかない水風船などがこじんまりと並んだ。
こうこうと灯った白熱灯のもと
露天商の運んでくるどこか退廃的な雰囲気の魅力は失なわれたが
それでも、娯楽の少ない田舎町の人々は喜んだ。
そこで商店街は、翌年もっと大胆な案を打ち出した。
商店街で物を買う人だけ、優遇しよう…。
買わないと参加しにくい雰囲気にして、店の売り上げを伸ばそう…。
露店には来ても、店で買ってくれないと意味がない…。
買物の金額に応じて、金魚すくいや風船釣りのタダ券を配布。
券を持ってない人は実費。
これが、微妙に民衆の自尊心を揺さぶることに
恵まれて育った彼らは気付かなかった。
誇らしげに券を出す人は気分がよかろうが
毎週金魚ばかりすくっているわけにもいかず
券の無い人は、露店にも店にも二度と来ない。
芋を洗うような人混みだからこその勢いや活気を
主催者自らの手で握りつぶした。
人は、こういう器量の狭さには敏感なのだ。
このあたりから迷走が始まった。
さらに翌年から、同じ手間なら商店街で間に合う品物だけで
露店を運営しようということになる。
生ビールや焼き鳥など、商店街にある飲食店のメニューが主力となり
売れ残りの文房具やTシャツが並んだ。
もはや物好き、出好きしか寄りつかなくなってきた。
そこで商店街は、この行事をすっぱりやめた。
その頃には、各店の売り上げもかなり落ち込んでいた。
今度は各店が競い合うように、本業以外の商売に手を染め始めた。
本業の品物が欲しくて来店した客に
カツラ、宝石、毛皮…単価が高くて利益の太い、畑違いの商品を売りつける。
「行くととんでもない物をすすめられる…」
人々はそう言い合った。
飲食店のほうはどうかというと、こぞってゴルフを始めた。
料理屋の大将もスナックのママもみんなゴルフへ行き
帰りに自分の店に誘う。
少なくとも自分以外の3人は引っ張れる計算になる。
しかし店は当然ゴルフ仲間のたまり場と化し、一般客は来なくなる。
そうこうしているうちに、店主の高齢化で閉じられる店も増えてきた。
商店街は、なんとか活気を取り戻したいと
さまざまなイベントを企画してみたり
店の奥さんたちで作ったクッキーや
農家直送の野菜を販売したりと大奮闘。
しかし、いったん下り坂を転がり始めたものを
元に戻すのは容易ではない。
そこへ救世主現る。
シャッター通りを食い止めるべく、店舗を何軒か借りてくれた。
大がかりな改装もなく出来た店は
語尾にマッサージやデリバリーという単語のつく、よくわからない業種。
経営者…某組の方々。
こうして素晴らしい商店街は出来上がった。
しかしながら、一途に一筋に頑張ってきた店ももちろん存在する。
細々とではあるがしっかりと継続しているのは
なぜか商店街の振興活動に熱心でなかった店が多い。
数々の迷走ぶりは、焦りが生んだものなのかもしれない。
新しく出来た行列の出来るケーキ屋を横目に
クリスマスと誕生日くらいは、せめて商店街の店でケーキを買う。
闇にまぎれて、昔ながらの天丼を食べに行く。
どこで買っても同じ本なら、そこの書店に注文する。
今度は専門店でバッグを買ってみようかとも思う。
こうして協力しているつもりだが
私ごときが頑張ってみても、何の役にも立たない。
ここはいっそ、金の卵を生むニワトリのお腹を
欲にかられて開いてしまったモデル商店街として
「閑古鳥祭」など行ってみてはどうかと
また余計なことを考えては、一人ほくそ笑んでいる。