スピリチュアルという言葉が一般普及するずっと前
占いと霊能が流行した時期があった。
自分の現状が今ひとつ満足でない者は
我が身の至らなさに目をそむけ、こういうものに強い興味を示す。
私もまた例外ではなかった。
不倫を繰り返す夫との結婚生活は、今後どうなっていくのか…
離婚することで、この生き地獄から抜け出せるのか…
今を我慢さえすれば、幸せが隠れて待っているのか…
先のことが知りたければ、占いしか思いつかなかった。
書店で買った著書に感想を送ったら、自筆の返信が来たことをきっかけに
私は遠方の都会に住む占い師(細○さんではない)と懇意になった。
「先生」は、初老の女性であった。
勧められるまま、月に1~2度、新幹線で彼女の主宰する講座に通う。
私は占いを習って、占い師になろうとしていた。
占いそのものよりも、仕入れや支払いがいらず
長く続けられるところが魅力だった。
不審がる義父母を尻目に出歩くのも、小気味よかった。
講座の料金は、私にとって高額だ。
新幹線代と受講料で、一回6万は飛ぶ。
痛い出費ではあるが
私は痛み止めの麻薬を手に入れるような気持ちだった。
先生の弟子には、有名企業の社長夫人、テレビ局の重役夫人など
ちょっと普通でない金持ちが多かった。
田舎ではお目にかかれない宝石や衣装を見るのも楽しいが
本当の金持ちは決して自慢もしないし、心が清らかなことも知った。
彼女たちは占い師志望ではなく
お稽古ごとの一つとして、講座に参加している。
私のように幸せになりたいのではなく、すでに幸せなので
この幸せを持続させるために心を磨き
ご主人のビジネスのために、時流の流れを読むのが目的だ。
先生は講座が終わると、数人ずつ順番に弟子を占ってくれる。
その頃はすでに、一般のお客を占うのはやめていた。
何回か通ううち、やっと私の番になる。
そもそもこれが、受講の第一目的でもあった。
私、夫、子供たちについて、いろいろと教えてもらう。
一人につき1万…計4万。
それから、今後の流れを見るという。
さらに一人1万…計4万。
持って行った金が足りなくなり、2万値切る。
値切っておきながら
「なんちゅうボロ儲けの商売じゃっ!」という驚きと
「その価格設定はいずこから?」という疑問が
同時に浮かんでくる。
こんな形のないものにお金を払うなら
子供の欲しがっている新しいグローブでも買ってやりゃあよかった…
どこかへ連れて行って、おいしいもんでも食べさせりゃあよかった…
と激しく後悔する。
それは、占いの結果が自分の望んでいたものと違ったからかもしれない。
「離婚なさい…幸せが待っていますよ」
と背中を押して欲しいという、いやらしい魂胆があった。
後々のことを考慮して、公的記録にはっきり残ることは
出来るだけ勧めないという「技術」も習っておきながら
自分のこととなったら、このていたらく。
やがて講座は終了…
私は晴れて免許皆伝、占い師になれたのか…というと
そう簡単にはいかんのだ。
占いは技術でなく、人の気持ちをくみ取る思いやりと
深い慈悲の心が最も重要だということだ。
ま、私に一番足りないものでもある。
よって次回からは
神仏及び霊能について研究する講座が始まるとおっしゃる。
占う方法を知ったところで、それは単なる統計学上の多数派にすぎない…
誕生日や名前や手相人相が、何かの幸不幸を示したところで
当てはまらない人が少なからず存在する…
先生は、占いを研究すればするほど、その疑問が膨らんでいったと言う。
そしてたどり着いた極意……すべては心のあり方…ということであった。
最終的には世界平和や地球環境問題に行き着くらしい。
それは立派なことだが
世界平和より先に家庭平和を願う私はどうなる…
地球環境より、家庭環境をなんとかしたい私はどうなるのだ…
おのれの周辺すらどうにも出来ない者が
世界や地球をなんとか出来るとは到底思えない。
えらそうにひとさまのことを占うどころの騒ぎではないじゃないか。
しかも早急に自立の道を探したい私である。
悠長に神仏や霊能の研究なんぞしていたら、日干しになってしまう。
自分がホトケさんか霊になるじゃんけ。
…気分はほとんど、玉手箱を開けた女浦島…。
そしてもう一つ…決定的なことがあった。
その日初めて見た、先生の愛娘である。
年取って出来た一人娘を溺愛していたが
極度の肥満児の上、取り巻きにチヤホヤされて勘違いしているふしがあった。
神のようにあがめられる先生が
娘の体重管理ひとつ出来ない不思議に興ざめしたのも事実であった。
この上、大枚はたいて
わけのわからないものをはるばる勉強しに来る気にはなれなかった。
突き詰めた結果は「心」だと言いながら
後戻りして占いを教える矛盾も解消できなかった。
帰りに次の講座の申し込みをしなかったら
事務局の人に「途中で辞めたら“良くない”ですよ」と言われる。
“良くない”というのは、具体的にどういうことなのか…
病気か?さらなる不幸か?
この上にさらなる不幸…
どんな良くないことになるのか、知りたくなる。
もしも本当に良くないことが起こり
もしもそれが途中下車したせいだと確信できたなら
ごめんなさいと言えばよい。
思いやりと慈悲の心を説く先生なら、きっと大丈夫。
腐った根性丸出しで、私はそう考えた。
あれから20年ぐらい経つが、今のところは私も家族も無事である。
何を基準に“良くない”と思えばいいのかもわからなくなったし
泣きつこうにも、先生はすでにお隠れあそばした。
先生には心から感謝している。
優しかったし、面白い話をたくさん聞かせてくれた。
先を知るには今を見ろ…
世界を救う前に自分を救え…
本人にその気があったかどうかはわからないが
それを身を持って教えてくれたのだと思う。
自ら会得した極意を胸に、私は生きる。
その極意とは…「占いはあてにならない」
占いと霊能が流行した時期があった。
自分の現状が今ひとつ満足でない者は
我が身の至らなさに目をそむけ、こういうものに強い興味を示す。
私もまた例外ではなかった。
不倫を繰り返す夫との結婚生活は、今後どうなっていくのか…
離婚することで、この生き地獄から抜け出せるのか…
今を我慢さえすれば、幸せが隠れて待っているのか…
先のことが知りたければ、占いしか思いつかなかった。
書店で買った著書に感想を送ったら、自筆の返信が来たことをきっかけに
私は遠方の都会に住む占い師(細○さんではない)と懇意になった。
「先生」は、初老の女性であった。
勧められるまま、月に1~2度、新幹線で彼女の主宰する講座に通う。
私は占いを習って、占い師になろうとしていた。
占いそのものよりも、仕入れや支払いがいらず
長く続けられるところが魅力だった。
不審がる義父母を尻目に出歩くのも、小気味よかった。
講座の料金は、私にとって高額だ。
新幹線代と受講料で、一回6万は飛ぶ。
痛い出費ではあるが
私は痛み止めの麻薬を手に入れるような気持ちだった。
先生の弟子には、有名企業の社長夫人、テレビ局の重役夫人など
ちょっと普通でない金持ちが多かった。
田舎ではお目にかかれない宝石や衣装を見るのも楽しいが
本当の金持ちは決して自慢もしないし、心が清らかなことも知った。
彼女たちは占い師志望ではなく
お稽古ごとの一つとして、講座に参加している。
私のように幸せになりたいのではなく、すでに幸せなので
この幸せを持続させるために心を磨き
ご主人のビジネスのために、時流の流れを読むのが目的だ。
先生は講座が終わると、数人ずつ順番に弟子を占ってくれる。
その頃はすでに、一般のお客を占うのはやめていた。
何回か通ううち、やっと私の番になる。
そもそもこれが、受講の第一目的でもあった。
私、夫、子供たちについて、いろいろと教えてもらう。
一人につき1万…計4万。
それから、今後の流れを見るという。
さらに一人1万…計4万。
持って行った金が足りなくなり、2万値切る。
値切っておきながら
「なんちゅうボロ儲けの商売じゃっ!」という驚きと
「その価格設定はいずこから?」という疑問が
同時に浮かんでくる。
こんな形のないものにお金を払うなら
子供の欲しがっている新しいグローブでも買ってやりゃあよかった…
どこかへ連れて行って、おいしいもんでも食べさせりゃあよかった…
と激しく後悔する。
それは、占いの結果が自分の望んでいたものと違ったからかもしれない。
「離婚なさい…幸せが待っていますよ」
と背中を押して欲しいという、いやらしい魂胆があった。
後々のことを考慮して、公的記録にはっきり残ることは
出来るだけ勧めないという「技術」も習っておきながら
自分のこととなったら、このていたらく。
やがて講座は終了…
私は晴れて免許皆伝、占い師になれたのか…というと
そう簡単にはいかんのだ。
占いは技術でなく、人の気持ちをくみ取る思いやりと
深い慈悲の心が最も重要だということだ。
ま、私に一番足りないものでもある。
よって次回からは
神仏及び霊能について研究する講座が始まるとおっしゃる。
占う方法を知ったところで、それは単なる統計学上の多数派にすぎない…
誕生日や名前や手相人相が、何かの幸不幸を示したところで
当てはまらない人が少なからず存在する…
先生は、占いを研究すればするほど、その疑問が膨らんでいったと言う。
そしてたどり着いた極意……すべては心のあり方…ということであった。
最終的には世界平和や地球環境問題に行き着くらしい。
それは立派なことだが
世界平和より先に家庭平和を願う私はどうなる…
地球環境より、家庭環境をなんとかしたい私はどうなるのだ…
おのれの周辺すらどうにも出来ない者が
世界や地球をなんとか出来るとは到底思えない。
えらそうにひとさまのことを占うどころの騒ぎではないじゃないか。
しかも早急に自立の道を探したい私である。
悠長に神仏や霊能の研究なんぞしていたら、日干しになってしまう。
自分がホトケさんか霊になるじゃんけ。
…気分はほとんど、玉手箱を開けた女浦島…。
そしてもう一つ…決定的なことがあった。
その日初めて見た、先生の愛娘である。
年取って出来た一人娘を溺愛していたが
極度の肥満児の上、取り巻きにチヤホヤされて勘違いしているふしがあった。
神のようにあがめられる先生が
娘の体重管理ひとつ出来ない不思議に興ざめしたのも事実であった。
この上、大枚はたいて
わけのわからないものをはるばる勉強しに来る気にはなれなかった。
突き詰めた結果は「心」だと言いながら
後戻りして占いを教える矛盾も解消できなかった。
帰りに次の講座の申し込みをしなかったら
事務局の人に「途中で辞めたら“良くない”ですよ」と言われる。
“良くない”というのは、具体的にどういうことなのか…
病気か?さらなる不幸か?
この上にさらなる不幸…
どんな良くないことになるのか、知りたくなる。
もしも本当に良くないことが起こり
もしもそれが途中下車したせいだと確信できたなら
ごめんなさいと言えばよい。
思いやりと慈悲の心を説く先生なら、きっと大丈夫。
腐った根性丸出しで、私はそう考えた。
あれから20年ぐらい経つが、今のところは私も家族も無事である。
何を基準に“良くない”と思えばいいのかもわからなくなったし
泣きつこうにも、先生はすでにお隠れあそばした。
先生には心から感謝している。
優しかったし、面白い話をたくさん聞かせてくれた。
先を知るには今を見ろ…
世界を救う前に自分を救え…
本人にその気があったかどうかはわからないが
それを身を持って教えてくれたのだと思う。
自ら会得した極意を胸に、私は生きる。
その極意とは…「占いはあてにならない」