義母ヨシコは、先日入院した。
春にした手術の経過を見る検査入院なので、すぐ帰って来られる。
問題は、その病院が中途半端に遠い、都会にあることだ。
昔から入退院の交通手段には、こだわるヨシコ。
家族の車で、手厚く送迎されなくてはならない。
春の入院の時は、次男が送迎した。
今回は年末なので、仕事が忙しくて無理みたい。
そこで誰が行く?ということになる。
ヨシコは、義父アツシに「一人で行け」と言われ
「病人に対して、冷たすぎる!」と憤慨していた。
遠く、慣れない街までの運転は、高齢で病身の自分には無理と
素直に言えばいいんだけど、アツシの性格上、それは言いたくない。
二人はしばらくゴタゴタしていたが
たまたまヨシコの入院と同じ日、アツシも自分の病気の検査が決まり
アツシ送迎案は完全に消えた。
息子…つまり我が夫ヒロシは、仕事を理由にヨシコの包囲網から脱出。
急なゴルフには行けても、病院は無理らしい。
仕事と聞けば、ヨシコがそれ以上言わないのをよく知っているのだ。
娘…つまり夫の姉カンジワ・ルイーゼは、聞こえないふりで対処。
それから間もなく、ルイーゼは癌検診に引っかかった。
精密検査は、たまたまアツシと同じく、ヨシコの入院の日である。
送迎どころか、ショックで食事も喉を通らないルイーゼ。
ヨシコ、アツシ、ルイーゼの3人が
それぞれ同じ日に、別々の病院の門をくぐる運命となった。
よって送迎は、私に回ってきた。
運転が得意であれば、もちろん喜んでやらせてもらう。
しかし、私の苦手なもの…蛾と運転。
30年前のことではあるが、自動車学校は補習無しで卒業したから
技術的な問題はあまり無いと、自分では思っている。
ただ、田舎は大丈夫でも、高速道路や都会は恐い。
無事故の経歴は、ひとえに恐がりのたまもの。
あんまりウロウロしないので、事故に遭う確率が低いだけだ。
自力で遠出をした記憶は、15年前に家出した時
子供達を乗せて、九州まで行ったぐらいだろうか。
あの時は、本当によっぽどだったんだなあ…と、今も思う。
生きるか死ぬかになったら、九州まで行けたんだから
今度も同じ気持ちになるしかない。
そこで日曜日、ルイーゼの癌疑惑で上機嫌の夫と
現地まで運転の練習に出かけた。
しかし都会はなんと、こわや、おそろしや…
どうにか無事に帰ってきたものの、疲れ果てて横になる。
練習に行ったはずなのに、これをもう一回やると思うと、クラクラしちゃう。
向かないというのは、こういうのを言うんだろう。
残る望みはただひとつ…当日、雨が降ればいいのだ。
雨さえ降れば、仕事が休みになる。
夫と次男の体は空くから、どちらかが行けばいい。
雨よ降れぇ…嵐よ吹けぇ…私は祈った。
前日は、一日中雨。
よし!よぉ~し!このまま頑張ってくれ…明日まで降り続けてくれ…。
しかし無情にも「明日は曇り時々晴れでしょう」と天気予報は言う。
ヨシコ、普段は自称雨女だが、こういう時は晴れるのだ。
人知れず苦しむ私を察した長男は
「オレが休みを取って連れて行くよ」と言う。
そう言われると、ありがたい反面、何だか釈然としない。
病気をふりかざし、甘え放題のヨシコと同じじゃないか…
姑の送迎ひとつできなくてどうする…
私は、行くと覚悟を決めた。
ところがである。
その夜遅く、たまたまアツシが交通事故を起こした。
高齢運転者なので、ずっと夜間の運転は控えていたが
たまたま人を送るために、数百メートルほど運転する必要にかられた。
大きな事故ではなかったが、車は大破。
アツシも相手も無傷だったのが、不幸中の幸いである。
事故の相手は、たまたまヨシコの親戚だった。
我が家によく起きる「たまたま」であるが
このところ、内容が良くも悪くもグレードアップしているみたい。
車が1台欠けたこの時点で、ヨシコの送迎システムが変化した。
夫はかき入れ時の仕事をあきらめて、次男をヨシコにあてがった。
「慣れない代車で、また事故でも起こしたら大変」ということで
アツシは自分が送ると言う。
ヨシコもアツシも、おとなしく連れて行かれた。
そして私は、自動的に運転から解放される。
次の関門は、ヨシコの退院時であるが、今度こそ私が行かせてもらうと決めた。
苦手だからとグズグズしていたら、克服できない。
頑張るのよ!みりこん!
…と思った矢先、ルイーゼから、癌の疑いが晴れたと連絡があった。
夫、激しく残念がる。
ルイーゼはすっかりはしゃいで、母親は自分が新幹線で迎えに行くと言う。
ヨシコも娘の無事を喜び、それでいいと言う。
また、運転からまぬがれた。
都会の克服は、まだ先になるらしい。
春にした手術の経過を見る検査入院なので、すぐ帰って来られる。
問題は、その病院が中途半端に遠い、都会にあることだ。
昔から入退院の交通手段には、こだわるヨシコ。
家族の車で、手厚く送迎されなくてはならない。
春の入院の時は、次男が送迎した。
今回は年末なので、仕事が忙しくて無理みたい。
そこで誰が行く?ということになる。
ヨシコは、義父アツシに「一人で行け」と言われ
「病人に対して、冷たすぎる!」と憤慨していた。
遠く、慣れない街までの運転は、高齢で病身の自分には無理と
素直に言えばいいんだけど、アツシの性格上、それは言いたくない。
二人はしばらくゴタゴタしていたが
たまたまヨシコの入院と同じ日、アツシも自分の病気の検査が決まり
アツシ送迎案は完全に消えた。
息子…つまり我が夫ヒロシは、仕事を理由にヨシコの包囲網から脱出。
急なゴルフには行けても、病院は無理らしい。
仕事と聞けば、ヨシコがそれ以上言わないのをよく知っているのだ。
娘…つまり夫の姉カンジワ・ルイーゼは、聞こえないふりで対処。
それから間もなく、ルイーゼは癌検診に引っかかった。
精密検査は、たまたまアツシと同じく、ヨシコの入院の日である。
送迎どころか、ショックで食事も喉を通らないルイーゼ。
ヨシコ、アツシ、ルイーゼの3人が
それぞれ同じ日に、別々の病院の門をくぐる運命となった。
よって送迎は、私に回ってきた。
運転が得意であれば、もちろん喜んでやらせてもらう。
しかし、私の苦手なもの…蛾と運転。
30年前のことではあるが、自動車学校は補習無しで卒業したから
技術的な問題はあまり無いと、自分では思っている。
ただ、田舎は大丈夫でも、高速道路や都会は恐い。
無事故の経歴は、ひとえに恐がりのたまもの。
あんまりウロウロしないので、事故に遭う確率が低いだけだ。
自力で遠出をした記憶は、15年前に家出した時
子供達を乗せて、九州まで行ったぐらいだろうか。
あの時は、本当によっぽどだったんだなあ…と、今も思う。
生きるか死ぬかになったら、九州まで行けたんだから
今度も同じ気持ちになるしかない。
そこで日曜日、ルイーゼの癌疑惑で上機嫌の夫と
現地まで運転の練習に出かけた。
しかし都会はなんと、こわや、おそろしや…
どうにか無事に帰ってきたものの、疲れ果てて横になる。
練習に行ったはずなのに、これをもう一回やると思うと、クラクラしちゃう。
向かないというのは、こういうのを言うんだろう。
残る望みはただひとつ…当日、雨が降ればいいのだ。
雨さえ降れば、仕事が休みになる。
夫と次男の体は空くから、どちらかが行けばいい。
雨よ降れぇ…嵐よ吹けぇ…私は祈った。
前日は、一日中雨。
よし!よぉ~し!このまま頑張ってくれ…明日まで降り続けてくれ…。
しかし無情にも「明日は曇り時々晴れでしょう」と天気予報は言う。
ヨシコ、普段は自称雨女だが、こういう時は晴れるのだ。
人知れず苦しむ私を察した長男は
「オレが休みを取って連れて行くよ」と言う。
そう言われると、ありがたい反面、何だか釈然としない。
病気をふりかざし、甘え放題のヨシコと同じじゃないか…
姑の送迎ひとつできなくてどうする…
私は、行くと覚悟を決めた。
ところがである。
その夜遅く、たまたまアツシが交通事故を起こした。
高齢運転者なので、ずっと夜間の運転は控えていたが
たまたま人を送るために、数百メートルほど運転する必要にかられた。
大きな事故ではなかったが、車は大破。
アツシも相手も無傷だったのが、不幸中の幸いである。
事故の相手は、たまたまヨシコの親戚だった。
我が家によく起きる「たまたま」であるが
このところ、内容が良くも悪くもグレードアップしているみたい。
車が1台欠けたこの時点で、ヨシコの送迎システムが変化した。
夫はかき入れ時の仕事をあきらめて、次男をヨシコにあてがった。
「慣れない代車で、また事故でも起こしたら大変」ということで
アツシは自分が送ると言う。
ヨシコもアツシも、おとなしく連れて行かれた。
そして私は、自動的に運転から解放される。
次の関門は、ヨシコの退院時であるが、今度こそ私が行かせてもらうと決めた。
苦手だからとグズグズしていたら、克服できない。
頑張るのよ!みりこん!
…と思った矢先、ルイーゼから、癌の疑いが晴れたと連絡があった。
夫、激しく残念がる。
ルイーゼはすっかりはしゃいで、母親は自分が新幹線で迎えに行くと言う。
ヨシコも娘の無事を喜び、それでいいと言う。
また、運転からまぬがれた。
都会の克服は、まだ先になるらしい。