『たとえば時間というものは秒針の運動ではない、時間とは主観的恣意的なものである 参照→切り取りダイジェスト 有理数時間と無理数時間 - 公開メモ DXM 1977 ヒストリエ自分の感じる時間が他人の感じる時間と違うことは本来明らかなのだが、近代は秒針運動に翻訳して仮に同じとしている。本来違うものを同じとしていることが現代人の心に歪みをもたらしている。
時間とは語り得ないも . . . 本文を読む
このブログ形式のメモも11年を10日ほど超えた。モナドで検索をかけてみればわかるが、このメモでは何度か計算機としてのモナド宇宙を論じている。世界観分類で言えば創造説だが、設計された宇宙を信じなければ何のための物理学なのか明示できないので虚無論へ進むしかない。《「知的生命体が生まれないような宇宙には、それを観測する者もいない。宇宙は一つではなく、物理定数の異なる宇宙がたくさんあって、観測者が存在 . . . 本文を読む
もはや思考は質ばかりではない。思考の大きさが哲学に必要な時代かもしれない。すなわち機械学習を含めた哲学エンジニアリングが哲学研究の主流になるだろう。機械思考が出現した現代にあって、もはやアトミズムの観測者超克なしに思考は解明できない。 . . . 本文を読む
生命の時間に関する論文生物の時間スケールはガラスに似た仕組みで決まっている 東京大学 一般に生体内の化学反応は1秒以下の時間スケールで進む。一方、我々生物が生きて行動する時間スケールは、例えば体内時計であれば約十万秒ほどであり、その間にはとても大学ジャーナルオンライン 発表雑誌:雑誌名:Physical Review Research Rapid Communications(1 月 . . . 本文を読む
共感的光明を肯定的
言語に発する人に出会えることは近年稀である。特に社会人には出会える機会がない。 カリスマ性とはちょっと違う。 何か違うと感じる光る言語はその人の背中を通してこちらの脳裏に投影される。 もう死んだ友人の話ではあるが、その方の言語の投影がまだ私の脳裏のどこかに残っている。草葉の陰に行った人、志のもとに散った人の言語、私はその言語を投影できただろうか?今はただキャッチボールす . . . 本文を読む
修行して身につくものなら、勉強してみたい。精神統一、明鏡止水。
人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も彌天も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる。さとりの人をやぶらざる事、月の水をうがたざるがごとし。人のさとりを礙せざること、滴露の天月を礙せざるがごとし。ふかきことはたかき分量なるべし。時節の長短は、大水小水を點し、天月の廣狹を辨取すべし。 . . . 本文を読む