今年は待ちに待ったオリンピック・イヤーなのに、何だか不穏な話の多い今回の聖火リレーに、本番に対しての心配が募ります。
世界中が注目するオリンピック関連の行事に、主張をぶつけてきた人々の知恵には感服します。確かに、私は今までチベットの問題に対して、あまりにも無知で無関心でした。それは、個人個人だけに言えることではなく、各国のマスコミにも、政府にも言えることかな、と思います。
ただ、その主張が正しいであろう事とは別に、この機会を利用したことがどうなのか、私には疑問が残ります。今回のこの動きを受けて、今後のオリンピックにも、主義主張をぶつける人が増えていくのではないか、またその主張をマスコミが煽り立てることにより、オリンピックという全ての政治的な争いごとをお休みして行われるはずの祭典が、益々本来の意味を失っていってしまう恐れはないのか、と。
とはいえ、チベットの問題について、様々な記事を読むにつれ、世界にはこんな問題が残っているのか、と暗澹たる気持ちにさせられ、それに気付くことができたのは正しかったとも思うのです。
そういう訳で、今回の問題について、私の考えはとてもグレー状態。この異常事態下での聖火リレーの是非についても、きちんとした自分の意見を持つことも出来ないまま、聖火は日本(長野)を通り抜けていきました。
ラジオで、聖火リレーへの意見を集める企画がありました。賛成や反対などに別れていく中、消防団員の方からのメールで、「生の火を持ち歩くことは危険だと思う」という意見が紹介され、ちょっと笑ってしまったのですが、私もそのくらい独自の意見をきちんと持つことができるように、白い心でニュースに対応していきたいと思っています。
世界中が注目するオリンピック関連の行事に、主張をぶつけてきた人々の知恵には感服します。確かに、私は今までチベットの問題に対して、あまりにも無知で無関心でした。それは、個人個人だけに言えることではなく、各国のマスコミにも、政府にも言えることかな、と思います。
ただ、その主張が正しいであろう事とは別に、この機会を利用したことがどうなのか、私には疑問が残ります。今回のこの動きを受けて、今後のオリンピックにも、主義主張をぶつける人が増えていくのではないか、またその主張をマスコミが煽り立てることにより、オリンピックという全ての政治的な争いごとをお休みして行われるはずの祭典が、益々本来の意味を失っていってしまう恐れはないのか、と。
とはいえ、チベットの問題について、様々な記事を読むにつれ、世界にはこんな問題が残っているのか、と暗澹たる気持ちにさせられ、それに気付くことができたのは正しかったとも思うのです。
そういう訳で、今回の問題について、私の考えはとてもグレー状態。この異常事態下での聖火リレーの是非についても、きちんとした自分の意見を持つことも出来ないまま、聖火は日本(長野)を通り抜けていきました。
ラジオで、聖火リレーへの意見を集める企画がありました。賛成や反対などに別れていく中、消防団員の方からのメールで、「生の火を持ち歩くことは危険だと思う」という意見が紹介され、ちょっと笑ってしまったのですが、私もそのくらい独自の意見をきちんと持つことができるように、白い心でニュースに対応していきたいと思っています。