先日、撮影旅行で近くへ行ったので、星野富弘さんの美術館に寄ってきました。家族や友人とも行ったことがありますが、二代目と付き合い始めた頃のデートで行った場所でもあり、ちょっとした思い出の場所。
すっかり最近では有名になられましたが、まだ星野さんが無名だった頃、小学生(だったと思う)の私は母に連れられて、足利の公民館で行われた小さな小さな個展に行きました。その時、口に加えた筆で描いているのに上手だなぁ、と素直に感じたこと以上の何かが自分の中に残ったように記憶しています。
その後も、星野さんの絵や詩はいつも身近にあり、様々な局面で、ほっとさせられたり、勇気づけられたりしてきました。特に、星野さんが結婚なさったときに奥様に送られた詩は、自分が結婚を決めたときに、この詩を心に留めていようと決心したものでした(下記に引用します)。
今回、何となく行ってみたい気分で、二代目に寄ってみようよ、と少し強引にお願いしました。そして、GW明けのガラガラの美術館内をゆっくり歩きながら、今の私の気持ちをそのまま詩にしている作品に出会いました。星野さんがお父様を亡くされたときに描かれた作品でした。明日で義父の四十九日という節目を迎えますが、その日を前に富弘美術館を訪ねたこと、何かが導いてくれたような気がしてなりませんでした。
「がくあじさい」
結婚ゆび輪はいらないといった
朝 顔を洗うとき
私の顔をきずつけないように
体を持ち上げるとき
私が痛くないように
結婚ゆび輪はいらないといった
今、レースのカーテンをつきぬけてくる
朝陽の中で
私の許に来たあなたが
洗面器から冷たい水をすくっている
その十本の指先から
金よりも 銀よりも
美しい雫が落ちている
すっかり最近では有名になられましたが、まだ星野さんが無名だった頃、小学生(だったと思う)の私は母に連れられて、足利の公民館で行われた小さな小さな個展に行きました。その時、口に加えた筆で描いているのに上手だなぁ、と素直に感じたこと以上の何かが自分の中に残ったように記憶しています。
その後も、星野さんの絵や詩はいつも身近にあり、様々な局面で、ほっとさせられたり、勇気づけられたりしてきました。特に、星野さんが結婚なさったときに奥様に送られた詩は、自分が結婚を決めたときに、この詩を心に留めていようと決心したものでした(下記に引用します)。
今回、何となく行ってみたい気分で、二代目に寄ってみようよ、と少し強引にお願いしました。そして、GW明けのガラガラの美術館内をゆっくり歩きながら、今の私の気持ちをそのまま詩にしている作品に出会いました。星野さんがお父様を亡くされたときに描かれた作品でした。明日で義父の四十九日という節目を迎えますが、その日を前に富弘美術館を訪ねたこと、何かが導いてくれたような気がしてなりませんでした。
「がくあじさい」
結婚ゆび輪はいらないといった
朝 顔を洗うとき
私の顔をきずつけないように
体を持ち上げるとき
私が痛くないように
結婚ゆび輪はいらないといった
今、レースのカーテンをつきぬけてくる
朝陽の中で
私の許に来たあなたが
洗面器から冷たい水をすくっている
その十本の指先から
金よりも 銀よりも
美しい雫が落ちている