<つづき>
朗読劇を見(聴き)終えて感じ、話し合ったことを忘備録として記します。
昨日は原爆や戦争を伝える内容としては、かなり控えめな表現だったと思います。もしかしたら、幼いお子さんが会場に足を運ぶことを想定しているのかもしれません。それでも、恐ろしい情景を脳裏に浮かべる描写表現や、写真も当然ありました。女優さんたちが、声を荒げて伝えようとしてくれた場面も。でも、先ほども書きましたが、私はそういった場面で泣くことも震えることもなく、実際に起こったことなんだ、と冷静に受け止めていました。日本人として生きてきた40年の中で、見聞きしたことが体に蓄積され、知識として知っているからでしょう。
ただ、一か所だけ、泣きました。それは若い女の先生が、教室で原爆による孤児たちと向き合う場面。ふっと、「こんなに明るいこの児童たちには、お父さんとお母さんがいない。」と再認識し、その先生が言葉を失って、立ち止まってしまうお話でした。そのお話の背後に写っていた、原爆ドームを背景にして、満面の笑顔をカメラに向けていた子供たちの写真には心が揺さぶられました。私たちと同じこの国に生まれた人たちが、明るく暮らしていたんだなぁ、とてつもない別世界で繰り広げられた悲劇ではなく普段の生活の中に突然起こったことだったんだなぁ、と見せつけられた気がしました。
感じ、哀しみ、思うだけでは何も変わらないと思います。でも、感じず、哀しまず、思わない世の中にならないように、強く願い、何か出来ることがあるならば、とそう想いを新たにしました。そうやって一人ずつ背筋を伸ばすとき、それが日本人にとっての8月という時だと思います。こと戦争について語るときだけは、真っ直ぐきれいごとを語りたい。私は、そう思います。