だからといって、別に何も特別ではないと思います。毎日、悲しんで、戦っているのだから。でも、日本中の人々が、ふと立ち止まって、色々なことを考える一日として、今後もとても大切な日になると思います。3月11日。
新聞記事の中には、あの日おびただしい数の方が、突如愛する人を失ったのだということを、改めて思い知らされる記事が沢山ありました。奥さまと、お嬢さんお二人を亡くされた男性が、「自分だけいつまでも悲しんでいてはいけない気がして、悲しむ気持ちを表に出せない。」と話しているコトバには、想像を絶する苦しみを感じました。復興の強い流れの中で、いつまでも泣いていてはいけない。前を向かなければ、と努力し過ぎている人が多くいるのであろうと想像ができました。
いま日本という国は、政府が、被災地の人々が、被災地ではない場所に暮らす人々が、みんな一生懸命頑張って復興に向かい、ひた走る時期なのだと思います。それでも、走り続ける中で、立ち止まってしまったり、後ろを向いてしまったりした人を、置いてきぼりにしない国でありますように。同じ速さで走れない人々に、舌打ちをしたり、冷たい視線を向けたりすることが決してない、私たちでありますように。
当たり前と言えば当たり前ですが、我が家には写真がたくさん、あります。
いや、仕事のは勿論なんですが、プライベートでもやっぱり多いのです。二代目とデートに行くようになった最初の頃、いつ何時でもカメラを抱えて現れ、デートの度に思いがけない写真をガシガシ撮影してくれて、それが後日、『モノクロ写真のポスター』やら、『ある日の写真集』なんかに化けて、プレゼントされるので、吃驚仰天したものでした。フィルムカメラしかなかった時代(うん10年前ですね)、実家が写真屋さんだからこそ出来る『贅沢な遊び』なんだろうなーと、漠然と思っていました。
時は流れ、それはそれは多くの人が、肌身離さずカメラを持って生活する時代となりました。キレイなもの、おいしいもの、笑っちゃうもの、久しぶりに会ったもの、もう会わないかもしれないもの、そういったものをとても気楽に、誰もが、コストも気にせず撮影することができます。そこで、このブログを今読んじゃった人にお願い。フィルム代と現像代がかからなくなりました。その分から考えたら、本当に些細な出費だと思いますので、出来るだけ多くの写真を『紙』に焼いておいてください。今は大した写真じゃないな、と思っても、数10年後、どんな貴重な写真にならないとも限りません。でもそのとき、今使っているスマホで撮影しただけの写真データを探し出すことが出来るでしょうか?(ま、整理整頓が得意な人なら可能だろうけど…)。別に写真屋さんに出さなくてよいのです。お手持ちのプリンターで出力したって、同じことです。画像が物体として残ること、それがとても大切だな、と思っています。
昨日の夜、ある写真を探そうとアルバム庫を引っ掻き回しながら、『あの頃、妙に2人が大切にしていたドングリの鉢植え』や、『超くたびれちゃってるのに、しょっちゅう着ていたTシャツ』なんかの写真に出会い、とても楽しい春の夜を過ごしたので、今日はこんなブログにしてみました。
<以前にも何回もこんなブログを書きましたが、定期的に書くんです。なんせ、「推進委員」ですから>