私が立命館で西洋哲学を学ぶ動機は、『人生の実とはなんぞや?』ということ、
中退して、龍谷大学で佛教を学んだのは、
立命のそれに加えて『魂とはなんぞや?』ということが動機でした。
今、学んでいる「刹那滅」や「プトガラ」は、枝葉のことで、
それを手づるとして、その二つのことを学ぼうとしたからです。
まっ、数年間では短すぎるのかもしれませんが・・・
「刹那滅」で言えば、そこから人の生涯がつかめるのではないか、と思います。
究極の命題であります。
しかし、答えはすでに出ています。
「万物の存在は、今、ここのみ」という考えであります。過去も未来もありはしない。
逆に言うと、人は過去や未来に縛られてはいけないのです、という考えです。
なぜ、答えが出ているのに「解った」と言えないのか。
自分のものにしていないからです。
日進月歩、学んでいれば、「解った」と言える日が来ると思っています。
答えはまだ、「絵に描いた餅」・・・
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中退して、龍谷大学で佛教を学んだのは、
立命のそれに加えて『魂とはなんぞや?』ということが動機でした。
今、学んでいる「刹那滅」や「プトガラ」は、枝葉のことで、
それを手づるとして、その二つのことを学ぼうとしたからです。
まっ、数年間では短すぎるのかもしれませんが・・・
「刹那滅」で言えば、そこから人の生涯がつかめるのではないか、と思います。
究極の命題であります。
しかし、答えはすでに出ています。
「万物の存在は、今、ここのみ」という考えであります。過去も未来もありはしない。
逆に言うと、人は過去や未来に縛られてはいけないのです、という考えです。
なぜ、答えが出ているのに「解った」と言えないのか。
自分のものにしていないからです。
日進月歩、学んでいれば、「解った」と言える日が来ると思っています。
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