安倍首相以前から自民党は「生活保護費の削減」をジワジワとやって来た。私は途中から「生活保護受給者」となった。その間、漫才師の親が「保護費の不正受給事件」が起き、一部世論は「生活保護費性悪説」を大合唱し、その声に世論の体制も引きずられるように「生活保護費性悪説」が当然のように唱えられ始めた。そうです、今これを読んでいるあなたも、否定はしていないまでも看過していた人は「賛同者」なのです。これはナチズムが世論の敵を作るのにユダヤ人をターゲットにしたのと同じ方法で・・・。ユダヤ人の迫害に賛同していた人、特に熱狂的に参加していた人はさほど多くなかったと言われていて、あとは「物言わぬ賛同者」であったと言われている。そのことでいうと、「生活保護費性悪説」の話しも「生活保護費は必要なのだ!」と声を上げなかった人は「性悪説の声なき賛同者」であったと言っていい。それはやはり、国民の多くの生活水準はおおむね「中の下」で推移していることによって「明日は我が身」という危機感が薄く、「となりも大丈夫そうだからウチも大丈夫」という「曖昧な安心感」から来ていると思う。これが第一次世界大戦後のドイツのように多額の負債を抱えて且つ領土も割譲され、国中に憤懣が充満している状態ならば、そのはけ口が国の指導者の「悪の導き」によって扇動され、「生活保護費受給者バッシング」のみならず、「生活保護廃止論」さえ出かねない。安倍首相は国会答弁でもあいまいな答弁を繰り返しながら「削減正当化論」を繰り返していた。世論の反応はどうであったか?支持率は下がらなかった。
世論は支持したのだ。民主主義の危うさ、民主主義の曖昧さ故の怖さ、緩やかな大衆扇動から国民扇動への恐ろしさを感じる。