狂人の頭の中

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「プトガラの摂属をめぐるプトガラ説批判」備忘録

2013-03-10 15:18:28 | 狂人の頭の中
プトガラというのは、インド佛教の「犢子部(とくしぶ)」という集団が立てた

「輪廻する魂」の様なものです。

その説は非常に特殊でつまびらかに見ると、矛盾をはらんでいるように見えます。

私はこの説に興味を持って、いろいろ調べてきました。

『徳兵衛、仏教を学ぶ』のカテゴリーで過去のものは見ることができます。

立川談志が「学問は貧乏人の暇つぶし」と、

言っていますが、まさしくその通りになっています。トホホ・・・

以下に書きますのは、犢子部の「プトガラ説の矛盾」を

突いた論文で、私が納得したものから「備忘録」として書くものです。

前置きが長い・・・

まっ、事故で「死に損ない」になった私が、「死とは?」、「生とは?」と、

疑問を持った事から始まった学習です。




「プトガラの摂属をめぐるプトガラ説批判」からの気付き・・・

○佛教では一切の法(人間の全ての働きと感覚器官)は、

「十二処(眼・耳・鼻・舌・身・意の六根と色・声・香・味・触・法の六境の十二)」に

所属するから、もしプトガラが、この十二に所属するはずである。

もし、所属しるならば、プトガラは可説になるので、プトガラの定義である、

「プトガラは説くべからず」という定義に反するから、

プトガラの定義は崩れることになるので、プトガラは存在しないことになる。


○プトガラ説は「不可説(説くべからずという説)」であるから、

第五(現在・過去・未来・無為の次の「不可説」)であるともないとも、

説くことができない(と、犢子部はとなえている)から、プトガラ説が成り立たないので、

プトガラは存在しない。


○プトガラは五法蔵(現在・過去・未来・無為・不可の五つの法蔵)であるとすれば、

プトガラは「第五法蔵である」と説くことができる「可説」になるので、

プトガラは五つの法蔵の外であるはずであるから、

逆に五つの外の存在は存在しないことになるから、プトガラは存在しないことになる。

また、犢子部は次のように唱える。

「燃焼中の木片そのものが『薪』であり、『火』である」と。

これをプトガラとその他四つの法蔵に置換すると、このすべて五つは別ものでないことを

説いているので、プトガラは「可説」となるので、プトガラの定義は矛盾するので、

プトガラは存在しない。


と、とりあえず「犢子部」が、掲げる「プトガラ説」の矛盾のさわりと紐解いでみました。

まだあるのですが、とりあえず消化したものから紹介してみました。

まっ、自慰的なブログですが何か




空蝉:現人<うつせみ>日記




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
倶舎や仏教学 (通りすがり)
2014-02-07 03:49:09
大阪の行信教校という学校で幅広くかなり専門的に学べますよ。
返信する
返事が遅れました。 (徳兵衛)
2014-02-23 23:55:28
すみません、返事が遅れました。
私は、3年前まで龍大にいましたが、
「プトガラ」は、やっていませんでしたが、
「刹那滅論」を一コマやっていてくれていたので、
3年間取りつづけていました。
「プトガラ」なんぞは、専門に研究している方は、
『皆無』ですね。
マイナーな、矛盾した理論というのが通説なようです。
返信する

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