一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

Ⓘ‐25.草野心平「カエルのうた」の詩に思う(3/4)~「青イ花」

2023-05-03 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方
 草野心平の詩は、死に対して真正面から捉えたものがあります。この「青イ花」は、当時、軍国主義が台頭し、戦争の危機が高まっている時代に作られたもので、大いに考えさせられる詩です。 
            
         青イ花 

           トテモキレイナ花。
           イッパイデス。
           イイニホヒ。イッパイ。
           オモイクラヒ。
           オ母サン。
           ボク。
           カヘリマセン。
           沼ノ水口ノ。
           アスコノオモダカノネモトカラ。
           ボク。トンダラ。
           ヘビノ眼ヒカッタ。
           ボクソレカラ。
           忘レチャッタ。
           オ母サン。
           サヨナラ。    
           大キナ青イ花モエテマス。

蛇に見こまれた蛙

 蛇はカエルの天敵。運悪く、着地した場所に蛇が!。何が何だかわからないうちに、瞬間的に真っ暗な狭い空間に閉じ込められてしまいました。幼いカエルの子は、自分の”死”を理解できませんが、本能的にもうお母さんのもとに帰れないことだけは感じているのです。蛇の腹の中からお母さんカエルに残した最後のメッセージです。   

 幼いカエルの安らかな死の描写です。これも、弱肉強食の自然界に生きる動物の理であり、その現実を真正面から捉えた詩です。とりわけ、カエルの子の立場に立って、今まさに死に直面している自分に置き換えることのできるような
詩でもあります。また、本詩は、子供の立場を表現するために、カタカナ表記や「。」止めになっているところも工夫点といっていいでしょう。

 この詩は、死に対してあからさまにうたっていることに強く心に響きました。特に、最後の「大キナ青イ花モエテマス」は、死と生との対比表現で一番好きな箇所です。「オ母サン。ボク。カエリマセン」も強烈でそれがある時・ある日の自分かも知れません。あるいは子供や孫かもー。


 現在、ロシア軍がウクライナに侵攻し、住民はじめ双方の兵士が尊い命を落としている現実と重なります息子が無事帰還することを願い、祈っていた母親のどれだけの涙が流れたことでしょうか。

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Ⓘ‐24.草野心平「カエルのうた」の詩に思う(2/4)~「秋の夜の会話」

2023-05-02 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

 草野心平のカエルの詩は、四季折々の場面をうたっています。その中で、これから長い冬眠にはいる心境を表現した「秋の夜の会話」もお気に入りです。


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■秋の夜の会話 

さむいね。
ああさむいね。 
虫がないてるね。 
ああ虫がないてるね。  
もうすぐ土の中だね。
土の中はいやだね。
痩せたね。
君もずゐぶん痩せたね。
どこがこんなに切ないんだらうね。  

腹だらうかね。
腹とったら死ぬだらうね。  

死にたかあないね。
さむいね。  

ああ虫がないてるね。


 秋も深まり、夏の間はあんなに食べ物があり、丸々と太っていたのにこの頃はエサがとれなくだんだん痩せてきています。それなのに、あの暗い穴の中で冬眠しなくてはなりません。「さむいね。ああ虫がないてるね」は、その心情をよく表しているなぁと思います。
 この詩は、人生も晩年を迎えた自分にも重なるところあります。冬眠だったら来春目覚めるのですがー。

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Ⓘ-23.草野心平氏「カエルのうた」の詩に思う(1/4)~「春の歌」と「えぼ」

2023-05-01 07:00:00 | Ⓘ-ものの見方・考え方

🐸4月に入ると、旭川も水はぬるみ、カエルが冬眠から目覚める時季になります。気の早いカエルは、まだ氷の融け切っていない池の水から顔を出し、鳴きはじめます。水田に水が入る5月半ばになると、カエルの大合唱が聞こえることでしょう。この時季になると、カエルのことを素材にし、その生きざまをうたった詩人・草野心平氏のことを思い出します。


  草野心平氏のカエルの詩は、どこかで目にしたり聴いたことがあるかと思います。まず、小学校の教科書に載っている「春のうた」です。

春のうた

ほっ うれしいな。  
ほっ うれしいな。  
 みずは  つるつる。   
かぜは そよそよ。 
ケルルン クック。   
ああいいにおいだ。 
         ケルルン  クック。        
       ほっ いぬのふぐりがさいている。
         ほっ おおきなくもがうごいてくる。 
              クックック ケルルン クック。   
ケルルン クック。

真っ暗なアナグラから目ざめ、地上に這い出し久しぶりにみる周りの風景に感動している様子を表しています。その喜び、感動を擬人語‣擬態語でうたったものです。特に、カエルの鳴き声がいろいろな言い方で使い分けされています。



え ぼ

いよう ぼくだよ
出てきたよ
えぼがえるだよ ぼくだよ
びっくりしなくてもいいよ
光がこんなに流れたり崩れたりするのは
ぼくがぐるぐる見まはしてゐるせゐではないだろ
やりきれんな まつ青だな 
匂ひがキンキンするな ホッ
雲だな びつくりしなくつてもいいよ 
ぐらぐらしなくつてもいいよ 
ぼくだよ いつものえぼだよ

不特定多数の誰かに話しかけるように書かれています。特に、「光がこんなに流れたり崩れたりするのは」とか、「匂ひがキンキンするなホッ」などはすばらしい表現だと思います。今日は、えぼの1年間の夢いっぱいの再スタート日です。いい出会いがたくさんあり、子孫をいっぱい残せる1年でありますようにーと願います。

 



人間より先に地球に生まれ、人間どころじゃない、他の動物よりはるかにバカで、しかもじっと生きていて、今でも砂漠の中に生き続けている現実。この現実さが僕にとって非常に大きく、それこそ人間自体が生命の歌を歌うよりも、もっと生命的でものすごく生命として写ってくるわけです。普通の動物は利口だから生き延びれるわけだが、バカであるだけにそのカエルの生命力に興味があるー



これは、どんな過酷な自然環境でも”種=命”をつないできたカエルの生命力に感動して、これまで120点余りの詩を書いている草野氏の言葉です。彼の詩の多くは、そんなカエルたちが愛おしく、その生命力のスゴさを表現したものです。また、カエルをよく観察し、創意工夫を凝らしてうたっているなあ、と彼の詩を読むたびいつも感心します。

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