一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

⒢‐18.アイス工房 田村ファーム Cloverへ 🏠

2024-05-11 09:00:00 | ⒢☕お気に入り Café

 5/6、田村ファーム Cloverへ立ち寄りました。あいにくの雨の日でしたが、数台の車が停まっていました。このアイスクリーム専門店;クローバーは、旭川空港近くにあり、隣接している「田村牧場」の絞りたての牛乳を使っている美味しいジェラートで有名なお店です。店内に入るとショーケースには、14種類以上のアイスクリームが並んでおり、ソフトクリームもあります。


外観・周辺の様子


 クローバーの正面


左側はぶどう棚;ナイヤガラ


 DOG RUNも併設されています。


 手押しポンプが懐かしい


 後ろの道路は帰路用


店内の様子


 大きな薪ストーブがデンと。


スウェーデン製薪ストーブ;コンテューラ


看板犬”こはく”(♀)は爆睡中でした。



駐車場の景観


 小高い田村ファームの敷地内にあります。


本カフェは結構人気のある店で、自動販売機で食券を買わなくてはならないこともあり、ピーク時には行列ができることもあります。なお、各種ドリンク、自家製のパンもありますが、食事はありません。

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⒲‐11.「鹿野釣りぼり」へ~by旭川市東旭川ペーパン

2024-05-10 09:00:00 | ⒲水生動物;採取・観察

 連休中、孫(小4と小2)が来旭したので、子供たちの希望で釣り体験をすることにしました。川での釣りは昨年トライしましたが、まだ水が冷たいことやあまり釣れないことなどの理由で釣り堀で釣ることにしました。市内の釣り堀を検索すると、➀富沢の池と②鹿野釣りぼりが見つかりました。➀は無料ですがヘラブナ、②は有料(大人;1,000円/子供;500円)で主にコイ。子供たちにはヘラブナ釣りは難しいので、コイ釣りにチャレンジすることにしました。





右側建物が受付です。



 釣ったコイは重いので、タモですくいあげます。


コイはこのようなサイズがほとんど。


 釣ったコイは、リリースします。


面積・水深は未定ですが、結構広く、深そうです。


鹿野釣りぼりには大小3つの池があり、ヘラブナを飼っている池もあります。この池は稲作用の農業用貯め池で、釣りぼりは30年前からやっているとのこと。本業は稲作農家で、この釣り堀りも当然農業用として役目を果たしている貯め池です。丘陵地帯のこのエリアには、このようなため池がたくさんあります。さらに上流には規模の大きい貯水池がありました。なお、釣果は、2時間ほどで小学生でも一人10匹以上釣れました。

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Ⓣ‐25.小樽市へ(9/9)~小樽運河界隈~朝の散策   2019.6.4(火)

2024-05-09 09:00:00 | Ⓣ-Go to トラベル🚍

 札幌から妹が小樽駅に着く時間が9:00過ぎですので、その間ホテルから運河に行き、そこから海岸を通るコースを散策することにしました。小樽の朝は快晴の天気ですが、こ のエリアは今日は、の天気の予報です。



 早朝の南運河。風なし、波静か。天気;晴れ。


いいとこ見つけた! 



 浅草橋のインホメーション。只今の気温;16.6℃。


倉庫群を一周することにー 


港の光景 


 クルーズ船はまだこんな状態です。


 小樽総合博物館の運河館の前にー。
👇


 ニセアカシアの木の花がちょうど満開です。


 ツタの木。景色としてはイイのですが、とった後、壁にダメージがー。


電車は定刻着。妹をピックアップし、余市を経由し倶知安➜目的地へ。天気は、内陸に入ると曇り空に変わってきました。 

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Ⓣ‐24.小樽市へ(8/9)~「ホクレンふうど館」見学;道内の陶芸家作品    2019.6.3(月)

2024-05-08 09:00:00 | Ⓣ-Go to トラベル🚍

  「ホクレンふうど館」は、ホクレン創業記念館が運営する陶芸品とお土産の専門店です。小樽の観光メインストリート「堺町通り」にあり、北海道の銘菓である石屋/六花亭/柳月/ロイズ等やワイン‣地酒‣海産物‣酪農品クラフト等各種お土産を買うことができます。2階のギャラリーには道内窯元(約40名)の陶芸作家の作品が展示‣販売されています。今まで何度か来ていますが、今回も見学することにしました。👀








 

  















 



 

 







 


  ふうど館の2階ギャラリーの陶芸作品は、オーナーとの話では 平成7年にオープンした時のもので入れ替えがないとのことです。すでに死去した人もいますが、レベルの高さに触発されました。

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Ⓣ‐23.小樽市へ(7/9)~「手宮洞窟」見学

2024-05-07 09:00:00 | Ⓣ-Go to トラベル🚍
 小樽博物館前の道路を渡るとすぐ近くに本洞窟があり、1866年に発見された国内に2か所しかない壁面彫刻(国指定史跡)が見れます。これは、4〜5C頃、北海道に暮らしていた続縄文文化時代の人々が日本海を挟んだ北東アジアの人々と交流をしていたことを示す大変貴重な遺跡でもあるとー。 また、展示物から世界各地の洞窟壁画やその時代住んでいた人々の生活の様子を垣間見ることができます。

 左側が受付‣入口です。


スペースが狭く、正面に壁面彫刻があります。


  •        これが壁面彫刻!です。何を表わしているのでしょうか?   

 手宮洞窟の保存の歴史



  これは舟の形。ロシアで発見されたものと似ていることから、そのルーツは!?


  発見当初は本彫刻は文字説も。現代は絵画説が有力のようです。


  狩猟生活や祈りに関係のある人が仮装した絵ではーとも。((+_+))


  余市町の「フゴッペ洞窟」にも、壁面彫刻があります。


手宮洞窟から発見された遺物 



  左;擦文式土器、右;近代の物~後の時代の人も住んでいたことかー。


 4〜5C頃、北海道に暮らしていた続縄文化時代の人たちは、何を食べ、何語をしゃべり、どんな夢や目標をもち、何を楽しみに生活していたのか。冬、とてつもなく寒かったろうに、何を着ていたのか?。やはり動物の毛皮だろうナ。海岸に近いとはいえ、食べ物は?等々、遠い昔々のドラマに、ほんの束の間ですが想いを馳せました。

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Ⓣ-22.小樽市へ(6/9)~小樽総合博物館本館=旧小樽交通記念館

2024-05-06 09:00:00 | Ⓣ-Go to トラベル🚍

 この小樽市総合博物館は、平成19年に「旧小樽交通記念館」と小樽市青少年科学技術館の機能を統合し、開館したものです。

 小樽市総合博物館本館には、蒸気機関車「しづか号」をはじめ、北海道を代表する50両もの鉄道車両が保存‣展示されています。また、北海道鉄道の歴史を紹介する常設展示があり、館内には、プラネタリウムや体験を通して学習できる科学展示室があります。2010年からは修復を終えた国指定の重要文化財旧手宮鉄道施設「機関車庫三号」が一般公開中です。



「7106 しづか号」


 ホールにはドンと蒸気機関車「7106 しづか号」が鎮座していました。


 1884年(明治17年)にアメリカ・ポーター社で製造されたもの。


 翌年に小樽市手宮に陸揚げされ、幌内鉄道や北海道炭礦鉄道で活躍。


当時の小樽駅構内と小樽港の様子 


鉄道線路の敷設の様子

 


模型などの各種展示物

 


各種機関車がズラリ


 引き込み線だったので、機関車や車両が集まっていたとのこと。


ここは鉄道ファンや関係者には、至福のヒトトキを過ごせそうな場所です。私も一度は来てみたかったので満足でした。現在、北海道では、赤字路線の問題があります。車社会でない当時の輸送手段としての鉄道の存在を改めて考えさせられ、また、時代が移り変わっていく様子を垣間見ました。

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Ⓣ‐21.小樽市へ(5/9)~小樽市総合博物館(運河館);第二展示室(縄文土器)

2024-05-05 09:00:00 | Ⓣ-Go to トラベル🚍

 この展示室には、小樽市西部にある「忍路土場遺跡」(縄文時代後期=約3,500年前)の発掘資料を展示されています。発火具や漆製品等当時の生活を知る上での貴重な資料も公開中でした。 


 この建物が「第二展示室」入口です。


 クマの親子が冬眠している様子。


土器の模様の付け方 

 

 

 
 昔の人、よく考えたものですね。


 


発掘された土器群


壁面の展示をアップしたもの






床面の遺物をアップ








 忍路環状列石の模型。




 


忍路遺跡は縄文時代後期ということで、後期石器時代と比べ、当然のことながら”文化度”が高くなっています。特に、土器の場合、造形的に美しく、薄く作る技術、形状、文様など繊細なものもあり、そのスキルの高さを感じます。また、狩りに弓矢を使っていたことから文化が発展してきたことがわかります。

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Ⓣ‐20.小樽市へ(4/9)~小樽市総合博物館(運河館)・第二展示室;ニシン漁のこと

2024-05-04 09:00:00 | Ⓣ-Go to トラベル🚍

  第一展示室の一角には、かってニシンを捕獲するためのいろいろな道具や資料などが多数展示されていました。ニシン漁は、明治時代、小樽の経済基盤を築いたと言われるほど大規模な産業で、人を集め、マチを栄えさせた歴史があります。



のニシンの漁獲高の推移
※ 明治20年(1887年)~昭和17年(1942年)まで

 小樽近海で獲れるニシンは次第に減少し、1950年代後半にはニシンは”幻の魚”と呼ばれるまでに。その直前の1953年でさえ、石狩振興局管内における漁獲の87%はニシンが占め、この劇的な漁獲量の減少は当時の人々の生活に大きな影響を与えたという。


資料 北海道日本海ニシン漁、復活   
2018年3/20現在
ナント、4割増の2,360トン

  


群来(くき)のこと

 群来とは、”ぐんらい”と書いて”くき”といい、「鰊群来る」(”にしんくき”る)と。この群来は、ニシンが大群で産卵することによって、精子で海が白く濁る現象のこと」を意味しています。2~3月 に、近年は毎年新聞やTVのnewsで紹介されるようになりました。  


      
ニシン漁で使用されていた道具が壁面いっぱい展示。


以下は部分的にクローズアップ! 


 それぞれの道具に名前が付けられています。


網にかかったニシンをすくい上げるもの。


かき集めるもの、木製のスコップのようなもの。


 ニシンを背負って運ぶものなどがあります。


この箱に何キロのニシンが入ったのかな?重そう‼


 当時のニシン漁の方法を模型に。
二隻の舟でトロール船のようにーか。


鰊盛業屏風

※当時のニシンの陸揚げ➨加工➨出荷の概要がわかります


ニシンの陸揚げの様子。アイヌ人たちの姿も。


 機械や動力のない時代、如何に人手をかけていることもー。


過酷な労働条件だったことでしょう。


 完成した製品は、船で運ばれます。
俵に入っているもの、何かな!?


近年の漁獲量は、約半世紀ぶりに回復してきていますが、年による変動はまだ大きいのが実態です。そこで、関係者は資源を枯渇させた歴史を繰り返さないため、漁獲規制や資源保護等を試みているようです。

🐟

 1996年、石狩振興局はニシンの資源増大対策の一環として16万尾の稚魚放流。現在は、北海道内の各地区で年間200万尾以上の稚魚が放流されていると。”限りある資源”!、考えさせられること多々ありでした。

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Ⓣ‐19.小樽市へ(3/9)~小樽市総合博物館運河館へ;第一展示室

2024-05-03 09:00:00 | Ⓣ-Go to トラベル🚍

 6/3、私の小樽での目的は、陶芸や考古学的(特に手宮洞窟)施設を見学することです。まずは、小樽総合博物館運河館から見学開始です。



左側のアーチ状の入口から運河館に入ります。


 

  この運河館は、第一展示室第二展示室に分かれています。この建物は明治26年に建てられた旧小樽倉庫を利用されているとのこと。本館は平成19年まで、市の博物館として開館していましたが、小樽市総合博物館の開館に合わせその分館となりました。 


第一展示室

 小樽は、アイヌの長い歴史の後、江戸時代後半に始まるニシン漁と明治以降の港湾整備によって発展したマチです。明治~大正にかけては北海道の玄関として、また道内一の経済都市として発展しました。中でも、小樽運河はその繁栄を象徴する存在です。  


手宮洞窟壁画彫刻~レプリカですが~


第一展示室では、 アイヌ時代から近代までの小樽のあゆみが紹介されています。北海道と本州を結んだ北前船に関する資料、ニシン漁業に関する資料、小樽の変遷を記録した古写真と古地図などがあります。また、小樽が最も華やかだった大正時代の街並みも復元されています。

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Ⓣ‐18.小樽市へ(2/9)~夕方の小樽運河&運河存続のミニ史 

2024-05-02 09:00:00 | Ⓣ-Go to トラベル🚍

 ホテルは運河近くにとってあったので、夕食後運河界隈を散歩することにしました。日没が間近な時間帯でした。



 浅草橋から「南運河」をー。


 夕日が左斜めからスポットライトのように当たっています。  


 この時間帯でも団体の観光客がー。  


 ツタの黄緑色が映えています。


この散策路は運河を埋め立てたのでしょう。


 向こうの建物は、レストランorカフェ?


 小樽の最盛期の倉庫群。今は再利用されているようです。

そこに、ナント!⛴がー


 「小樽運河クルーズ船」が登場!です。


 船は、歴史ある小樽運河や街並みにマッチするようにデザインされたといいますがー。この船のエンジンは、小さなエンジンで、しかも環境にやさしいバイオディーゼルを使っているという。なお、発着場は中央橋。 中央橋➨小樽港➨北運河➨南運河の浅草橋までを約40分かけて巡るとのこと  (大人;1,500円也と)    


 小樽運河クルーズ船のコース



 向こうに見える浅草橋に向けてー。 


この浅草橋手前でUターン。間もなく中央橋でフィニッシュ。


小樽運河は日本でも大変珍しい「埋め立て式運河」です。一般的に運河は、内陸を掘ってつくりますが、この運河は、海岸線を埋め立て造られたという。1923年(T12年)に完成。


運河存続のミニ史

S41年、小樽市内は慢性的に交通渋滞が生じ、その解決策として臨港線全路線を6車線化する計画がスタートしました。小樽の地形的な事情で、運河の埋立てと倉庫群の解体案が浮上。そのため、周辺の歴史的建造物を含めて保存に向けた市民運動が起きました、S48年に小樽運河を守る会が設立され、以後10年以上議論が続き、臨港線は運河区間を残して一部が開通されました。

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 当時、私も関心をもち新聞やTVの放映を注視していました。その後も、紆余曲折あり、最終的に「運河の幅の半分を埋立てて道路とし、残りは小公園の配置や散策路を整備する」、ということで激論が決着。そして、計画から20年後のS61年に遂に完成し、現在の姿にー。いつもこの運河の風景を目の当たりにすると、立場の違いで戦いのドラマがあったことを回想します。 

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