皆様、お元気でしたか?とるてん☆です。先週は、仕事で関西方面に行っておりま
したので、大阪に立ち寄り、20世紀を代表する写真家
アンリ・カルティエ=ブレッソン展
を見て参りました。
実は、恥ずかしながら私。一昨年の訃報の際も、「誰ですか?その方は?」程度の
認識で、今回も何の予備知識もなく、会場に足を運んでしまった訳なのですが。
写真を見るなり、「なんじゃっ、こりゃあ~
」(松田優作さん風)に
思わず叫んでしまいました。初めて、広重の浮世絵を見た時以来の衝撃で、
頭クラクラです。(えーと、浮世絵ファンです。)
会期が4/16日までで、申し訳ないのですが、写真が好きな方もそうでない方も
一見の価値ありです。「突然言われても、都合つかないわ~!」という方には、
朗報が。5月に渋谷で
ドキュメンタリー映画が上演されますので、ご安心下さい。
映画館で、お会い致しましょう。私は、確実に、参ります。
さて、写真をご覧になって頂ければ、能書きなんぞは不要なのですが、それでは
報告にならないので、ご興味のある方だけ、この続きをお読み下さい。(長いでーす。)
アンリ・カルティエ=ブレッソンは、報道写真家の草分け的存在と言われています
が、報道写真の、と言うよりはむしろ、写真表現の無限の可能性を感じさせて
くれる。そんな展覧会です。「写真を芸術にまで高めた。」と称されるのも、誇張
ではないなぁと思えます。(写真で、ここまでっ!)
作品は、センセーショナルな被写体を好んで選んでいるのでもなく、かと言って
センチメンタルでもない。なのに、見る者の心情に深い印象が残るのはなぜでしょう?
5月革命時、ソルボンヌの象徴的なカット。44年パリ解放時、機関銃の銃口に体を
向けて撮影したカット。ジャコメッテイの日常を切り取ったポートレイト等々。
そこには正に撮影者が写り込んでいるからです。
それでは、写真に写り込んだ、この強い存在感は、どこから来るのでしょう?
それは、的確なシャッターチャンス、練られたアングルや構図、造形的な感覚と
いった技術的な側面はもちろん。ブレッソンの内面的な要素が、大きなウエートを
占めているからなのでは、と考えさせられます。
撮影時の集中力、被写体に対する敬意と愛情、撮影意欲、そして、社会への深い
洞察力と問題意識。歴史の節目に、証言者となりうる現場にブレッソンが身を置い
ていたのは、単なる偶然ではないでしょう。
「もはや、写真で表現したい、目新しい題材は、なくなってしまった。」と言われ
て久しい昨今ですが、それは、撮影者が自らのフィルターを磨いていないばかり
に、発見出来ないだけなのかも知れません。
「もっと、技術も教養も深めて、どこまでも写真の可能性を追求しておいで。」
と言われたような気がして、会場を後にしました。今よりずっと、写真が好きに
なれると思います。ブレッソンの
公式HPは、こちらへ。
最後に。「凄いよ、大阪芸術大学。ありがとう!」と申し上げ、報告を終らせて
下さい。(本当に長っ!)こんな風に、写真文化を守り、育てていって下さいね。
ちなみに・・・。今回の図録、全441カットで、2千円なり。0が一つ足りない
かと思い、確認した私でした。