大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

泉屋博古館分館

2010-07-30 14:30:00 | 美術
昨日雨の中、泉屋博古館分館で「近代日本画にみる東西画壇 東京・京都・大阪の画家たち」展を観てきました。正直に言うと、あまり期待していない展覧会でした…。最初に東京画壇の展示室を観て、そのあと京都画壇と大阪画壇の展示室を観ました。印象深い作品は、原田西湖の「乾坤再明」と題するもので特に目を引きました。画題の意味は「天照大神が素戔嗚尊(すさのおのみこと)の粗暴さに憤って天の岩屋に隠れた際、天鈿女命(あめのうずめ)が舞を舞った結果、天照大神が天の岩屋から光が眩く輝き、長命鳥の声を告げる様が描かれ」ているそうです。特に顔のマチエールが素晴らしく、柔和な表情がいいと思います。上島鳳山という大阪の画家の名前は知りませんでした。45歳の若さで亡くなったということと、ほとんど住友家のお抱え絵師だったみたいですね。当時の財界人の近世浮世絵への憧憬を少し感じました。富岡鉄齋の「掃蕩俗塵図」は、割と躍動感あふれていてまあまあいいかな、という印象でした。画面の賛には「塵(俗気)が多くの人の良知をくらましてしまう。我々はこの塵が去らないことを最も嫌う。以後は心上の塵、口上の塵、筆墨の塵、世渡り上の塵を全て掃いのけなければならない」
明の王陽明の文を賛に録す という意味が記されていて、鉄齋の理想の一端を垣間みることができます。とても参考になります。
本展覧会の重要な眼目というかテーマは、江戸=東京は粋、京=京都は雅、大坂=大阪は婀娜(あだ)だそうですが、面白い視点だなと思います。

割とじっくり会場を観て回り、自分が学芸員ならこのような展覧会は百歩譲っても開かないと断言します。いくらなんでも平福百穂と下條桂谷と高島北海の作品は駄作で、美術館で展示すべきではないと自分は考えます。また、富岡鉄齋の水墨画の作品もあまりよくない出来だと思う。展覧会の企画担当の方はどういう方か知りませんが、推測で言うのは大変失礼ですが、もしかしたらあまり日本画を学んでいない人なのかなと疑ってしまいました。美術館の展示というのは、ある意味公的な側面が強いわけですから、美術館の品位という意味について猛省してほしいですね。東山魁夷の作品を2点、隅っこの方に展示していましたが、今回の展覧会の中で他の作品とどういう風な脈絡があるのか説明してほしいですね。全くまとまりのない、美術館としてのプライドを感じられずやる気のなさ十分という雰囲気の漂う展覧会でした。この美術館はいつも来館者の少ないところだと僕は思うのですが、今度から全国の美術館や博物館は年間の来場者数を公表してランキングによる格付けをするのもいい案かも知れませんね。今回の展覧会は、☆でした。


原田西湖「乾坤再明」



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